第30話 神が世界を掬うなら
「テメエらをぶっ殺すために決まってんだろうが」
「ああ、なんと哀れな。悪魔に騙されているのか」
天輪は天使の侵略に対抗するために人間が作り出したもの。天使にダメージを与えるには天との紐づきが必要になる。だから天輪は天使の輪を模している。そう教えられている。
「ならば今一度許そう。主へ祈りを捧げよ。それだけが唯一、その原罪を洗い流す道となる」
「なに言ってるのか、いまいちわからないなー」
ザラキエルが饒舌になった今こそチャンスと踏んだのだろう。パルが答えて注意を引き、ピルリスが死角から影のように刀を滑らせる。だが、ザラキエルは見透かしていたかのように鎌で薙ぎ払った。
「何故、許される機会を無駄にする? 黄金の輪は主が賜れた恩寵。それを何故、我らをあだなすために用いる。目を覚ませ。我らが天国はこの地獄とは違い、誰が傷つくこともない幸福な世界。それを何故自ら手放すのか」
「なんだよそれ」
ザラキエルの言い分は、ノアの教えとは根本から異なっている。
だが、納得できる部分はあった。だから天使たちは、天輪使いに対して神に祈れと言うのだろう。ここにいるのは間違いだと、天国へと至る機会を与えられた者に手を差し伸べている。
「だったら、天輪を持っていない人たちは? 成人して天輪を失った人たちは?」
――横で眠っているエミルは?
「救う価値がないってこと?」
「黄金の輪を持たざる者の魂は穢れている。もはや救うに値しない、滅ぼすべき悪魔だ。悪魔こそが世界を堕落させる。その証拠に貴様らは天へ至る機会を騙し取られ、こうして命を散らしている。なんと嘆かわしいことか」
「ふざけんじゃねえ!」
怒号とともにラルアが風檻でザラキエルを包み込む。そのまま大地に叩きつけようとするが、ザラキエルは大鎌を一振りするだけで逃れた。
「ゴチャゴチャうっせえんだよ! 救うに値しない? なんでテメエらに決めらんなきゃなんねえんだ」
天使の言葉は真実なのかもしれない。自分たちはここで矛を収めるべきなのかもしれない。
それでも――。
限られた人間しか救われないというのなら。
掬い上げたその手から、多くの人々がこぼれ落ちるというのなら。
「人間をなめるなよ、天使」
ピルリスが刀の切っ先を天へと向ける。
「俺の道は俺が決める」
ラルアが鋭い双眸で睨み上げる。
「うちらはこれ以上、誰かを失いたくないんだよ」
パルが両の拳を力強く握りしめる。
「そこにエミルがいないなら、僕にとってはどこまでも不幸な世界だ」
ロキエは改めて自らの覚悟を確認する。
それぞれ戦う理由は異なっていたとしても、突き詰めれば同じものにたどり着く。
守りたいものがあって、そのためにこの世界が必要だということ。
たとえ大人たちに騙されていたのだとしても、そこに守りたいものがあったから。
そう。結論はとてもシンプルだ。
ただ単に互いの価値観が違っているだけのこと。だからいつまで経っても平行線で、ずっと戦い続けている。彼らが救いの手を押しつけてくる限り、この戦いが終わることはない。
「それが貴様らの答えか。ならば滅びるがいい。愚かな人間たちよ」
大鎌を振りかぶったザラキエルを炎の奔流が飲み込んだ。
「させません!」
ルルトだ。エミルとの戦いで負った傷は浅くはないものの、戦える状態にまでは回復したらしい。
だが、直撃を受けたはずのザラキエルは無傷で同じ場所に浮かんでいた。
「そんな……」
「ふん。言ったはずだ。猿真似では我に効かぬと」
この場の誰一人、ザラキエルに有効打を与えることができなかった。
「これで粗方の力は知れた。となれば、アレの輪を壊したのは貴様か?」
ザラキエルの鎌の照準がロキエへ向く。
「どんな力かは知らないが、それは主に背く絶対悪。ここで確実に潰しておく必要がある」
襲い来る不可視の斬撃をロキエはエミルを抱えたまま避ける。しかし、徐々に限界が訪れ、身体のあちこちに浅い切り傷が生まれる。ついに横跳びで避けた拍子にエミルを手放してしまい、彼女の身体が数メートル先に転がった。
それを見たザラキエルがエミルに照準を合わせる。
「――終わりだ」
「くっ――」
ロキエは立ち上がり、エミルに覆い被さる。それが罠だと知っていて、それでも躊躇いはなかった。
痛みに身構えるも、それは襲ってこなかった。代わりに全身を風が駆け抜け、一瞬の浮遊感の後に背中を強かに打ちつける。
「いっ――」
「死のうとしてどうすんだクソが!」
ラルアが怒鳴り、ザラキエルを風で牽制する。おかげで追撃は免れ、体勢を立て直す時間ができた。
「ありがとう」
「礼なんざ言ってる暇があったら、さっさとあのクソッタレをぶち殺せ!」
確かにザラキエルはロキエの天輪を警戒している。この力こそが天使の輪を壊せる唯一の手段なのかもしれない。ただ、致命的なことに右手で触れないことにはまったく効果がない。いかにロキエが近づこうとしたところで、天眼によって動きを封じられてしまえばおしまいだ。
表情から考えていたことが伝わったのだろう。ラルアがあからさまに不機嫌な顔をして言う。
「俺らを舐めてんじゃねえぞ」
「ラルア……」
視線だけで殺されるかと思うほど剣呑な双眸。その奥に宿る覚悟にロキエは静かに頷いた。
「テメエら、クソ天使を拘束すんぞ」
「仕切るな。いつから貴様がリーダーになった」
「そうだそうだー」
「不愉快です」
「るっせえ! 黙って仕事しろクソが!」
叫ぶや否や、ラルアが上空から風を叩きつける。ザラキエルは容易く避けるが、そこへルルトが炎剣を手に突っ込む。不可視の斬撃では間に合わないと考えたのか、大鎌による直接の打ち合い。
ザラキエルが天眼を発動し、ルルトは動きを封じられてしまう。だが、炎剣の出力を上げ、視界から逃れることで自由を得る。
「小賢しい」
不可視の斬撃を放とうとするザラキエル。そこへラルアの風によって運ばれたパルが到達。脳天にかかと落としを叩き込んだ。落下した天使が地面を穿つ。
すぐに立ち上がる六枚翼のそれに、ピルリスが接近戦を挑む。大振りな鎌捌きの隙間を縫って、ピルリスの刀がザラキエルを切りつける。刀を切り替えならがらの高速戦闘。傷は増えるものの、大きなダメージを与えるには至らない。
「無駄だと言っている」
ザラキエルが腕で刀をガードする。すでに何度か切りつけている箇所へ食い込み、刀が抜けなくなった。刀身をパージすれば離脱はできる。だが、ピルリスはそうしなかった。
「パル!」
「あいよー」
大地を砕くほどの踏み込みを経て、パルが弾丸のごとく一直線に飛ぶ。
ザラキエルは天眼でパルの動きを封じるが、すでに跳び蹴りのポーズを構えていた彼女はそのまま激突する。彼女の蹴りはザラキエルではなく、刀の切っ先を狙ったものだった。
ピルリスとパルの天輪の合わせ技。凄まじい切れ味に強烈な力。断頭台のごとく、ザラキエルの左腕が飛んだ。
「馬鹿なっ」
動揺を見逃さず、背後からルルトがザラキエルの頭に飛びついて腕で天眼を覆い封じる。パルも絡みついて残った腕と片足を封じ、ピルリスがもう片方を押さえた。
「今です!」
ロキエは駆け出した。この戦いの敵リーダーはザラキエルだ。目の前の天使さえ倒せば終わる。みんな生きて帰ることができる。
あと数メートル。天輪を発動し、右手を握りしめる。
――だが、そこから一歩も動くことができなかった。
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