第二十四章「クライマックスは続くのどこまでも!?(その1)」

 周囲の騒ぎから切り離されたかのように、四人の男女はそれぞれ思うところを抱いて相対していた。


「勇さんに魔族の血が……」


「……」


「嘘、だよね……?」


「事実だ」


 ガーオネの爆弾発言が直撃した二人に対して、発言を肯定したのは当人ではなく銀髪の大魔王であった。


「ふんぞり返っているキザ男の言うとおりだ。元々ただの人間だった勇がここまで戦ってこれたのは、魔族の血肉を体内に宿したからだ。無論、勇の血の滲むような努力と苦闘によって磨きが掛かっているがな。才に溺れず己を磨く。流石は我が夫となった男だな」


 誇るわけでもなく無感動にそう告げる。


クゥは顔を青ざめさせて雷電の勇者を見た。否定の言葉を欲したものの、彼の表情には諦め混じりの肯定が表れていた。それは、事実であると同時に勇自身も気づいていたということをクゥに知らせるのだった。


「私は、私達は……魔族を追い払う為に魔族の血族に救いを求めていたというの……」


「魔だろうが聖だろうが異世界を一応救った現実は現実だろう」


「でも地球に居た頃の桜上くんは普通の人間でしたよ!」


 相手の動揺を鼻で笑うセリスに、今度は姫子が問いかけた。


「異世界に来てからと言ってただろう? 最初は何の変哲も無いただの人間ただの青少年だったことは保証してやる」


「じゃあ誰といつどこで」


 姫子の畳掛けには応じず、セリスは傍らにて先程から沈黙している勇に身を寄せた。


 この期に及んで甘えるわけではなく、相手の目を直視する為に。

「真面目な話、ここに来たということは、全てを思い出して決意を固めたという解釈でいいのかな?」


「……どうだろうな」


 沈黙していた勇はようやく口を開いた。


「全部思い出したわけじゃない。が、ここまで来ると結論は出せるような気がする」


 首筋から汗が噴出して滴り落ちる。それを拭おうともせず、強いて平静を保ちながら上空を見上げた。


 ゲートは今や空間を歪め、耳障りな雑音を鳴り響かせており、誰が見ても暴走状態にあった。


「とりあえずアレをどうにかしてからの話だな。行くぞ馬鹿魔王」


「どうにかしていいのかな? 勇の溜ったものを発散させるいい機会とも思えるがな」


「……つべこべ言わず来い。これ以上の犠牲は見過ごせんぞ俺は」


「お待ちなさい!!」


 鋭い声で会話を遮ったクゥは降ろしていた大剣を振り上げ、その切っ先をセリスと勇へと向けた。


 動揺が収まっていないからか、剣は小刻みに揺れていた。傍らに立つ姫子が息を呑む中で、マックス王国の巫女姫は鮮血に濡れた刃を向けたまま口を開いた。


「みすみす大魔王を逃がすと思ってるのですか。兄の思惑はどうあれ、それが魔を打ち払う結果になるというなら、人間としてこの機を逃すわけにいきません」


「姫」


 剣を収めさせようと手を伸ばした勇であったが、彼が手を伸ばした瞬間、クゥは反射的に剣を構えたまま後退った。


 無意識下の行為とはいえ、クゥは己のとった行動を半瞬後には後悔した。


 自分が慕った相手に対する仕打ちとしては最低のものであった。魔の血が流れていたことに想像以上に動揺していた証拠であった。


 動揺に動揺を重ねて身を硬くする相手とは対照的に、拒絶された方は傷ついてるようには見えず、小さな溜息を吐くに留まっていた。


 寛容や悟りから来るものではなかった。勇自身、正直それどころではなかったのだ。


 理性を総動員して平素同じように振舞っているが、顔色の悪さまで制御することは叶わなかった。


 背中からは脂汗が吹き出て服を濡らしている。細胞の一つ一つを形を変えられようと捏ねられていくような感覚は、勇者時代でも経験したことのない言い知れぬ不快感であった。


 血が逆流し、骨が軋み、肉が揉まれる。五臓六腑が独立した人格があるかのように体内で激しく脈打つ中で魔力だけは安定していた。


 否、安定しながらも通常よりも力が増していっている。ゲームで例えるならば、一気に三、四十はレベルが跳ね上がるようなものだった。


 ヘルアンドヘブンゲート運営に使用される膨大な魔力が大いに乱れ始めた頃から変化が起きていた。巨大な力と力が反応し合い、結果両方とも暴走寸前にまで追い込まれていた。


 このままじゃヤバイ。本能がただそれだけ喚いている。


 どちらかを止めない限り収まらないかもしれない。ならば機械の方を止める方が容易い筈だった。


 急げ。急げ。一分一秒も惜しいんだ急げ。


 早くしろ。間に合わない。ここからでもいいから攻撃してとめないと終わりだぞ。


 もう持たないんだから早くしろ!!





 それともこうして呑気に会話してるのは期待してるからではないのか解放の快楽を。





 警告の声の隙間から誰かがそう囁いた。


 その囁きの主が自分であると知覚した瞬間が終わりの合図となる。


「俺の魔力を起爆剤にしてゲート暴走を加速させて別世界からの巨大兵器を引きずり出すんだろうが、止めれば費える程度のモノだ、か、ぁ……」


 突然、勇は言葉を不自然なところできった。心臓が長距離マラソンを終えた直後の選手のように鼓動が激しくなり心拍が乱れ出した。


「勇さん!?」


「桜上くん、どうしたの!?」


 身を案じる声が遠くなっていく。視界が歪んでいき、五感全てが剥ぎ取られていく。


 声をあげようとしたが、声帯が麻痺したのか声が声にならなかった。


 急激な変化に心と身体が蝕まれていく。必死に繋ぎ止めようと歯を食い縛るも、それすらもやってるかどうか判別がつかなくなっていた。


 歪む視界が、最後に映し出したのは、艶然とした笑みを浮かべて自分を見下ろす大魔王の爛々と輝く銀の瞳だった。


 意識が弾けた。






 瑞々しい滑らかな肌の感触が唇に触れて、無心に歯を突きたてて、ありったけの力を掻き集めて顎に込めた。


 深々と歯を食い込ませて肌を突き破り肉にまで達する。


 口内を舌を蕩けさせるような鉄錆びた味のする紅い液体が溢れてくる。


 思考も何もあったものではなく、音をたててむしゃぶりつく。


 女は暴れなかった。それどころか手で俺の髪を撫でながら笑い声を上げていた。


「素晴らしくも面白い」


 血肉を喰われつつある中というのに、陶然として呟く。


 己の血で身体と服を濡らしながら女は気にも留めずに俺を褒めている。


「今まで色々な人間に会ってきたが、私にこんな目を向けながらこんな事をしたのはお前が初めてだ。逃げもせず、命乞いもせず、意表を突くような所作をせず、喚くわけでもなく、震え上がるわけでもなく、魔力も何もない人間が私を恐れずに噛み付いてくるとはな! いいぞお前。私はお前の餓えた瞳と浅ましく卑しい理不尽への憎悪もその生への執着ぶりが気に入った!! 一目惚れというやつだ。私と勝負する資格はお前には充分過ぎるぐらいあるぞ!!」


 憎悪をぶつけられ、痛みを刻まれているというのに、魔王である女は哄笑していた。傘を投げ出し、俺と共に濡れながら笑っていた。


「満たされぬ気持ちを晴らそうと侵略を行ってきたが、よもやそんなことをせずに済む出会いがあるとはな。人生何が起きるか分からぬものだなぁ!!」


 独語する女へ答えもせず、殺すつもりで抱いて喰らい続けた。


「私を追ってこい。私だけを求めて剣の群れを、弾丸の雨を潜り抜けてこい。私はお前のモノになってやろう。お前の満たされぬナニかを満たしてやろう。お前との終わりを知らない戦いに身を委ねよう。お前は永遠に私のモノだ!! 共に卑しく貪り合おうじゃないか!!」


 狂喜の声に脳を揺さ振られながらも、ひたすら相手の肉体を噛み続け、血肉を体内へ流し込む。


 内臓を伝う血の熱さは言い表すことが出来なかった。焼けるような熱さが全身を弄るように駆け巡る。


 赤ん坊に乳を与える母親のように、アイツは俺を突き放さずに両腕で包むように抱いていた。


「お前に私の心を与えてやる。代わりに今からお前の身体は私のモノだ。誰にも渡してはいけない、誰にも渡さない。お前は私以外に負けない力を手にする。その力で私の全てを手に入れるまで戦い続けるがいい。お互い説明し難い欲求を満たしあっていこうぞ」


 頭のてっぺんから爪先まで激痛が走った。


 痛みのあまり首筋から口を離して仰け反った。五臓六腑を麻酔無しで掻き乱されたかのような痛覚。呼吸する度に突き抜けるような痛みを覚える。


 気が狂いそうな痛みにもがき苦しむ。このまま死んでしまうのだろうか。


 元凶がこんなにも間近にいるのに。吐息すらも感じられるぐらいに近くに居るのに。こんなにも傍にいて届かなかったのか。


 痛い。


 苦しい。


 助けて。


 誰か、助けて。


 意識が落ちていく中、苦痛に歪む瞳は、冴え冴えとした真冬の月のような銀色の瞳をした女だけを映し出していた。






 獣のような絶叫が戦場に木霊した。


 声量だけならば、ドラゴンやそれと同等の巨体を誇る魔物の雄たけびの方が遥かに大きい。だが、大きさを補って余りある力が勇の叫びにはあった。


 叫びに呼応して、勇の体内から溢れ出た魔力が電流となって周囲に迸った。


 上位の電撃魔法に勝るとも劣らない雷が大地を抉り黒く焦がす。人々を魔物から護る雷光は、今や種族関係なく無差別に辺りを払っていく。


 至近に居たセリスらは防御を固めながらその場から逃げようとはしない。突如起こり出した勇者の変貌の様子を、一名を除き固唾を呑んで見ていた。


「私という魔の血肉を喰らった事で、勇の身体は体内で改造されていった」


 舞い上がる大量の砂塵を透明な壁で防御しつつセリスは誰にともなく語り始めた。


「本人でも気づかないぐらいだ。他の人間にも気づくわけはない。察することが出来たとしても、あのナルシスト王太子が時間が経過してから疑問を持ったぐらいのものだろう。地球の漫画やアニメ、ゲームのように光とか闇といった属性や区分なぞ無いも当然だからな。魔力は魔力なのだ。目に見える変化といえば魔力の増大を除けば身体能力が精々だな」


「け、けど、勇さんの武器や防具は勇者にしか装備できない代物です。悪しき魔に力を貸すということは」


 クゥの頑なな意見に大魔王は冷笑を浮かべず肩を竦めるに留まった。


「誰が決めたんだそれは? 根拠といっても所詮言い伝えだろう。繰り返し言うが、魔力は魔力だ。聖や魔で区別するのは馬鹿らしいことだ。勇が扱えたのは勇者だからではない。力が強かったから扱えたのだ」


「そうだとしても、桜上くんの今の状態と関係あるのですか」


「急造勇者に分かりやすく言ってやるなら、堪忍袋の緒が切れたというやつだ」


 魔界の大魔王の口から日本風の表現が出たことに違和感を覚える姫子を無視してセリスは言葉を続けた。


「半人半魔の副作用というべきか、勇はマメに魔力を体内から放出しなければ今のような状態になる身体になってしまったわけだ」


「……」


「勇者時代はマメに魔力を放出する機会があったからなんともなかった。だが、ここに来てからはそんな機会があるわけでもなく、少しずつ魔力が体内に蓄積していった。そこに強大な魔力の乱れが起き、勇の中にある溜った魔力が刺激を受けて更に質量を増進させた。どちらか一方だけなら大した問題ではなかったのだがな」


「問題ではなかった?」


「そうだ。私は僅かずつながら勇の魔力を発散させていた。毎日のように散らせていればいつかは落ち着くだろうからな」


 発散と聞き、クゥと姫子が思い浮かべたものは、勇に情け容赦なく殴られるセリスの姿。


 信じられないという顔をすると、発言した本人は緊迫した場を無視するかの如く優雅な笑みを口端に刻んだ。


「私が己の嗜好を満たすためだけに殴られてたと思っていたが? 夫婦の営みをしていたと思っていたか? 今日のような事態を回避する為の方策として行っていたのだ。趣味と実益を兼ねてるとはこういう事だな」


 そう結論付けた大魔王の白皙の美貌には恐れの色は見られなかった。目の前で生れ落ちる災厄を、寧ろ歓迎するかのような表情を浮かべている。


 蝶の羽化を待ちわびる子供のようだと姫子には思われた。


 戦慄に萎縮しそうになっている心身に新たな寒風が吹いた心地を覚え、白金の勇者と呼ばれている少女は己の武器を握る手を震わせた。


 その直後、爆発が起きてセリスを除く全員が身を伏せるか防壁を張っていた。


 炸裂した魔力が辺りを焦がし、爆風が視力を奪う。


 どれほど経過したか。一分足らずの時間が一日にも思える長さが経ったとき、魔法で熱風と障害物を凌いだ姫子は顔をあげ、勇が居た場所へ目をむけた。


 彼女は息を呑むこととなる。


「桜上くん……?」


 姫子は我が目を疑った。姫子だけではない、クゥもランスロットもガヴェインもホールズも、魔力爆発を防護して凌いだ彼らは、自分の目の前に居る男の変貌に、冷静という柱が音もなくひび割れるのを心の内に聞いたのだった。


 全てを塗りつぶし深き虚へと沈める漆黒が居た。

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