第九章「人間来ちゃったけどいいよね? 答えは聞いてない!(その5)」
自分は白昼夢を見ているのだろうか。はたまた飲まされた薬がまだ抜けきってないのだろうか。
勇は己の目を疑っていた。
彼の目に映るのは夢幻ではなく現実。何度目を擦りつけようとも、瞬きをしようとも消える事はなく、極彩色のリアルが動いているのだった。
一言で表現するならば金髪碧眼の美少女。あるいはRPGのお約束な深窓の姫君。クゥ・ラーイ・マックス姫はそんな女性であると、勇は彼女にそういう印象を抱いていた。
出会った頃の姫の出で立ちは、控えめに宝玉で彩を添えた気品あるドレス姿であったが、今目の前に映る彼女の姿は、動きやすさを配慮しつつも防御性の高さを重点的に置いた甲冑姿である。共通するのは、どのような存在にも侵させないと主張してるかのような純白色。
純白の甲冑に身を包み、人間の成人男性並の大剣を振り回しながら、深窓の姫君であった筈のクゥ姫は正面の魔界軍を威圧しつつ要求を繰り返し叫ぶ。
「悪辣鬼畜な魔族達よ、今すぐ還しなさい! 勇者様を還しなさい!! このような無法を働くあなた方は間違っている! 今すぐ勇者様を寄越しなさい!!」
小型拡声器でも付属してるのだろうか、軽く数百メートルは離れている陣地内にも明瞭に聞こえてくる叫びの数々に、大魔王夫婦はほんの僅かな間、緊迫した空気も忘れて顔を見合わせた。
「あのボタン狩りと独自エクササイズ考案が趣味そうな喚きをしている女は何をしにきたのか?」
「いや、俺に言われても非常に困る」
「と、我が夫は言うが、アレはどう見ても異世界にて勇を呼び寄せた巫女姫であるわけで、ぶっちゃけて言えば妻から勇を奪おうとしてるわけであるな」
「ぶっちゃけも何もそうなんだろ。でなきゃ人間の軍隊が魔界になんぞ来ねぇよ」
「よし今すぐ殺そう」
「正直過ぎる上に極端過ぎるよ! 蹴散らすのが本来の目的だけど少しは話聞く余地ぐらい残せよ」
がなりたてる勇へセリスは覇気に満ちた艶やかな笑みを浮かべてみせた。
「妻は勇を渡す気はない。ならば選択の余地などあろう筈もない。というわけで二度と愚かしい事を考えないよう滅ぼしてやった方が、後腐れなくて良いだろう?」
「大魔王としては正しいが、個人としては良心に痛みを覚えそうなぐらいには浅慮と思うんだが」
「勇の国にこういう諺があるそうではないか。『馬鹿は死ななきゃ治らない』と」
「それ諺じゃねーよ! 勉強したって誇る割には知識偏ってるから!」
「陛下の博識ぶりにケチをつけようとは不敬の極み! 人誅下すぞ糞餓鬼!!」
「アンタも忠臣名乗るなら間違ってる事にはツッコミいれてくれ……それはそうとアレ見ろ」
会話が脱線しつつあるのに気づいた勇は、話題を戻す必要性を感じて肺活量の限界に挑むかのように叫び続けている異世界の姫君を指差した。
クゥ姫の周囲には、先程派遣した伝令兵とその護衛らが無残な肉塊と化して倒れている。真ん中からや横一閃という違いはあるものの、全てが綺麗に一刀両断されている。
「さっき見た死体とは違った死に方してるな」
斬殺なぞ見飽きるぐらいには目の当たりにしてきた死に方である。奇妙な殺され方をされてないところを見ると、あの姫君が手を下したものではないかもしれない。
「今は使ってないだけではないのか?」
「使い分ける必要あるのかよ。あの怪力見る限りだと、魔法より剣の方が手間いらずなんじゃねーのかな」
「出し惜しんでる可能性はないのか糞人間」
「出し惜しみねぇ」
ランスロットの疑問に勇は顎に手を添えて考え込んだ。
この中で一番というより唯一接したことのある人間として答えるべきであろうが、勇は異世界に召還されてからの数日と、旅の合間で情報を求めて三、四回帰国した折に接したぐらいである。
人となりに関してはそれなりに把握していても、それ以外となると無知に等しい。
現に大剣を振り回す姫を見たとき、勇は彼女に双子の姉妹が居たのかと思いかけたのだ。魔力はあれども魔法まで使えるかどうかなど判断しかねるのである。
陣頭にてやりとりしている間に、僅かながら動きが生じた。
馬上で吼え続けているクゥ姫の上空から、一体の翼竜兵が襲い掛かった。
偵察要員として出撃していたところを僚友らの惨死を目撃したらしい。逆上の声を上げ、腰に帯びた剣を抜き放ち斬りかかろうと急降下していく。
人間側の兵士は強襲に対して反応が遅れた。
否、ただ一人動けた者がいた。
白金で造られた仮面を被った騎兵が姫の傍らに進み出てきた。
仮面の騎士は、落ち着きつつ素早く手に持っていた槍のような形状の杖を掲げる。
分厚い刃の中央に埋め込まれた宝玉が淡い光を放ち、電子機器を作動させたような音を発した瞬間、光が翼竜兵に向けて放たれた。
光が直撃した翼竜兵はたちまち白金の塊となり、大きな音と僅かな砂塵を舞い上げて地面に落下する。
一連の出来事を目撃した面々は仮面の騎士に視線を集中させた。
「あれが犯人か。それにしても白金の仮面とは面妖な」
「随分小柄に見受けられるしのう。正体隠しというより示威目的かもしれんな」
「あんな魔法使う奴があの国に居たかな。俺が会ってないだけかもしれんが、マックス国は姫さんが凄いという以外では良くも悪くも色んな面で中規模程度の国だったからなぁ」
「どちらにしろ、大魔王である妻自らが赴いてきたのだ。戦うにしろ会談するにしろ、人間達に勝利も主導権も与えるつもりはない」
凄みのある笑みを崩すことなく、大魔王を名乗る女帝は事も無げに言い放つ。無条件で主君を敬愛しているランスロットは目を輝かせて賛意を表す。
一方、女帝陛下の婿はというと、相手が顔見知りなだけに余計な発言は控え、内心で小さな損害で失敗してもらいたいと相手側の為に祈った。
馬上から魔界軍の陣を睨むつけるマックス国の王女と白金仮面。
今にも突撃してきそうな隠さぬ敵意は嫌でも軍勢を刺激する。勇の祈りも空しく「小さな損害での失敗」という線が消えそうな予感を漂わせ、両陣営は一触即発の様相を呈していた。
情報収集の結果、眼前に居る異世界軍の兵数は二千と判明している。魔界軍の陣営に大魔王が現れたのを掴み偵察に来たのであろう。本隊はおそらくゲート周辺を依然固めてるものと思われた。
無視するなり挑発するなりしてもよいが、敵の総大将と思われるクゥ姫が居るのだ。ここは一気に攻勢をかけて討ち取ってしまうべきではなかろうか。
そう考えたセリスが一歩後ろに控えている近衛衆筆頭に出撃の指示を出そうとしたとき、司令部から一人の兵士が御前に馳せ参じてきた。
「申し上げます。たった今、人間側から連絡が入りました。奴らが申すには、勇者返還に関して陛下との会談を切に希望するとのことです」
兵士の報告にセリスと勇は驚きを隠せなかった。視線を再び姫と騎士が居る方へ向けると、彼女らに数人の騎兵が何事か言っている姿が見えた。
報告を聞いたランスロットは部下らに聞こえるようにわざとらしい笑い声をあげた。
「我らの世界へ侵攻して勝手にゲートを占拠した輩が世迷言を。下等生物は脳まで下等か」
「いやまて、アンタらが言うべき台詞じゃないだろ。数ヶ月前まで侵略者の集団だった上完敗したクセに」
ランスロットらの冷笑に対して勇が呆れたように言い返す。
セリスはしばし黙考した後、激怒して殴りかかってきた筆頭を返り討ちにしている勇に向き直った。
「勇はどうしたい? 妻は勇の意見を採用するぞ」
「なに?」
彼女の発言に勇を含む周囲が驚きを覚えた。
婿とはいえ人間であり元勇者、つまり現在睨み合ってる人間側だった男へ意見を訊ねるだけでなく、その意見を採用するとは。あまりにも大胆というべきか、家臣らに配慮の足りないというべきか。
場の空気を感じたセリスは鼻を鳴らして臣下らの驚きを一蹴した。
「妻は姫だろうが何だろうが今すぐ滅ぼせる。つまり余裕の表れだ。ならば夫の意見を尊重するぐらいなんともないぞ」
「だからってお前……」
「さっき勇は『少しは話聞く余地ぐらい残せ』と言ったではないか。余地を残してやったのだから、選ぶがいい」
「本当に良いのかよ。俺は構わないんだけどよ、その、周囲への配慮とかさ」
「それぐらい気にするな。妻とのラブラブチュッチュッなスィート生活継続を望むなら攻撃。妻の思いやりに心打ち震えて今夜は壊れるぐらい激しく愛してやるぜベイビーな心境なら話し合いを選ぶといい」
「お前の余計な発言の所為で第三の選択『どちらも選ばず他人へ丸投げ』を選びたい心境だ」
「その時はアレだ。妻の思いやりを踏みにじった夫に、妻は傷心を癒そうと夫を押し倒して、その後(以下未成年に悪影響を及ぼしかねない不適切な表現の数々の為省略)」
「どれ選んでもお前に損ないじゃんか! 何だそれ? 自分へのご褒美か? スィーツ(笑)なのか? 馬鹿なの? 死ぬの?」
「妻は勇になら何されてもよいぞ?」
「頬を赤らめてんじゃねーよ! 質問に答えろ! それと変なとこで公私混同してる自分を反省しろよマジで!!」
「お仕置きか? 駄目な妻にイケナイお仕置きくるのか!? 鞭とか手錠とか蝋燭とかロープとか用意させた方がいいのだろうかこの場合」
「エロスも程々にしとかねぇとハラワタぶちまけっぞ!!」
勇は妻の胸倉を掴み上げ絞殺せんばかりに締め上げた。「こんな白昼堂々に強引な」と甘い声で呟くセリス。それを見たランスロットが白目を剥き地団駄踏んで絶叫し、将軍や高級士官やらがキレた婿殿を慌てて引き剥がしにかかる。
遠巻きに見ていた兵士らは明後日の方角を向く者や己の職務を再開させる者など様々な反応を示した。
緊迫感にいささか欠ける軍中枢部に催促の連絡が入ったのは、勇がセリスや引き剥がしにかかった面々を全て殴り倒した後のことであった。
「先行させていた部隊を下がらせる故、これをもって此方に過度の敵意は持ち合わせてない証としたい。その上で会談を行うか否かの回答を早急に送られたし。と、マックス国王太子の名で連絡が来たのですが……如何致しますか?」
小さな血の池が僅かの間に出来上がってる事に恐れおののきながら、連絡文を持ってきた兵士は、拳を血で濡らし立っている勇と血の池に沈んでいるセリスに訊ねた。
「王太子? ガーオネ王子まで来てるのか」
兵士からの連絡に勇は意外そうな声をあげた。
マックス国に王様やお姫様が居るのだから、王様の跡取りである王子が居ても不思議ではなかった。
RPGの世界ならば王子様の影は薄いものであるが、マックス国においては逆であった。
王様は個人的にも統治者的にも善良という以外には取り柄のない初老の男であった。
クゥ姫は国一番の魔力を持つ巫女として、民衆の精神的支柱としての責務を負っている。となると、俗事の領域となる国の政治全般を王太子や臣下らが担うこととなる。
ガーオネ・ガユウキ・マックス王子はクゥ姫より五歳年上の二十六歳になる青年である。
妹と同じく金髪碧眼の持ち主で、端正で穏やかな貴公子然とした容姿は貴族の令嬢から市井の女性まで幅広くときめきを覚えさせている。
魔力は妹よりも劣るものの政治手腕も悪くはなく、王に代わって国政を仕切っており、数年内にも王から王位を譲られるであろうという宮中の評判を、勇は短い滞在中に二、三度耳にしたことがある。
異世界に呼び込まれた勇が勇者となるべく決心して間を置かずに準備を整えさせ旅に出したのも彼であったのだ。
右も左も分からない世界に放り出させられて憤慨したものであったが、王子はこの件に関して「試練を乗り越える事で力に目覚めさせることこそ我らの務め。その為に心を悪魔にするのも辞さない」という発言を国内中に告知したのであった。
その後幾度か王国に戻る機会がありその都度対面しているが、勇は悪い印象は抱いた事がない。正直なところ、クゥ姫の印象が強かった為に彼のことを深く考えたことなど一度もないので善し悪しを抱きようがなかったのだが。
本来なら国許で王様に代わって政治を行わなければいけない御仁が姫に同行して魔界くんだりまで来たということに、勇は無意識に驚きの声を漏らしたものであった。
「ありがたいことだねぇと、言うべきかな」
「すぐさま抗議声明も出さず数ヶ月経過してようやく行動に出たというのは変なものだのう」
率直な感想を呟く夫に水を差したのは妻であった。
「勇は一応は世界を救った英雄なのだぞ? 多少異世界で混乱が残っていたとしても、まっさきに声をあげねばならぬ国が今まで沈黙してたのは不自然ではないか」
「そりゃお前、あれだよ、下手な事言って刺激して攻め込まれたら一たまりもないからだろうよ。ようやく決心ついたからこうして行動起こしたわけで」
「大切な存在を護る為ならそれぐらいの覚悟は必要ではないのか? それが自分らを救ってくれた勇者ならば尚更だ。妻ならば勇を救うためならば恥も外聞も捨て去って駈けずりまわるぞ。異世界の住人全員そうせよとは言わぬが、勇を呼び出したマックス王国ぐらいはそうすべきであろう」
「皆が皆、お前みたいには動けないんだよ……」
言い返してみたものの、なんとなく語尾が弱まる勇であった。
どう言い返してやろうかと考える勇であったが、催促されていた事を思い出してひとまずその話題は保留することとした。
「とりあえず話し合いをしてみよう。人間だろうが魔族だろうが、流血見ずに済む方法選ぶべきだろ勇者的に考えて」
婿の決断は即ち妻の決断。妻である魔界の最高指導者は軽く頷き、周囲に大声で告げた。
「会談に応じてやるからありがたく思えいう趣旨の返事を送り返してやれ! だが陣を固めて兵力を集結させ編成する作業は継続する。和戦どちらに転んでも対応出来るようにしておけ。帝都に居るガヴェインに会談場所の選定ないし設営をさせる命令を直ちに送る事も忘れるな!」
強大な専制君主の命令は絶対である。セリスの指示を聞いた臣下らはその場で臣下の礼をとった後、指令を実行させる為に四方八方に散っていった。その場に残ったのは勇とセリスの二人だけであった。
「さて、どう結果が転ぶのかな」
自分を巡る騒ぎというのに他人事のように言ってのけた勇は、熱い視線を感じて妻のほうを見た。
セリスは指と指とをつき合わせ、初心な生娘のように身体を左右に揺すって銀色の瞳にて勇を上目遣いに見つめていた。
二人は見詰め合ったまましばし黙り込んだ。人が居ないわけではなかったが、彼らは大魔王夫妻に遠慮してさり気なさを装ってこの場から距離をとっている。
「…………どうした?」
重い沈黙を破り、勇は嫌々ながら問いかけた。
「話し合いを選んだのだから、妻の思いやりに心打ち震えて今夜は壊れるぐらい激しく愛してやるぜベイビーを選択したということになるな」
「……」
「今夜は防音設備の整った部屋を用意させるつもりだが、勇は何か頼むものはあるか? 壊されるぐらい愛されるのだからな、さぞ凄いのだろう。愛する夫からどのような辱めを受けるのか、妻は今から胸がドキドキしてきたぞ」
そう言って自分の左胸に手を当て、鼓動の早さを確かめるようにゆっくりと撫で上げる。
「今更言うのもなんだが、遠慮はしなくていいからな。勇が満足するまで妻の身体を思う存分使うがよい。理性も誇りも分別も壊してしまうぐらいに、妻を滅茶苦茶にしていい。今夜は勇の熱をずっと感じていたいぞ……」
「……」
勇は濁りのない爽やかな笑みを浮かべ、妻の上気した顔に優しく手を添えた。
数秒後、セリスは夫に頭を鷲摑みにされ、容赦なく地面に叩きつけられていた。
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