第十三章「カワイイは正義というなら誰が正義になるのだろうか(その4)」

 同じフロアとはいえ幾つも厚い壁で経たてられているのだが、耳を澄ますと三人の大声が聞こえてくる。それでも大声の発生源に居るよりかは聴覚の暴力に晒されないのであった。


 紙の上にペンを走らせる音、デスクトップパソコンのキーボードを叩く音、書類や書物をめくる音。 


 室内は勇以外は全て魔族ではあるが、人間と差ほど変わらない姿をしてるので、時折資料やお茶を運んでくる獣顔の役人が来なければ人間の世界にあるオフィスと錯覚してしまう。


 狭い事務室内で黙々と政務が処理されていく。


 勇も初めのうちは緊張したが、久方ぶりに静かな場所に腰を落ち着けられたことに安堵感を覚え、少しずつリラックスしてきた。


 税に関すること、裁判に関すること、治安や国防に関すること、平凡な学生だった身の上では難しいものである。


 それでも仕事に集中してる間は余計なことを思い出さずに済んだのもあった。


 差し出される書類に目を通して判を押す仕事がない時は、運ばれてきた書物や資料に目を通している。


 自ら進んでとは言い難いが、一度引き受けたからには可能な限り応える。勇者時代に培った責任感が、一時的に勇から無関心を封印させていた。


「婿殿、分からない文字などありますかな?」


 ガヴェインが話しかけてくる。切れ長の深い紫の瞳に主君の夫を気遣う色が見えた。


 彼女は近衛衆の紅一点として名が知られている人物であった。


 魔界在住の妖精族出身で、少女の頃にまだ幼かったセリスに侍女として仕える為に帝都へとやってきた。


 女官を務めるうち、彼女に素質を見出したセリスの薦めて勉学や武芸を学び、やがて戦場に出陣して見事に武勲をあげた。


 周囲はセリスの慧眼に感服し、それはガヴェインに更なる機会を与えることとなった。


 順調に手柄を上げていき、セリスが即位したときには近衛師団の一士官となり、差ほど間を置かずに近衛衆の一人に抜擢された。セリスにとって有能な臣下であり、ランスロットらと同じく幼い頃の知己として公私共に信頼されている。


 彼女もセリスの異世界侵攻に加わり勇とも刃を交えており、魔界では最近普及し始めた重火器や銃剣の扱いを得意としているのを彼は覚えていた。


 様々な世界に移住し、その世界における霊力魔力の類を扱うことで生活の場を得て一定の立場を確立させてきた妖精族出身だけあり、適応力と積極性に富んだ女性である。


 そういう出自だからか隔意なく自然体に接してくれる、勇にとって数少ない人物であった。


 たおやかな笑みを浮かべ問いかけてくるガヴェインに勇は首を左右に振ってみせた。相手の反応に彼女は別の質問を試みてみた。


「陛下の政務をおやりになられて五日経過しましたけど、少しは慣れてきましたか」


 勇は書類の一枚を机に放り投げて肩を竦めてみせた。


「王様とか皇帝なんかになるもんじゃないね。少なくとも俺は頼まれてもお断りしたいよ」


「陛下を今後ともお助けしてくださらないのですか?」


 怒った風もなく小首を傾げてみせるガヴェインに、勇は舌打ちしたげな顔を浮かべた。


「助けて欲しいのはこっちなんだけど」


「陛下に何かご不満でもあるんですの?」


「不満も何もアイツの存在そのものが不満というか」


「往生際が悪いですな。その悪足掻きはもう病気の領域といいますか」


 遠慮ない口調で言われた勇は苦笑を浮かべた顔を引き攣らせた。気づいてないのか、ガヴェインは人差し指を頬に当てて考え込む。


「不敬な物言いとなりますが、普通考えれば逆玉の輿ですよ。顔良し、御身体良し、地位財力もあって甲斐性もある。先代からも認められている上、婿殿にベタ惚れで尽くそうとする良妻賢母。性格は、やや奔放なところもありますが気風も良くて闊達なお方ですし、夜のほうも凄いと聞きましたよ? このような幸運、婿殿ぐらいの殿方が百回生まれ変わっても絶対巡り合う機会なぞないと思われますが」


「今、サラッと失礼な発言しなかったか?」


「ご安心を。非童貞の方にしか聞こえないので」


「やっぱり言ってんじゃん! てか非童貞とか言うな!」


「事実を申し上げただけですよ。殿方的には経験無しチェリーボーイ呼ばわりされるよりマシかと」


「マシじゃねーよ! 無垢そうなぽややんとした笑顔でチェリーボーイとか単語使うな!!」


「では童貞坊やと訂正致します」


「訂正になってねぇしそれ」


 温和な笑みを崩さないガヴェインに勇は唸るように言い返す。


 相手の反応が予想通りだったことが可笑しかったのか、妖精族出身の女将軍は口唇に手を当てて鈴を鳴らすような笑い声をあげた。


「文句の多い奴だ」


 パソコン画面から真紅の瞳を離さぬままランスロットが会話に割り込んできた。露骨に不愉快そうな表情を浮かべ、「空気が悪い」と言ってわざとらしく咳き込んでみせる。


「誰の所為で陛下が政務に携われないと思ってる。今の状況は自業自得なんだから猛省して少しは仕事に励め糞人間」


「わりぃ。分かってるつもりではいるんだが」


「なら黙って仕事してろ。もっとも、学校中退した奴なんぞに大した期待なぞしとらんがな」


 ランスロットは毒素を多量に含んだ悪意そのものな台詞を投げかける。勇は相手の悪意に怒りもせず肩を竦めるに止まった。


「まだ中退してないんだけど」


「同じだろうがボケ。今更戻ったところで、そう簡単に今までの日常が復元出来るつもりでいるのか」


「それは……」


「できるわけがない」


 ランスロットは冷ややかに断言した。キーボードを叩く指を止めないまま近衛衆筆頭は言葉を続ける。


「一度負った傷が簡単に治らないのと同じだ。二ヶ月、貴様にとっての二年と言い換えてもいいが、その年月というのはただの年月ではない。万が一帰れたとして、剣と魔法が大手を振る世界に居た奴が何事もなく元に戻れるか? 小さな違和感を積み重ねた挙句に社会から弾き出されるのがオチだ」


「魔界に居ても似たようなもんだと思うぞ。自慢じゃないが未だに馴染めきれてない身なんでね」


「当然だ。陛下の婿でなければ、貴様なぞ連行されたその日に首と胴体が永遠に別れてる。首は晒され、胴体は身包み剥いで野に捨ててるわ。そんな立場の奴がそう簡単に馴染まれてもおかしいだろドアホ」


「聞いてるだけだと、どこ行っても俺の居場所が無さそうなんだがな」


「大人しく死ねとしか言えんな。というより一刻一瞬でも早く墓の中で朽ち果ててもらいたいものだ」


 いっそ清々しさすら感じる物言いに、勇は目を丸くし、ついで微苦笑を浮かべた。


 元仇敵とはいえ、主君の婿相手にここまで辛辣な言葉を吐くとは、本来ならば不敬極まる行為である。


 ランスロットはセリスにとって有能な家臣であり、彼女の幼少時から付き従っている旧知の仲であるが、この男はそれに甘えているわけでなく、いつでも銀髪の支配者から一喝を喰らう覚悟をもって勇に絡んでいるのだった。それだけ、ランスロットは勇を目の仇としていた。


 宮廷内にいる反対派への配慮も少なからずあるだろうし、この程度で夫がどうこうなるわけでないと信頼してるのもあるだろう。セリスはランスロットが勇に対して実力行使有りの因縁を付けても咎めることはなかった。


 勇も、顔を合わせる度に罵ってくる深紅の髪の青年にあまり反感を抱かなかった。なにせ罵倒されてる本人が根拠なき中傷ではないことを自覚しているのだから。


 使命の為、己の命を護る為、何より元居た世界へ帰る為に命を賭けて戦いの渦中へと身を投じてきた。


 その結果、数え切れないほどの魔物魔族を殺してきた。それに関して後悔はしないが、魔界側から見れば大量殺人者には違いないのだ。


 相手側から戦場でのことという理由で不問にしてもらえたのは大変ありがたいが、それでも人として時折その寛大さが重苦しく感じるときもあった。


 一人ぐらい自分を率直に罵ってくれる相手が居ることは、勇にとっては正常な反応を見せてくれているという思いもあり、ある意味で救われている。罵倒が快感になることは有り得ないが、隠されて陰湿な方向へ向かわれるよりかはまだ良い。


「おい」


 勇が微苦笑を浮かべているのを見咎めたのか、ランスロットがパソコン画面から目を離し、呪わしげな顔を勇に向けている。


「貴様、俺を愚弄してんのか? 俺のどこが可笑しくて笑ってるんだジャパニーズモンキー。情緒不安定っていうなら人様に迷惑かける前にハラキリでもして消えてしまえよ」


「えっ、いや、アンタみたいな直情径行な性格がある意味羨ましいなって思ってさ。悩みなんもなさそうだ」


「人をアホの子みたいに言うな! 脳天カチ割って脳みそ引きずり出してフロッピーディスク詰め込んでやるぞ!」


「USBとか円盤媒体の時代にフロッピーかよ。なんでも輸入してる魔界でも扱う奴いなさそうな古さだなおい」


「やかましい! 貴様なんぞ8インチで十分だ!!」


 激昂して椅子をひっくり返さん勢いで立ち上がろうとしたランスロットであるが、その腕を掴んで引き止めた者がいた。


「止めろ。今は、仕事中だ。暴れたら、書類が、散乱、するだろう」


 隣席に座り書類決済をしていたボールスが持ち前の腕力で立ち上がりかけた同僚を席へ戻した。


「懲りないといえばアンタも当てはまりますわねランスロット。済んだことを引き摺るなんて見苦しいですよ」


 窘めるというより、面白がってるような響きを持つ声音でガヴェインが決め付ける。


 同僚二人に阻まれる形になったランスロットは、非友好的な目で勇を射抜いた。


「とにかくだ。惰性で生きてるなら少しは民の為に働け殺人狂めが。それが貴様が出来る償いだ」


 そう吐き捨て、ランスロットはパソコン画面に向き直り仕事を再開させた。


 言い返すことなく黙った勇に、ガヴェインは横目で赤毛の同僚を見ながら耳打ちした。


「ランスロットの言葉はあまり気になさらないように。戦場での事だ。と、皆仰ってるではないですか。誇って良いかは分かりませぬが、割り切りのよさは魔界の住人の長所でありますゆえ」


「そう言ってくれるのは有難いがな」


 元勇者の呟きは苦味を帯びている。


 魔界の住人ではないので割り切れていない部分があるのも事実だったが、ただそれだけではなかった。


 一人の人間が直接殺めてきた数では空前絶後。武器持つ者相手だったとはいえ、降伏も命乞いも無視して殺害してきた。逃げまとう魔物を追い回した挙句惨殺したというのも数え切れない回数経験した。


 机を並べて仕事をしている近衛衆の面々とて、遠征軍本拠地に乗り込んだ時に死闘を繰り広げているのだ。


 本来ならばランスロットのような反応が正常の筈であり、未だ気を使われることに勇は戸惑いを覚えてしまう。


 自分がセリスと戦うまでにやってきた所業を思い出すと、勇は自分に関しての非難に沈黙してしまう。言われても仕方が無いという自嘲めいた感情が口を重くする。


 深刻の従兄弟分ぐらいの顔を続けてる雷電の勇者を見たガヴェインは、相手の頭を二度三度軽く叩いた。


「さぁ思い悩むのは後にして、今はさっさと仕事終わらせてお茶にしちゃいましょう。今日のお茶菓子はニーバカルでも指折りの菓子屋から取り寄せたものですから」


「甘い物は、とても、心を落ち着かせる、ものだ。沢山、注文したから、遠慮なく、食べればいい」


 ランスロットの言葉にボールスも重々しく頷き、賛同の言葉を述べる。


 二人の気遣いに勇はようやく表情を和らげ、ペンと書類を手に持ち直す。


「そうだな。さっさと済ませるか」


「そうですよ。早くやらないと嫉妬混じりの私怨で婿殿に絡んでるようなボンクラ赤毛のタマナシ小言が飛んできますよ」


「悪口なら聞こえないように配慮しろガヴェイン」


「大丈夫よランスロット。今の言葉は聞こえるように言ったのだから。聞こえなかったら聞こえるまで言い続けてるわ」


「筆頭相手に喧嘩売ってるのか!? イジメカッコワルイ!!」


「だから、暴れると、書類が、散乱するというのに。というか、最後の、台詞は、そっくりそのまま、返すぞ」


 大魔王の側近らしからぬやりとりに勇は自然と笑みが浮かんだ。


 こうしていると数ヶ月前まで敵であったのが信じられないほどだ。


 二ヶ月しか時間が経過されてないと聞かされたとはいえ、この世界では確実に二年の歳月が過ぎている。


 十七歳になったばかりで異世界に来たので、今は十九歳。もし自分が何事もなく同じ歳となっていたら、大学に行ってただろうか、それとも、このような雰囲気の職場に勤めてたのだろうか。


 今となっては想像の範疇でしかない。それだけ遠くへ来てしまったからだろうか。


 そんな感慨を抱きながら報告書のページを捲った勇は視線を文字の上に固定することとなる。


 思案顔になった勇に気づき、ガヴェインが書類を横から覗き込む。


「なになに……第二十四ゲートに微量ながら転移反応有り。周辺魔力磁場に乱れ発生対処如何するか。と、書いてますね」


「大方、王太子殿下が兵力増強にゲートを稼動させてるだけとは思うんだが」


「十万が十一万や十二万になったところでどうしようもないだろうに。人間は無能低脳の塊か」


「切り札、という、可能性は?」


「有り得ないな。仮に有り得たとしても、軍隊ならともかく大魔王に勝てるならそもそも俺はお呼びでないし」


「腸が煮えくり返るぐらいムカツクが貴様と同意見だ。人間の小手先な力で陛下に勝てる筈などない」


「別の報告書の方に関連情報ありましたねそういえば。何かを運び込むとか呼び出すとか」


 ガヴェインが書類の束から一枚の報告書を抜き取る。


 それは、異世界側との間で会談が行われた日から開始された盗聴記録の一つであった。異世界側と違い、魔力だけでなく機械文明の恩恵を受けている魔界では軍隊に電子機器が普及し出しており、情報戦では一歩も二歩も相手側に先んじていた。


 報告書を受け取り目を通した勇は途中思わず声をあげた。


「なんだこれ。『ゴクアーク』に『ジャアーク』」に『ザイアーク』って安直な名前だな。俺の世界にも似たような悪の組織が大手を振って破壊活動してたもんだが、コレなんだよ」


「天界に存在する巨人の名前ですよ婿殿」


 勇の率直な疑問に答えたのはガヴェインであった。


 全長九十m、体重六十七t。八本の腕にはそれぞれ巨大な武器を持ち、四面の顔は全てを威圧するかのように強面であり、全身は人口筋肉と武装の塊。戦いの神を体現したような天界の決戦兵器と一時期喧伝されていた代物。


「天界は争いごとを好まない世界ですが、それでも自衛の為に武器を作りそれを使います。これらの名前は確か一昔前に開発された破壊と闘争を目的とした戦闘用巨人のものだったかと。開発したはいいものの、あまりにも強大な力を持ちすぎて天界にそぐわない兵器であるということで封印、まぁ事実上破棄されたのです」


「つまり神様や天使が造ったスーパーロボットってやつ?」


「ぶっちゃけますとそうなりますね」


「おい駄人間。三体のマシンが変形合体して毎回色んな新技披露するのを想像してんじゃねーだろうな」


「俺の知識だとスーパーロボットなんて鉄の城どまりだよ。つーか、セリスといいアンタといいなんで俺より日本アニメ知識有るんだ」


 勇の反論を聞き、ランスロットは憎悪する相手であるということも忘れて目を点にさせ不思議そうに首を傾げた。


「……ニホンジンというのは全員アニメ知識を持つのは義務であり常識ではないのか? ランク付ける為に検定とかやってると聞いたことがあるぞ」


「だからなんで知識偏ってるんだよアンタらは。学ぶならもう少しちゃんと勉強しろよ」


「なんで貴様に説教されなきゃならんのだ!」


 報告書を覗き込んでいたボールスはつまらなさそうに文面から目を離した。


「しかし、天界の、旧式兵器を、呼び出したとして、使い物に、ならなければ、意味が、ないな」


「まったくね。燃料となる魔力もゲート使って取り出す気かしらね」


 勇とランスロットの言い合いを見物していたガヴィエンも巨漢の同僚と意見を等しくしており、報告書の空白部分に保留の二文字を書いてデスクの隅へと追いやってしまった。


 この時彼らはそれ以上話題をすることなく終わった。この場の全員が大したことが無いという認識だったからだ。


 後日少なからず認識の甘さを批判する声が上がったが、大きくなる事はなかった。


 彼らは君主と仰ぐ大魔王の絶対的な力を信頼しており、場合によってはほぼ同等の力を持つ婿殿に一働きさせようと考えていた。


 その時は誰もが拡大してもその程度の騒ぎで終わると思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る