第14話 天眼
天使は変わらず上空に佇んでいる。つまり、あの距離からラルアに攻撃したということだ。 大鎌による攻撃だろうが、どのようにしてラルアに当てたのかがわからない。物理的には不可能な距離。なんらかの仕掛けがあるはずだ。
「今の戦力では記録にない上級天使を相手にできない。撤退する! パルはラルアを連れて先に車両に戻れ。殿は私がする」
「ピーちゃん!」
「時間を稼ぐだけだ。無理はしない」
ピルリスが頷いたのを見て、パルは迷いを振り切ってラルアを抱き上げた。
「なに、すんだ。俺は、まだ――」
「あんなのに勝てるわけないでしょーが!」
不満を漏らすラルアを無視して、パルは森の中へ消えていった。
「貴様らも早く行け!」
ピルリスはこちらに目も向けず、天使を睨んだまま叫ぶ。
「行きましょう」
「でも……」
ルルトに腕を引かれたが、ロキエはその場に踏みとどまった。エミルの方へ顔を向ける。彼女は苦しそうに地面に蹲っていた。
「あれはエミルだ」
ピルリスの攻撃から守ってくれた。明らかに天使がする行動ではない。あの瞬間、間違いなくエミルには意思があった。
「連れて帰れば人間に戻せるかもしれない」
「天使を人間に戻す方法なんてありません。彼女は天使です。たとえエミルという方の意識が残っていたとしても、残滓のようなものでしょう。すぐに正気を失います」
「そんなの、やってみなくちゃわからない!」
ルルトの制止を振り切って、ロキエは駆け出した。
「やはり人間とは傲慢な生き物だ」
声とともに目の前の地面が爆ぜる。そこに引かれた線は、これ以上進むなという警告だろう。
天使はエミルとロキエの中間に降り立った。
「エミルを返せ!」
「返す? すべては主が生み出したのだ。ゆえに返すという概念は存在しない」
「なら、力尽くで――」
ロキエは線を踏み越えた。
向かってくるロキエに対し、天使は大鎌を振るうのではなく、目のあたりに巻かれた包帯をずり下げた。濃紫の瞳がロキエの姿を捉える。
刹那、ロキエの足が止まった。天使への警戒からではない。動けないのだ。足だけでなく、全身が動かない。身体の自由を奪われていた。
「これは、いったい……」
「我が天眼の前に、すべてのモノは静止する」
ロキエだけではない。天使の視界に入っていたルルトとピルリスも動くことができなかった。
その眼は相手を自らの意思で動けなくする力があるようだ。その証拠に、翼を広げて飛んでいたはずのルルトが地面にうつ伏せで倒れている。
能力がわかったところで、すでに敵の術中。このままでは死ぬ。
「さて、面倒だが一人ずつ片付けていくか」
天使が歩き出す。それが向かうのは最も近くにいるロキエだ。
――まずい。
無理矢理に動かそうとするが、指一本すら言うことを聞かない。
死の恐怖が迫り、焦りが募った。失ったはずの人が目の前にいるのだ。絶対に死ぬわけにはいかない。もう一度取り戻せるかもしれない彼女との幸福な日々が、永遠に失われてしまう。それは嫌だった。
「エミル…………」
彼女の名を呟く。それはただ口に出てしまっただけのもの。助けを求めたわけではない。
だから、エミルが上級天使に背後から襲いかかるなど予想できなかった。
しかし、そんな奇襲でさえ上級天使には届かない。振り下ろされた剣は天使の目と鼻の先で静止した。振り返ると同時に天眼でエミルの動きを封じたのだ。
その代わりにロキエたちが自由になった。
「今のうちに撤退だ!」
ピルリスの声に応じ、ルルトがロキエを羽交い締めにする。そのまま翼を広げ、宙へ浮かんだ。
「ルルト! 降ろしてくれ!」
「駄目です。このままでは全滅します」
苦渋を滲ませた声は、彼女も撤退が本意ではないことを示していた。
「いいから! このままじゃエミルが!」
無駄と知りつつ伸ばした手の先で、エミルの口元が微かに笑ったように見えた。
次の瞬間、炎の壁が生じ、彼女の姿は見えなくなった。それはエミルとロキエたちを隔てるだけでなく、上級天使の天眼を防いでいた。これで逃げる途中で静止させられることはない。
「ルルト!」
「いえ、これは私ではありません」
「だったら、これは――」
この場にいる中で炎を扱うことのできる者はたったの二人だけ。
ルルトと――エミル。ルルトが展開したのでないのなら……。
「エミルはやっぱり人間なんだ! 天使になんてなってないんだ!」
暴れもがくロキエだが、ルルトは決して放そうとしなかった。
「ルルト、頼むから! 僕はエミルを助けないと!」
「…………すみません」
炎壁に背を向け、ルルトはロキエを抱えたまま飛び去る。
遠ざかっていくそれに向かって、ロキエは叫び続けた。
やがて炎は衰え、地に伏したエミルと彼女に歩み寄る上級天使の姿が見えた。
伸ばした手は決して届くことはなく、彼女の姿は生い茂る木々に隠れて見えなくなった。
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