第二十六章「クライマックスは続くのどこまでも!?(その3)」

 二本の剣が空中で激しく打ち交わされる。


 狂暴と称するに相応しい衝撃波が二人の周囲にある有象無象を吹き飛ばす。


 餓えた野犬のように舌から涎を垂らしながら、勇者であった男は欲望のままに獲物を求め、欲望の対象である大魔王は優美なまでに落ち着き払って餓鬼道に片足を入れている夫を迎え撃った。


 刃と刃が火花を散らして音高く鳴り響く。


 簡潔に評すれば至ってありきたりなものと思われるが、尋常でないのはその規模であった。


 火花は閃光弾一ダース分の光芒を伴い、撃ちあう音は至近で爆発物が炸裂したかのような騒音を撒き散らす。両者が激突する都度、余波は被害を拡大する役目を担って忠実にそれを果たしていた。


 掃討戦を行っていた魔族らは人の形をした無慈悲な嵐の接近に慌てて近場にある合金とコンクリートで固めた塹壕へと退避した。


 追撃が緩んだのを肌身で感じた人間側は再反撃を行おうとはしなかった。視野が広くないとはいえ、流石に大勢は決したことも悟っていたし、何よりも意欲があったにしても、災厄が自分達降り注いできたのでそれどころではなかったのだ。


 勇とセリスの巻き添えによって数百人が魔力の渦に飲み込まれて消滅した。


 人間達の阿鼻叫喚もお構いなしに、大魔王夫妻は縦横無尽に動き大立ち回りを演じている。


 異世界の人々から見れば勇者が再び大魔王と雌雄を決しようとしていると喜ぶことだろう。


 実際はといえば、決する当人らの間に正義や悪という概念はなかった。


 手加減一切無しで凄まじい闘争を繰り広げながらも、そこに一片の憎悪もない。満たしているのは憎悪とは正反対のものであった。不純で爛れきってたとしても、虚飾のない真実だった。


 大魔王セリスの手にする剣は銘はなく代わりに「栄光なる狂気」という肩書を持つものであり、曽祖父である初代皇帝が、天界から追放されて流れついてきた堕天使族を討伐した折に天界の主より感謝の礼として貰い受けた宝剣であった。


 プロメデウスの炎を使って万年単位で鍛え上げられたという剣は、勇の剣と正面から激突しても刃こぼれ一つ生じていない。


 勇は切っ先まで黒々としたアンス・グラム・カリバーを乱暴に振り回して、あらゆる物を破壊していく。


 どのような障害物に触れたとしても、速度がまったく緩まない斬撃をセリスは一撃も避けずに受け止める。避けれる攻撃も自ら進んで受け止めることによって、勇の破壊衝動を感じようとしている。


 セリスが受けては反撃する。勇もそれによって更なる興奮を噛み締めていた。確かな手ごたえが心地良く、突き抜けるような絶頂を誘うようだ。火傷するような熱さが快感となり、肌が焼け爛れても当てられ続けられたいという欲求が迸る。


 最終決戦時の時に体感したものだった。思い出すだけで快感に背筋がゾクゾクとするような、許されるならずっと感じていたいような疼きが全身を撫で回す。


 あの時の記憶が生々しく甦る。あの時だけではなく、出会いから今まで幾度となく会ったときもここでの事も何もかもが脳を揺さぶる。


 甦りながらも剣を、魔法を、手足を止めることを両者はしなかった。一瞬の隙が命取りの攻防を繰り広げているというのに、命取りを味わいたい危険な誘惑に引き摺られる。


 意味も無く、理性を蒸発させて暴れ狂うことがこんなにも爽快だとは!


 狂おしい欲望が突き抜ける。


 魔力と魔力がぶつかり合い、衝撃波を生み出して辺りを薙ぎ倒す。


 後退と塹壕への避難をしていた魔族らにも少なからず被害が出た。


 備えの出来ていなかった異世界軍は致命傷の上に更なる致命傷を蒙ることとなる。人馬が高く舞い上がり地の叩きつけられる。堂々と翻っていた旗は全て千切れとび、貴重な魔法使い達の防壁は薄紙一枚の価値すらない程に無力さを曝け出している。現時点で辛くも生き残っていた兵士らは恐怖と絶望に打ちひしがれている。


 それらのことなど眼中にない大魔王夫妻は殺し合いを続行させながら忙しなく各所を移動している。


 ようやく自失から立ち直ったクゥと姫子は二人を追いかけようとしたが、近衛衆に引き止められた。


 重傷の身ながらも自力で立つ三名は暴風の中心である男女の移動先に目を向ける。そこは、数分前に三体の神が単なる残骸と化した場所であるゲートであった。


「いけないわ。このままだとゲートに」


「言うな。言ったところで無駄だ」


「とりあえず、追う、ことに、するか」


「そうだな。……そこの二人も行く気だったのだろう? こちらにはすぐに目的地へ行ける足を用意出来るが同行するか?」


「……よろしいのですか?」


「あぁ。ついでと言ってはなんだが、そちらの生き残ってる兵士らに降伏勧告を頼みたい。最早事態は決した上に争ってる場合でもなかろう」


 赤毛の近衛衆筆頭は、駆けつけた部下の一人に指示を出して無線機を運ばせた。


 クゥ差し出された見慣れぬ機械に躊躇いを見せたが、迷ってる時間がないことを思い出した。


 疲労と緊張とやりきれない思いとが滲む声が無線機を通して戦場の至る所に流れ始める。


「これ以上の闘いは無益です。敗戦の責は私達が負います。魔界側からは降伏した後の身の安全は保障されます。命を賭けてここまで闘い抜いてくれたことを感謝致します。武装を解除して、相手側の指示に従い行動を……」


 クゥが指導者としての責務を果たしてる間にも、魔力の乱れと負傷により自力移動が困難な面々の為にゲートへ向かう足が運びこまれてくる。大型生物に輿を設置させたものに乗り込みつつ、姫子はショックを隠しきれないまま空を見上げた。


 鼓膜に優しくない激しい音と共に雷光が煌びやかな輝きを発していた。


 灰色の空で勇者と大魔王が正面から凄惨な死闘をしている。


 空を駆け回り、大地を蹴り上げ、雷よりも苛烈さをもって火花を散らす。


 既に三百合以上を撃ち合っているというのに、二人の表情に疲労の色はまったく無く、寧ろ生気が更に満ち溢れてきていた。


 奔放に動き回る両者は、やがてゲート上空に来ていた。


 勇の魔力爆発を起爆剤として無理矢理暴走させて質量共に巨体な封印物を引き摺りだしたことにより、連日の不安定さに拍車をかけていた。虹よりも豊富な色彩が無秩序に渦巻き、各所に小規模ながら魔力による熱暴走が発生している。誰が見ても決壊寸前の有様であった。


 無意味で絶望的な人間側の抵抗を排除しつつあった突入部隊は、上空で起こっている凄絶な闘争に顔をあげたまま声も無く見守っていた。


 武勇魔力共に拮抗していた。素早さも反応速度も純粋な力のぶつけ合いすらも、まるでもう一人の自分と戦っているかのように互角であった。強いて優劣をつけるならば、無駄遣いという言葉を辞書から抹消している勇の魔力消費の激しさから、魔力の容量はセリスがやや優位にあった。


 三百数十回目の刃の噛み合せ。鍔迫り合いながら勇は近づけるところまでセリスの顔に接近した。精悍さと沈着さとを持っていた顔には、一点の曇りも無いどす黒い欲望が占領していた。


 耳障りな笑い声をあげて勇は宣言した。


「オマエ、ホントにサイコーなオンナだな。イイぜぇイイぜぇ、世界でこの世で一番殺し甲斐のある奴だよオマエはよぉ! 殺して殺して殺すだけ殺したら、絶頂しつつ骨一本、血の一滴、肉片一つ残さず俺が喰らい尽くしてやるよぉ! オマエを死んでも俺だけのモノにしてやるよぉぉぉ!!誰にも渡させねぇ、魂までも喰らいつくして俺に溶け込みやがれよぉぉぉ!!」


「妻のラブコールにようやく応えてくれて嬉しいぞ。こんなに大勢の前で大胆な勇も素敵だな」


 血に酔いしれた狂気そのものの発言に対して、銀髪の大魔王は百万の宝石に勝るとも劣らない眩しい微笑みで応じた。


 言葉を交わしあいながらも鍔迫り合いは続いている。


 無数のプラズマが反発し合って大小の爆発を引き起こす。誰も近寄れず、ゲート以外の同じ高度にあった建物は音も無く蒸発していた。


 ゲート上空を飛び回っていたが、それを支える柱の一本をセリスが背にしたときだった。


 勇が意味の成さない雄たけびをあげる。全身に渾身の力を込め、剣を水平に構えて彼女目掛けて突撃していく。そのスピードは予想を遥かに超え、反撃も回避も半瞬の差で遅れた。

 場が凍りついた。


 見上げる人々の視線の先、右脇腹を刺し貫かれ、手足を拘束魔法にてゲートの柱へ縫い付けられた魔界の支配者の姿がそこにあった。


 傷口から溢れる紅い血がセリスの半身を加速的に濡らしていき、足先から雫が地上へ落ちていく。


 返り血に染まった漆黒の勇者は、その表情を法悦に満たされているのか、口元に付着した大魔王の血を舌で舐めとり、淫楽に耽っているかのような切ない吐息を漏らした。


 口元に付いた血を舐めきったものの、満足しないのか、次は両手に付いているものを舐め回す。それにすら満たされず、顔の寄せられる範囲にある大魔王の体液を舐めとりだした。


 その姿は滑稽さを感じさせたが、目撃している者は誰一人として笑わなかった。動かなければいけない事態というのに、誰も身動き一つできずに異様な光景に立ち会っていた。


 舐めれる範囲の血を口にした勇はまだ満足出来なかった。薬物の切れた中毒患者の如く飢えた呻きを上げ、ゲートの柱に縫い付けられている大魔王をギラギラとした黒い瞳で凝視した。


 次にとった行動に、魔族達からどよめきが起こった。


 勇は剣が突き刺さったままのセリスの右脇腹に顔を埋め、傷口から流れ出てる血を音立てて飲みだした。


 肉や臓腑の感触を舌先で転がし、顔全体を鮮血で染めながら、甘味を舐る子供のように妻の立場にある女のモノをすすり上げる。それだけに留まらず、右の手でセリスの下半身を撫で回しながら、もう片方の手は彼女の首に添えていた。


「陛下ぁ!!」


 地上の人々が悲鳴を上げるのも気に留めることなく、勇は首に添えた手に躊躇いなく力を込めた。


 圧迫されて血は益々傷口から噴出して勇の身体を紅く彩っていく。休み無く流れ込んでいき喉に絡まって咽ながらも飲むのをやめなかった。


 やめられなかったのだ。胃を破裂させてでも体内に流し込みたい欲求が脳を支配する。


 何も考えられなかった。ただただ生臭い美酒を独り占めしたかった。


 飲めば飲む程に力が漲り、手に力が篭っていく。このままいけば、美しき大魔王は首の骨を圧し折られるか、窒息死するかの運命を辿るだろう。


 誰もが絶望的な至近の未来を思い浮かべながらも、虚しく立ち竦むしかなかった。


 生き残り、この光景に居合わせた少数の人間らも、大魔王が倒されるかもしれないというのに、喜色を浮かべている者は居なかった。彼らの思い描く結末を血と嘲笑で奇形されたおぞましさと恐怖に沈黙を余儀なくされていた。


 この日幾度目かの、そして最後の変化が起こったのはそんな時である。


 血と肉に顔を汚していた勇が上目遣いにセリスの表情を窺ったとき、事態は一気に終幕へと雪崩れ込んだ。





 微笑んでいた。





 喜怒哀楽の半分は最初から持ち合わせていないのか、大魔王であり魔界の女帝である銀髪銀瞳の女は、自らの生命が危機に晒されている状況下というのに崩れていなかった。


 苦痛など感じてる素振りもなく、快楽に打ち震えて白皙の頬を朱に染めている。勇相手ならば殺害されようとしてるこの瞬間すらも愛しいように、彼女は微笑んでいた。


 銀の瞳と黒の瞳がぶつかった時、勇は悪寒を覚えた。狂おしい熱が一瞬にして醒めきった。


 何故微笑んでいるのか。


 何故喰われる立場であるのに動揺の欠片もみせないのか。


 何故死にゆこうとしてるのに生気に満ちたままなのか。


 猜疑が欲望を侵食していき、やがて頭の奥深くで何かが弾ける音を聞いた。それが合図だった。


 脳裏に浮かんできたのは、最後の記憶。消失していたパズルの最後の一ピース。







 意識が白濁していき、思考がブラックアウトする短い合間だった。


 大魔王を名乗る少女の声だけは、そんな最中でも鮮明に聞こえて、脳に刻まれている。


「次に目が覚めたときにはある意味生まれ変わってる。大丈夫だ」


 半死半生で起き上がれずに居る俺の髪を優しく梳きながら、デートの約束をするような気軽さで語りかけてくる。


「もしお前が私の身体を支配すればお前の勝ち。身も心もお前に捕らわれた私はお前だけの生きた餌になろう。けど、もし私がそれより前に私の魔でお前の心を支配出来れば私の勝ちだ。お前が私の身を喰らい尽くした後、私とお前は一つになる。お前は私の代わり、私の肉人形として全てを支配し全てを破壊するのだ。最強にして最凶。最高にして最低の大魔王が生れ落ちる」


 勝とうか負けようがどちらに転んでも損をしない。


 一方的な約束に対して俺は何も言えず、ひたすら苦痛が去るのを耐えて待っていた。


 そんな俺を、アイツは血を流す首を撫でながら顔を近づけてきた。


「約束だ。忘れないようにな」


 されたのが口づけと認識した刹那、意識は完全に堕ちた。








 あぁ、そうか。俺はこのときから堕ちていたんだ。


 両立し難い感情を抱え込みながら、最初から勝負の付いている闘いに身を投じてきたんだ。


 自分を躍らせた相手に、知って尚も焦がれていたのだ。


 思いを募らせて、ただ一人だけを考え続けて、その人の為だけに何かをしようと生きようとする。


 それらが全て愛と解釈されるものならば。


 俺は彼女を殺したいぐらい愛して堪らなくなってしまったんだろうな。







 意識が急速に纏まっていく。


 傷口に埋めていた顔を跳ね上げ、絞殺寸前まで行っていた手を慌てふためきながら離した。


 同時に周辺被害を省みずに撒き散らされていた瘴気めいた魔力も潮が引くように消えていき、人為的に起こされていた天変地異もピタッと止んだ。


 名残惜しさを漂わせつつ顔中を染めていた血を腕で拭った勇は眼前の妻を再び凝視した。


 セリスはアンズ・グラム・カリバーが刺さったままであったが流血に彩られ傷だらけでありながらも女王の風格を欠けさせることはなかった。


 その表情には失望のもやがかかっていた。


「もう少しで私の……妻の勝ちだったのに残念だ」


「おま、おま、おまっ……!」


 戦慄に全身を震わす勇者の姿は一分前からは想像し得ないものだった。


 殺戮と破壊を突き進み、生命を軽んじて、想いをを嘲笑っていた凶悪さは完全に失せていた。


 何が起きたのか当人ら以外には理解出来なかった。


 彼らが理解したことは、殺戮の権化が活動を止めたことと、この世界を統べる女帝が負傷しつつも死の旋風から逃れて健在であることの二つだった。


 騒々しさを極めんとばかりの五月蝿さから、いつもの乾いた風の音だけが耳を通るようになった。誰しもがここで終わると思った。


 フィナーレを飾る最後の一撃が直後に鳴らされた。


 古今東西、どのような世界にも必ず空気を読めない存在というのは絶えた試しはない。


 空気を読めないというのは、察しが悪かったり状況を読む力が少しばかり可哀想だったりすることから発生する。


 それが精神的に幼稚で、思いつきだけで動き、己の価値観は全体の価値観であると盲信しているなら倍率ドンである。


 定義は置いておくとして、空気の読めない輩が動き出そうとしていた。


 切り札だの闘いの神だのと期待され、満を持して登場したら秒殺された天界の巨神を、この時誰もが意識の外へ追いやっていた。

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