第29話 もう一度

 ロキエは胸に飛び込んでくる彼女を、微笑みとともに迎える。


 だが、刃が胸を貫くその刹那、一迅の風が通り抜けた。


「救うんじゃねえのかよ!」


 風圧に剣の軌道が逸れ、それはロキエの胴を掠めた。


「責任取りやがれクソ野郎が!」


 あれだけ文句を言っていたくせに。なんだよそれ。そんなことを言われたら、もう一度願ってしまう。手を伸ばしてしまう。


 最高に身勝手なハッピーエンドへ。


 口端が吊り上がるのを自覚しつつ、勢いのまま飛び込んで来たエミルを抱き留めた。


 逃れようと暴れる彼女の膝蹴りが横腹に突き刺さる。飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めた。


 手放すわけにはいかない。みんなが繋げてくれた希望をここに成さなければならない。


 再び放たれる膝蹴り。それを耐えてロキエは彼女の軸足に足を絡ませる。本来ならびくともしないだろうけれど、今は背中を押してくれる仲間がいた。風の力を借りてなんとか地面に押し倒す。翼は腕で押さえているため、飛ぶことはできない。


「ごめん、エミル。僕も罪を背負うから。だから、一緒に生きてほしい」


 ロキエは手を伸ばし、彼女の光輪に右手を触れさせた。


 天使の輪が弾け、その光が宙へ溶けていく。同時に彼女の翼も粒子となって消え去った。エミルの瞳に光彩が戻り、瞬きをした彼女の唇が微かに震える。絞り出された吐息のような声は、紛れもなく愛おしい人のものだった。


「ロキ、エ……」


「エミル……エミル……よかった。本当に、よかった……」


「ほんと、泣き虫だなあ」


 呆れるような微笑みを浮かべたエミルは、眠るように瞼を閉じた。そのまま身動き一つしなくなる。


「エミル? 嘘だろ。そんな、そんなことって――」


 規則的に聞こえる寝息。彼女の胸はきちんと上下を繰り返していた。


「はは、本当に眠っただけか……」


 穏やかな寝顔にロキエは脱力する。その頬に手を触れると、確かな温度が伝わってきた。


 彼女は死んでいない。崩壊もしていない。天使でもない。


 ちゃんと、生きている。


 助けることができたのだという実感がこみ上げる。けれどそれは素直に喜べるものでもなかった。


 大切なものを得るために、大切なものを失った。


 度合いで言うならエミルの方が大きい。しかし、それでもアルターだって大切な人だったのだ。こればかりは損得で語ることはできない。


 覚悟をしていたって、悲しいものは悲しいのだ。


 だが、無慈悲なる戦場は悲しむ時間さえ与えてはくれない。


 彼方から放物線を描いて地面に激突したのはパルだった。自らが作り出したクレーターの中心で立ち上がる彼女はボロボロだ。その肩には横腹を切られたピルリスが苦悶の表情で担がれていた。


 彼女たちに遅れて飛んできたザラキエルがこちらを見下ろして言う。


「馬鹿な、堕天だと……」


 その視線はエミルに注がれ、やがて明確な殺意が放たれる。


「もはや貴様らに救いはない。主の名の下に鉄槌を下す」


 大鎌が振るわれる。ロキエは直感に従ってエミルを抱きかかえると横に飛んだ。先ほどまでいた場所が巨大な獣に引っかかれたように抉られる。続けて放たれる攻撃を今度は鎌の軌道を予測して避ける。


 大鎌は斬撃から距離の概念をなくしただけで、必ず振った延長線上に攻撃がやってくる。だからその軌道さえわかれば避けることは難しくない。初見殺しではあるものの、すでにロキエは見て知っている。


 しかし、敵はそれを数で押し切ろうとする。攻撃は苛烈さを増し、ついにロキエは逃げ場を失った。


「よお、久しぶりじゃねえか」


 風が鎌の軌道を変え、切り裂かれたのはなにもない地面だった。


 ザラキエルは自らの周囲を渦巻いた風を、大鎌の一振りで吹き飛ばす。


「テメエをぶっ殺さねえと気が済まねえ」


「愚かな。人間風情が我に敵うものか」


 ザラキエルはラルア目がけて急降下する。その包帯が解かれ、濃紫の瞳が露わになった。


 ――その瞳に映ったすべてが静止する。


 回避動作の途中で動きを止めるラルア。大鎌が迫る中、彼は焦りを浮かべてはいなかった。


 両者の間に砂が巻き上がる。それによって視界が閉ざされ、敵の姿を見失う代わりにラルアは身体の自由を取り戻した。


「仕掛けさえわかりゃあ怖くねえんだよ」


 砂に構わず突き抜けてきたザラキエルの大鎌が空を切る。


 地面に這いつくばるようにして限界まで身体を縮こまらせていたラルアが、がら空きの胴体へ風を乗せた拳を叩きつけた。


 ザラキエルは吹き飛んだものの、空中で身体の制御を取り戻して悠々と浮かぶ。目立った外傷もダメージも見られない。


「ちっ……かてえな、おい。何発殴りゃ殺せんだ」


 ラルアの拳から血が滴る。強化されていない素手で天使に挑む方がおかしいのだが、当人は自分の手で殴らないと気が済まないらしい。


「阿呆が。パルの拳でも砕けないのだから、貴様の柔な拳では無理に決まっている」


 パルの肩から降りたピルリスが痛みに顔を歪めながら毒づいた。彼女は流れ落ちる血を忌まわしげに見下ろして、止血剤のジェルを乱雑に塗りたくる。気休め程度のものだが、ないよりはマシだ。


「怪我人は指くわえて黙って見てやがれ。俺がコイツをぶっ殺す」


「侮るなよ、人間。天眼を凌がれた程度で我が屈するとでも?」


「そいつを今から証明してやるっ――つってんだろうが!」


 吼えたラルアが砂風を巻き起こす。視界を封じられても、ザラキエルは構わず天から大鎌を振るった。ラルアの真横を鋭い斬撃が駆け抜け、頬に赤い筋が垂れる。慌てて砂風を解除すると、今度は天眼に動きを封じられる。


「っ――包帯は飾りかよ」


 どうやら目を瞑るだけでも大鎌の能力を使えるようだった。包帯の方に天眼を封じる力があるのかと思っていたが当てが外れた。


 そしてそれはザラキエルの攻撃の幅が広がったことを意味する。視界を封じれば大鎌、晴らせば天眼。どちらを使うのかは自由自在。簡単に切り替えができるため、厄介この上ない。


 それならばと、パルとピルリスがクロスを組んで接近戦を挑むが、まるで赤子の手を捻るように返り討ちにあった。


 天眼と大鎌の力ばかりに目が行ってしまうが、六枚翼だけあってザラキエル自身の戦闘力も高い。加えて大鎌はピルリスの天輪でも傷がつかなかった。エミルの持っていた剣と同じだ。


「くっ、これで何本目だ」


 刀をなまくらにされ、ピルリスは苦虫を噛み潰したような顔をする。ロキエが見ただけですでに三本を消費していた。


「主より授かったこの大鎌が、猿真似に劣るはずがない」


「あ? 猿真似だと?」


 殴りかかるラルアの拳を受け止めて、ザラキエルは天眼を発動させる。


「我らの猿真似以外のなんだと言うのだ?」


 身動きの取れなくなったラルアへ大鎌を振り下ろす。だが、間一髪のところでパルが背後から大鎌を蹴り弾き、そのままの勢いでザラキエルを殴り飛ばす。


 天輪で強化されたパルの拳はもちろん無傷だが、それはザラキエルも同様だった。


「何故貴様らは我らと似た力が使える? 何故貴様らは黄金の輪を持っている? 何故貴様らは天使へ至ることができる?」


 そう。それは誰しもが最初に抱く疑問。そして最初に答えを教えられる疑問。

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