第十一章「カワイイは正義というなら誰が正義になるのだろうか(その2)」

 白金卿も勇と同じく発言権がなかったのか、壁際に置かれている椅子に座って今まで口論を見守っていたのであった。


「なんか用か?」


 面倒くさそうに勇は騎士に話しかける。頭部は全て仮面に防護されており、相手の表情は読み取れない。それでも、勇は相手が息を呑んでいることを僅かな呼吸の乱れで察した。


 白金卿は勇を見つめたまま沈黙する。


 勇が不審気に思って再度声をかけようとしたところ、相手はおもむろに留め金に手をかけ、己を護っていた白金の仮面を取り外した。


 外された仮面から栗色の髪が零れ落ち、ついで勇とほぼ同年代と見受けられる少女の顔が現れた。


 もしやと予想していたが、実際少女であった事にも驚いた。勇を更に驚かせたのは、その少女を彼は知っていたのだ。


「華野……さん、だっけ?」


 白金の仮面を脇に抱えて勇を見上げる少女-華野 姫子は、緊張した面持ちをしていたが、勇に声をかけられ、笑みを浮かべようとして失敗した。


 溢れてくる感情を抑制しようとしたが、堪えきれなくなった。


 硬い物が床に落ちる音を聞き、舌戦を続けていたセリスとクゥは音のした方向を振り向き、振り向いたと同時に顔面の筋肉を引き攣らせた。


 彼女らが目撃したのは、仮面を外した少女が勇の胸に飛び込んで抱きついているという、二人にとって悪夢のような光景。


 勇に抱きついた姫子は感極まっているのか、目尻に涙を溜めて勇の胸に顔を埋めている。


「は、華野サン?」


「桜上くん、桜上くん、桜上くん!! ほ、ほほ、本物の桜上くんだよね!? 生きてたんだね! どこも怪我してない? 元気してた? アタシ、アタシ、本当に心配したんだからぁ! 桜上くんが行方不明になって二ヶ月以上過ぎちゃって、変な事件なんかに巻き込まれちゃったんじゃないかって。皆心配してたんだよ! 甘井先生もすっごく心配してたんだし、それに、それに……!」


「なっ、ちょ、まて華野! どういうこった。二ヶ月? 二年の間違いじゃないのか!?」


「しばらく会わない内にすっごくカッコよくなってるね。あっ、桜上くんは前からとってもカッコいい人だったのアタシは知ってるからね。でも、逞しくなって凛々しさ三割り増しって感じがしてイイよ~!」


「話を聞いてくれよ! そもそもなんでアンタがこんなとこで妙な仮面被って変な名前名乗ってるんだよ」


「会いたかったよ桜上くーん」


「それはもういいから!」


 感激のあまり冷静さを失っている白金の少女は、勇の声も聞こえてないのか、ただただ己の胸の内を吐き出すばかりであった。


 感情の吐露は長くは続かなかった。


 姫子は肩の肉が引き千切られるのではないかと恐怖する程の痛みを感じ、恐る恐る肩越しに背後を振り向くと、彼女の肩に手を置き指を食い込ませているクゥが至近に立っていた。その形相は、魔族ですら無意識に一歩退いてしまいかねないぐらいの悪鬼のものであった。


「姫子さん! ……ではなく、白金卿!! 大事な会談中というのに、なんという破廉恥な行いをなされてるのですか!? 勇者を救う勇者としての自覚が足らないのではないですか!!」


「い、痛いです。離してくださいクゥ様! アタシは桜上くんの温もりをまだ感じて……痛い痛い!! 指が、指が食い込んでます! 本気で指が肌を突き破って肉を抉りそうなぐらいには痛いです!」


「なんと羨ま―否、けしからんことをしているのかと聞いているのです! 勇者様に対して無礼を働くとは、たとえご学友の間柄としても礼節は弁えるべきでしょう!」


「そうだぞ小娘。我が夫に手を出すとは、貴様は余程この世に未練が無いと見受けられる。人間ダルマにした後に生皮剥ぎ取って野生キメラの餌にしてやろうか」


 冷酷そのものの声音で告げたセリスは、姫子と勇を強引に引き剥がし、取り戻した夫にしがみつく様に抱きついていた。それを見てクゥが怒りを銀髪の大魔王にも向ける。


「貴女も何してるのですか!? 離れなさい、今すぐ離れなさい!!」


「夫婦がナニをしようとも勝手だろう。赤の他人が偉そうに口を挟むか」


 相手の怒声にセリスは笑いながら反論する。嘲笑を受けたクゥは姫子を押さえつけつつ奥歯を音高く噛んだ。


「なにが夫婦ですかこのアバズレ! 勇者様の嫌そうな表情が見えないんですか!? その銀色の瞳は安物の銀メッキですか!」


「我がアバズレならば貴様はビチビチビッチだな。勇者なら誰でも良いのだろうが。勇者でハァハァしたければ、そこの小娘でも相手にしてろ百合姫(Not雑誌名)めが」


「なな、なんという下種な物言い! 貴女みたいな下品な魔族なんて勇者様には不釣合いです。勇者様には私のような人間がお傍に居るべきであって」


「クゥ様! なにさり気なく大胆な犯行に及んでるんですか!? 桜上くんはアタシと一緒に元の世界に帰って学生するんですから、お二人は勝手に殺しあって相打ちになってくださいよ!」


「白金卿! それでも貴女は勇者ですか! ご自分の言動に責任を持ちなさい!!」


「急造勇者如きが言ってくれるではないか。会戦に先立つ出陣の儀式にて血祭りにあげてやろうか?」


 見目麗しい女性三名。しかもそれぞれの地位は大魔王と姫君と勇者である。


 その三人が一人の男を中心として自己主張と市井水準の罵り合いを展開して火花を散らしている。


 緊張を孕んだ会談は、たちまち喜劇へと変貌した。ただし、火薬庫で銃を乱射するぐらいには物騒で恐ろしいものであるが。


「お前らいい加減に俺を囲んで喚くなぁぁぁぁぁぁ!!」


 三人の口論に、ついに堪りかねた勇が会議室中に響く絶叫交じりの声を張り上げた。


 ガーオネ王子も、ランスロットらも、彼女達の低次元なやりとりに口挟むタイミングを計りかね、唖然とした顔を見合わせながら終結を待つしかなかったのだった。






 華野 姫子は勇と同じく異世界では「天の国」と呼ばれる世界、地球から召還された女子高校生であった。


 勇とは高校一年からの同級生であり、図書委員同士ということで比較的接触のある間柄であった。


 勇は彼女のことは他の女子よりかは話す機会のあるクラスメイトという認識以上はなく、こうして再会するまで思い出すこともなかった。


 控えめで物静かな文学少女という印象を勇は持っていた。が、今は活発さが前に出ているようで、こちらが素なのか、異世界に着て絡身についたものなのかは判断し辛いところである。


 これまた勇と同じく、ある日前触れもなく異世界に召還され、クゥやガーオネから「勇者を救う勇者」という使命、白金の仮面と鎧を与えられ、否応なく勇者として育成されていたという。


 それが三ヶ月前。勇が魔界へ連行されていった時期とほぼ被る。


 これまでの勇の闘いから得られた知識と経験を基にしてマックス王国で作られた勇者育成短期集中学習により、勇にはまだ及ばないものの、並の戦士以上の剣と魔法の使い手として、遠征軍の主力を担っているという。


 同級生の短期間での変貌ぶりに唖然とする勇であったが、当の本人はというと、彼を前にして興奮気味に思いをそのまま口走っている。勢いで勇に好意を抱いていたことをカミングアウトするぐらいには暴走していた。


 そこまで親しかった覚えがないが、姫子にとって勇は前々から気になっていたクラスメイトであることが本人の口から告げられる。


 知らなかったので返答に窮した勇はこの事はひとまず黙秘権を行使することとした。


 それよりも知るべきことが幾つかあったというのもあるが。


 かしましい騒動の後、勇の悲痛な叫びにてひとまず落ち着きを取り戻したものの、会談を継続する空気ではなかったので小休止を取ることになった。話し合いは置いておき、勇はこれまでの事を聞く時間を得ることとなった。


 円卓上のテーブルが会議室に運び込まれ、それを囲むように四人の男女は席に着いた。


「華野、アンタも同じ手口でか……ところで、さっき気になること言ってたな。二ヶ月ぶりとかなんとかって」


「あっ、うん。それはね」


 提供されたオレンジジュースを一口飲み、姫子は説明を始めた。


 曰く、異世界や魔界、地球では時間の流れが異なるというのだ。ウラシマ理論にタイムマシン原理、時間や時空関係の知識が引っ張られる話となるが、細かい理論は分からない。


 とにかくも異世界や魔界での一年は地球では一ヶ月しか経過してないのだ。


 どこかの意思の力で物事がひっくり返るような車の名前みたいな世界と違って数日数ヶ月が一瞬でないだけ滅茶苦茶ではなかったが。


 自分がちょっとした浦島太郎状態になっていることに驚きつつ、勇は初歩的な疑問を訊ねてみた。


「誰から聞いたその話」


「クゥ様やガーオネ王太子殿下からだよ」


 眉根を寄せ、勇は姫子の隣に座るクゥを見る。


 疑心に満ちた視線を向けられたマックス王国の王女は深く頭を下げた。


「申し訳ありません勇者様。勇者様が旅立たれる時、ガーオネお兄様から口止めされてたのです。色々あって動揺してる相手に余計な知識を与えるべきではない。と」


「知っても仕方がないけど、俺にとっては知ってるだけでも少しは気が楽になるんですけどね」


「そうですよね。勇者様のご負担を少しでも減らせるというのに、私の配慮が足りないばかりに……」


「そうだそうだ。勇の事を蔑ろにするとはとんだ冷血女だな。それに比べて、妻は勇の事を常に一番に考えてるぞ。これぞ愛の差だ。とっとと敗北認めて帰りたまえ敗北王女め」


「なんですって……!」


「二人とも落ち着け。口論ならいつでも出来るだろうが」


 敵意の火花を散らす両者をげんなりとしつつ制止する勇。彼は次に自分の居なくなった後のことを訊ねた。


 姫子から語られたのは、勇自身半ば想像していたとおりだった。


 両親は半狂乱となりつつもあの手この手で息子を探し回り、警察は事件事故の両面から捜査中。


 学校では担任の甘井先生やクラスメイトらが安否を気遣っており、マスコミでも大きく取り上げられ、一時期はニュース番組で放映しない日はなかったという。


「やっぱりな。二年が二ヶ月でもいきなり失踪したらそうなるわな」


 嘆息するクラスメイトへ、今度は姫子が訊ねる側になった。


「でも、この世界っていうか、魔界じゃネットもあれば地球の雑誌や新聞も買おうと思えば買えるんでしょう? それで時間のこととか日本の近況知ったりしなかったの?」


「あー……それはだな」


 途端に勇が居心地悪そうに髪を掻き毟った。


 確かに魔界ではテレビを点ければN○Kが受信されるのは既に述べた。漫画や雑誌、新聞なども年齢不詳の万能執事がわざわざ取り寄せてきて差し入れしてくれる。パソコンも存在しており、接続すれば他世界のサイト閲覧も可能であった。


 勇はそれらを有効活用しなかった。否、する余裕がなかったのだった。


 セリスとの生活は思いのほか必死なもので体力を消耗し、また妻から逃げ出すそうということに思考が集中していた。


 いつしかテレビはロクに観なくなり、パソコンにも触れなくなり、今の自分には関係ないと理由をつけて新聞も読まず漫画雑誌しか目を通さなくなっていった。


 それらの事情を勇が語る前にセリスが嬉々として全て話してしまった。止める間もなく、勇は自分の駄目さ加減を暴露されてしまったのであった。


「とまぁ、勇は妻の味が忘れられず、妻のことで頭がいっぱいで俗事への興味は消えていたというわけだ」


「シメかたおかしいから。誤解招く言い方もよせ馬鹿野郎」


「そ、そんな……わ、私の勇者様が……!」


「桜上くん、もう大人の階段登っちゃったんだね。シンデレラ卒業しちゃったんだね……」


「二人とも真に受けるな。てか華野は自分の発言変だと思ってくれ。男にシンデレラはねーだろ」


「確かに勇は大人の階段はとっくに登りきっているな」


「んな事はいちいち言わなくていいんだよ! あーもう、ツッコミが追いつかねぇからとりあえずもう黙れ!」


 テーブルを掌で強く叩き勇はこじれ掛けた会話を中断させた。


 申し訳なさそうに赤面して頭を下げる姫と女勇者。大魔王はというと、反省する素振りも見せず、滑らかな仕草でカップを手に取り冷めかけたコーヒーを飲んだ。


「話は済みましたかな?」


 会話が終了したのを見計らい、それまで部下らと話し合いをしていたガーオネ王子が四人の居るテーブルへ歩み寄ってきた。


 白絹で作られた官服を身にまとった長身の貴公子は、ケチのつけようがない礼節をもってセリスに恭しく礼を施すと、煌びやかな輝きを見せる碧眼を勇へと向けた。


「久しぶりだね勇者殿」


「お久しぶりです王太子殿下……」


 柔和な笑みを浮かべ気さくに声をかけてきた王太子に、勇も席を立って頭を下げた。


「元気そうでなによりだ。流石は妹が呼び出した勇者殿だ。真の男とは君のような人かもしれないね」


「もったいなきお言葉です」


「けど少し魔力に乱れを感じるね。ちょっと疲れているのではないのかな。君は我らの世界にとって英雄なのだから自分の健康には気を使ってもらわねば困るよ」


 王太子の気遣いの言葉を聞き、勇は彼の力を思い出した。


 初代国王が魔導師出身であったというマックス王国では、王族は個人差はあるが魔力を備えている。


 魔力の質量においてガーオネは妹であるクゥには及ばない。だから彼は象徴としての座を妹に譲り政治方面に力を注いだ。


 しかしそんな彼にも相手の魔力の状態を見極めるという特技があった。


 あまり使われることはないが、国民から魔力の有無を見極めることで魔法使い育成、ゲートを開いたりとクゥが大掛かりな魔力を使用する際の補佐に充てたりとすることが出来た。


 そんな事を思い出しながら、勇は丁重に礼を述べた。


「ありがたきお言葉でございますが、今では大魔王の婿などをやらされております。殿下にはぜひに俺……私めを一日でも早くお助けして頂きたく思いますれば、どうかお聞き届けてくださいますよう」


 芝居かかった口調であるが、異世界では時代錯誤的な物言いの方が通用する。その事を勇は旅の経験で知っていた。


 勇の願いに王子はなだめすかすように手を左右に振った。


「いやいや焦ることはないよ。必ずや何かしら進展はある。もしかして、君自身が切り札になるかもしれないのだから」


「外交の切り札でございますか?」


「君の存在は君が思う以上の価値があるかもしれない。そう言いたいだけだよ」


「左様でございますか。とにかくも、そこに居る大魔王をどう言い包めるのか、良きご思案があることを望んでおります」


「善処しよう。では、部下らとまだ話す事があるので控え室に失礼させてもらうよ……そうそう陛下、私達人間はそう簡単には屈さないことを、頭の片隅にでも留めておいてくだされば幸いであります」


 大魔王夫妻にそれぞれ言葉を残し、ガーオネ王子は礼儀正しく会釈して四人の前から去っていった。

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