第28話 彼女がいた証し

 ロキエたちは上を見上げる。


 来て欲しくないタイミングで来て欲しくない相手が来てしまった。悔しさで爪が手のひらを食い破りそうなほど拳を強く握りしめる。


「ロキエという人間はどれだ?」


 ザラキエルの言葉にエミルが指を差す。包帯の巻かれた顔がロキエの方を向いた。


「昇天の妨げとなっている存在とはどれほどのものかと思えば、あのときの人間か。つまらん。他は私が押さえておく。先にあれを消せ」


 エミルが頷くと、ザラキエルは大鎌を構えた。


 疑問を口にする間もなく、不可視の斬撃が襲いかかる。あっという間に仲間を分断されるも、咄嗟にルルトがロキエとアルターを連れて飛び退いたため、この三人だけは別れずに済んだ。


 とは言ってもアルターは気を失っており、まともに戦えるのがルルトだけというのはあまりに心許ない。アルターを岩陰に隠して、二人はエミルの前ヘ出る。


「ロキエの存在が、彼女が天使になるのを妨げているとあの天使は言っていました」


「うん、朗報だよ。これで助けられる可能性が上がった」


 そしてザラキエルは、エミルが自分の手でロキエを殺すことに意味を見いだしている。理由はわからないが、おかげで邪魔が入ることなく戦うことができる。


「ルルト一人で押さえられる?」


「問題ありません、と言いたいところですが、正直とても厳しいです」


 苦々しい表情で、けれど彼女は力強く頷いた。


「それでもやります。ここで諦めてしまっては私も後悔すると思うので」


 愚問だったとロキエは苦笑する。できるかどうかではなく、やるかどうか。この場でもっとも重要なのはその意思だ。


「やろう。必ずエミルを取り戻す!」


「はい!」


 二人の決意とともに再び戦いが始まる。


 エミルが剣を振るい、炎を撒き散らす。地面を食らうようにして迫るそれをロキエは天輪で消火。その炎を隠れ蓑に低空飛行してきたエミルがロキエに向けて剣を振るも、ルルトの炎剣が間に差し挟まれる。


 エミルの意識がルルトに向いた瞬間に天使の輪へ手を伸ばすが、あえなく腕を掴まれてしまう。握り潰されそうな握力にロキエは顔を顰め、身体を回転させることで拘束から逃れた。そのまま蹴りで体勢を崩しにかかるが、容易く防がれる。しかし、それでがら空きになった腹部へルルトが膝蹴りを叩き込み、エミルの身体がくの字に折れる。


 エミルは赤い血を吐き出し、後方に飛びすさろうとする。ルルトがその足首を掴んで思い切り地面へ叩きつけようとするが、下から壁のように噴き出した炎が手に直撃し、手放さざるを得なかった。


 ルルトの左手は火傷を負ったが、それはエミルも同じだった。


「心配要りません。軽傷です」


 痛みをおくびにも出さず、彼女は炎剣を構える。


 それでエミルの中で優先順位が変わったらしい。今まで向けていた視線をロキエからルルトに変える。空に浮かび上がると、挑発するように剣先をルルトへ向けた。


 一瞬の躊躇いを見せたルルトだったが、覚悟を決めたように一気に飛び上がる。


 空に白翼が舞い、いくえにも火花が散る。単純な力比べならルルトが不利だが、斬撃の度に炎の出力を変えることで間合いを毎回変化させ、相手に読み切らせない。


 エミルが炎を撃ち出せば、ルルトも同じ手で応じる。剣で来れば炎剣で。素手で来れば素手で。まるでどちらが上かを決めるかのように、二人は真っ向からぶつかり合っていた。


 一進一退の攻防は激しさを増し、しかし、限界が訪れた。ルルトが炎の出力で押し負け、避けたタイミングで突進を食らう。


 辛うじて斬撃は防いだものの、本命は腹部への拳だった。ガードすることもできず直撃を受けたルルトが一直線に降下する。そのまま地面に衝突し、砂煙が舞った。


「ルルト!」


 生きてはいるようだが、返事はない。苦悶の呻き声が聞こえるだけだ。


 もはや空はエミルの独壇場。彼女は浮かんだまま、剣を頭上へ掲げる。その剣先から生まれた炎が膨れ上がり、巨大な炎球が出来上がる。それはとどまるところを知らず、この一帯を焼き尽くすに至るほどまで大きく育った。


 地上にいてすら焼かれるように感じる熱に、ロキエは直感する。


 ――これは防ぎきれない、と。


 どうすればいい。打開する方法はないか。思考を始めるロキエだが、エミルは待ってくれない。


 太陽が落ちてくる。


 死ぬ。もはや諦めるための時間すら与えてはくれない。


 ロキエは呆然とそれを見上げる。迫り来る絶望。


 だが、そこへ向けて一条の光が飛び立った。


「――フェーズ・シフト、アクセラレーション」


 二枚の翼を持つ、片腕を失った少女が天輪を輝かせて炎球へ突っ込む。天使化により発生する膨大な力を炎に変えて、彼女は炎球にぶつかった。


「アルター!」


 彼女の身体を炎が蝕む。同時に崩壊も始まっていく。満身創痍のアルターが選んだのは捨て身の一撃。


「駄目だ、それ以上は!」


 その声が届いているのかいないのか、彼女はなにも答えない。否、すでに喉は焼かれ、言葉を紡ぐことはできないのだろう。


 だからだろうか。彼女はこちらを振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。


 そうして大爆発が起こった。暴風が吹き荒れ、しかし炎が大地を焼き尽くすことはなかった。彼女の命によって、ロキエたちは救われたのだ。


「アルタァァァァァァ――」


 空にはなにも残っていない。熱気の名残だけが風に攫われて、それも徐々に失われていく。


 彼女がいた証しは、どこにも存在しなかった。


「なんで、なんで……」


 ロキエはその場に項垂れて虚空を見上げた。頬を伝う涙が日照った地面に水玉を描く。


 理由など知れていた。


 ――自分が巻き込んだからだ。


 アルターはロキエたちの目的を知らなかった。納得してこの場にいるルルトたちと違い、彼女だけは部外者だった。もしもロキエがエミルを助けようと思っていなければアルターはザラキエルの攻撃を受けなかっただろうし、こうして命を燃やし尽くすこともなかった。


 彼女の死を招いたのは紛れもなくロキエだった。


 エミルが地に降り立つ。先の一撃で力を使い果たしたのか、彼女の剣は炎を纏ってはいなかった。あるいは炎は無駄だと再認識したのかもしれない。


 エミルの角度からではアルターの姿は見えなかったはずだ。火球を防いで見せたのはロキエだと勘違いしているのだろう。おそらくはあれが彼女の全力。それが効かないとなれば、もはや剣しかないと判断するのは当然のことだ。


 今この場にはロキエとエミルの二人しか立っていない。邪魔するものはなにもなく、あのときのようにルルトが助けに来ることはないだろう。


「エミル、僕は間違っていたのかな」


 彼女は答えない。ただ無機質な瞳を向けてくるだけだ。


「君を殺人鬼にしてしまった。僕に覚悟がなかったせいで、多くの仲間を殺させてしまった。こんなの償いきれないよね」


 きっと自分たちは許されない。そう思うからこそ、ロキエは一つの結末を諦めた。思えばどこまでも自分勝手でわがままなハッピーエンドだったのだ。


「もう、終わりにしよう」


 彼女が地を蹴る。翼をはためかせ、低空飛行でロキエに迫る。


「安心して。僕も一緒に逝くから」


 腰だめにした剣先がロキエの心臓を目がけて突き出される。


 これで自分は死ぬだろう。そしてエミルの天使の輪を破壊し、人間に戻った彼女を消失させる。きっとそれが正しい選択なのだ。


 ――あのときの願いを今こそ果たそう。

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