第十四章「カワイイは正義というなら誰が正義になるのだろうか(その5)」


 職場の雰囲気にほんの少し和んだ勇であったが、次の日にはそんな気分は天空の彼方に飛び去っていた。


 勇者拉致問題会談第十四回目。


 ここしばらく会談に顔を出していなかった勇は、自分が居たときよりも空気が破綻してるのを身に感じた。


 会談が終わる都度、セリスの表情から余裕が消え、代わりに不機嫌の影が領土を広げているのを見て、勇は話し合いがロクでもないものになってるのを察していた。


 しかしそれも妻はあれでも夫に対して余裕を見せていたのだと今日思い知った。


 ある限りの語彙を使い果たしたのか、はたまた口と舌を動かすのも不快の極みなのか、大魔王と姫と女勇者は殺気を隠そうともせず無言で睨み合っていた。


有り触れた表現で言うならば、物音一つ立てるのも憚れるかのような重苦しい空気が会議場を満たしていた。会談という単語を使用するのは冒涜と言わんばかりであった。


 一言も発せず、一言も発せさせそうともせず。漫画ならば『ゴゴゴゴゴ』や『ズゥーン』という擬音が相応しい殺伐さであった。


「一昨日からこうなのですよ」


 入室したとき、空気を憚りながら報道官が勇に小声で耳打ちしていた。


「陛下らは婿殿の事をアレコレ言い立てて一歩もお譲りにならないのです。過激な発言も数えるのも馬鹿馬鹿しくなるぐらいありました。お陰でこちらとしても報道し辛くていささか困っております」


「……」


 報道官の嘆きを聞き流しながら、勇は重く張り詰めた室内を見渡す。


 以前はまだ自分が同席していた時も決して和やかではなく、終始雰囲気は最悪のものだった。


 かといって今の輪をかけて酷くなってる状況は勇は読みきれていなかった。


 罵声か沈黙か。


 会談の九割九分九厘がどちらかで費やされている。誰かが「戦争だ!」と吼えれば、一時間後には市民会館を中心としてニーバカルは浄土となるのは疑いようがなかった。


 本来ならば勇は顔を出さないつもりでいた。それがこうして会議室に居る理由は、魔界異世界双方から悲鳴にも似た要請があったからだ。


  実際のところ、殺意と憎悪の渦巻く空気に耐え切れず中座する者が後を立たなかったのである。


 自分が居たととしても雰囲気が余計に悪くなるだけでは。と、懸念する勇であったが、土下座せんばかりに頭を下げて頼んでくるお歴々のつむじを見下ろしてるうち、力なく首を左右に振りながら承諾の意を伝えた。


 彼らは勇者であり大魔王の婿である勇を盾にしたかったのだ。彼女らの険悪な感情の矛先を一点に集中させる対象を与えることで、少しでも嫌な空気を緩和させたかったのだった。


 浅ましい上に無駄な意図を見抜いていた勇であるが、それでも引き受けた。


 勇者時代、このテの輩から無茶な用件を頼まれた事が幾度もあり、断ったとしても、承諾するまでしつこく要求してくるのだ。拒否の言葉を投げるだけ無駄という突き放した見方を勇は持っていた。


 このような経緯で今、勇は大魔王セリスの隣に座っている。


 今まで室内の片隅にパイプ椅子を設置して座っていたのだが、現在彼の座る椅子は宮廷内にある玉座を模して作られた特注品であった。勇が会談に顔を出すと言ったその日にセリスが手配して用意した代物である。


 大魔王の座っている議長席より二つも三つも格上な調度に勇は落ちつかなかった。


 入室前、勇は銀髪銀瞳の妻に言われていた。


「勇は異世界では勇者であり地球では一学生だろうが、ここでは妻の婿なのだ。なのでこちら側の立場で座ってるだけでよいからな」


 お願いではなく命令であることは秀麗な顔に刻まれてる不機嫌さから察した。


 あえて不機嫌を増幅させる理由もないので勇は黙って従うことにしたが、すぐさま選択がベストでなかったことを悟らされた。


 着席した時、クゥと姫子の刺すというより刺して貫くかのような視線を受け、勇は物理的な痛みを覚えたような気がして思わず身体に手を当てた。


 それは勇に向けられたものではないことはすぐさま判明した。


 彼女らの貫くような視線は一瞬にして彼の隣にて議長席に座る大魔王に向けられている。


 視線を受けてたつ側はといえば、長い脚線美を組み、肘掛に頬杖をついて二人の視線を悠然と受け止めているかに見えたが、彼女は彼女で煮えたぎる溶岩のような視線を人間の姫と勇者に向けていた。


 見渡すと、ガーオネ王子が不在であることに勇は気づいた。


 今回の会談で一応代表者として出席していた筈だが、回数を重ねる度に発言数を減らしていき、ついには一言も発言しなくなった王太子。


 今回は姿すら見せずという事態に勇は不審を抱かせたと同時に昨日の報告書の内容を思い出した。


 (無視されてる立場となったことで半ば公然と活動をし始めたわけか)


 厄介事が増えるのは好ましくない。出来れば未然に防がれるか思い止まってくれないものか。勇は半ば本気で祈った。


 王太子が勇を救う為の策を講じてると前向きに考えられるのならば差ほど深刻に考えなかっただろうが、何故かそう考えられずにいた。


 先日ランスロットが言ったように小手先の策であの大魔王がどうこうできるわけがないのだ。希望を持つだけ無駄と思うが故に前向きになれずにいた。


 勇はそれよりも眼前で行われている冷戦の経過の方に意識が向く。


 睨み合いのまま小一時間経過したとき、白金の仮面を被った姫子が沈黙を破った。


「どうして桜上くんがそこに座ってるんですか! これみよかしに見せびらかしとか性悪にもほどがありますよ!」


「黙れ小娘」


 絶対零度の冷たい声音が白金卿の抗議を捻じ伏せる。


「勇は我の婿だぞ。婿を同席させて何が悪いのだ? 魔界統治者の配偶者というのは共同統治権を有する、いわばもう一人の支配者なのだ。我に勝るとも劣らない地位で遇するのは当然の処置。貴様の世界でも『郷に入れば郷に従え』という諺があるだろう。我は我の世界の法に基づいて動いてるだけだ」


 法律で配偶者の統治権に関しての記述がまだ曖昧というのに、相手が魔界の法を知らないのを理由にヌケヌケと嘘を言い放つ大魔王。


 案の定、法を持ち出された姫子は反駁出来ず、怒りに拳を震わせながら黙ってしまう。


 そんな姫子を一瞥し、今度はクゥが挑むように口を開いた。


「ここ何回かは出席させてなかったというのに、今日はどういう風の吹き回しなのでしょうか。勇者様を表に出さないとご自分の優位を保てないという解釈でよろしいので?」


「解釈はご自由に。我とてこんな茶番に長々と付き合ってられないのだよ。ここいらで勇が誰のモノであるのか知らしめておく必要が有ると判断したまで」


「本人の意思を無視してる分際で言いますね。厚顔無恥というお言葉がお似合いの愚かな大魔王らしいと思いますよ」


「褒めるならばもっと上手く褒めろ。実力も無いのに民衆に祭り上げられてる分際なのだから学ぐらいは三人前ぐらいにならんとな」


「その戯言は既に数百回聞きました。そちらこそいい加減もう少し語彙豊かな言い方をされてはどうですか」


 セリスとクゥとの距離は十数m程度しかなかった。その十数m間が二人の視線の衝突によって発火せんばかりにきな臭い空気となる。


 長い脚を組みなおし、傲然と胸を反らす銀髪の大魔王は銀色の瞳から放つ鋭い光を二人の女性に斬りつけるように向ける。


「勇と巡り合わせてくれたことを称揚して命だけは助けてやろうというのだ。寛大な心を解さぬ視野の狭い奴めが貴人などなるものではないな」


「余計なお世話です悪魔。おとなしく返せと何千回言えば理解してくださるのですかねその色ボケ頭は」


「大体上から目線とか何様ですか。そんな傲慢な女を桜上君が好きになるわけないじゃないですか。可哀想な妄想も程々にしたらどうです?」


「ギャンギャン五月蝿い連中だ。どうせ勇を返したところで今度は二人で奪い合うだけだろうが。上辺だけの信頼関係なぞゾッとするな。我に噛み付く前に自分らの事を解決したらどうだ」


「ご心配なく。勇者様を取り戻したらすぐさま姫子さんは反逆罪でっち上げて追放か死罪かにする手配は整えてますので」


「黒っ! 聖女だの巫女姫だの敬っている民衆が聞いたらドン引きですよ! ていうかいつの間にそんな手配してたんですか。最初から捨て駒扱いしてたんですか。いいですよいいですよ。桜上君取り戻したら二人で手を取り合って逃げ去ってみせますよ」


「いい度胸してますね姫子さん。そんなに晩節を汚したいですか」


「晩節って、もう私の一生終わり確定ですか!? 横暴です! 専制打倒です!!」


「はっはっはっ、人間の諍いは醜悪極まりないのう。こんな連中に我の大切な勇を引き渡すことは出来ぬなぁ」


「それとこれとは話が別です!!」


 異口同音に反論する姫と勇者を大魔王は嘲笑の態度も崩さず見下している。


 今までの会談もこの調子であった。ここから更にエスカレートしていき、ついには口論というほど上品でも上等なものでもない罵り合いへと行き着くのだった。


 それでもこれまでは互いに語彙を使い切れば黙りこんで睨み合いになり、そのまま時間を費やして閉会していた。


 けれども今回は勇という原因が加わったことで彼女らの闘志はいつも以上に燃え上がっていた。ぶっちゃけて言ってしまえば引くに引けない所にまで来ていた。


 盾になるどころか火に油を注ぐ結果となり、出席者らは計算違いに動揺を隠せなかった。


 彼女らの心理を甘く見ていたというよりも、彼女らの反応が彼らの予測を超えていたのであろう。とにかくも、破局一歩手前は半歩手前にまで差し掛かることとなる。


「テンプレ没個性お飾り姫めが。貴様には確かデカイ剣あったよな? 自分の国でそれ振り回しながら『チャンチャンバラバラ』とか歌ってろ!」


「意味の分からない妄言など口走るこの外道め!! ぶった斬りますわよ!?」


「もうこうなれば破れかぶれです! 両方相手してやるからかかってきやがれです!!」


 卓を叩き上げて怒号する三者。同席する者らは蒼白となり、背中に冷たい汗を流して息を殺して事態を見守るしかなかった。


 会談は決裂して開戦となるか。


 誰もが破局を感じてそう思った。いつ爆発してもおかしくなかった爆弾がついに爆発したようなものだった。


 ことに異世界側の代表団は代表であるマックス王国王太子の不在とその王女の暴発によって勝ち目の薄い戦が行われることに絶望的な表情を浮かべていた。中には立ちくらみを覚えてよろめく者もいる。


 緊迫した空気を破ったのは、一回目と同じく今回の原因ともいえる男の叫びであった。


「休憩だ! 休憩ーー!!」


 一同が視線を集中させた先には、空気に耐えかねた勇が頭を抱えながら議場に轟くように叫んでいる姿があった。

 

 実際勇は鈍い頭痛を会談中感じていた。緊迫した空気や修羅場に幾度も遭遇したことがあるが、この種の修羅場に免疫はないので辟易しきっていたのだ。


 周囲が息を呑む中、雷電の勇者と呼ばれた男は頭を抱えていた手を卓上に移動させ、コップに注がれている水を一息に飲み干した。


 その表情は疲労の色を隠そうともしてなかった。

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