第1章
第3話 降臨前
最後の一体となった、白いワニのような四足歩行の化け物に右手を触れる。その瞬間、化け物の身体は崩壊し、土塊となって地面に小山を作った。
神は天使の他に聖獣を戦力として投入している。聖獣は動物をベースとした姿をしているが、そのすべてが純白の表皮を持つから判別し易い。
「ふう……」
戦闘終了の通信を受けて一息吐いていると、背中に軽い衝撃が走った。
「お疲れ!」
「……なんだ、エミルか。いきなり背中叩くのやめてって言ってるだろ?」
「なんだとはなによ? 愛しのマイハニーがねぎらいに来たっていうのに」
「い、愛しのって……な、なにを言って――」
「んー、やっぱりロキエの天輪は聖獣に対しては最強だよね! 触れるだけでいいんだもん」
「触れるまでが大変だけどね」
頬を掻いて火照りを隠しながら、ロキエはエミルの全身を見る。目立った怪我がないことを確認すると、安堵の表情を浮かべた。
「えっち」
「なっ――。ち、違うから! ただ、その……」
心配だったからと正直に言うのも恥ずかしいし、上手い言い訳はまったく浮かんでこない。口ごもっていると、エミルはおかしそうに笑い声を上げた。後ろで腕を組んで、こちらを覗き込んでくる。
「心配してくれてありがと! 全然平気だよ!」
「そ、そう……」
ロキエは居心地が悪くなって顔を背けた。なぜか考えていることを見透かされてしまう。幼い頃から一緒にいたからだと彼女は言うけれど、同じ芸当をロキエにはできない。彼女の性格はとても掴み所がないのだ。以前に言い当てようと奮闘したものの、まったく検討外れだと言われて死ぬほど恥ずかしかった。それ以来、二度としていない。
いつもであれば、ここでもう少しからかわれるのだけれど、今日の彼女は少し素っ気ないように思えた。なにか別のことに気を取られているような、そんな感じだ。
「どうかした?」
「……え? ううん。なんでもないよ」
やはりおかしい。ロキエは彼女の異変を探ろうとジッと見つめる。
「そんなに見られると、さすがの私も照れる……」
仄かに頬を染めながら、エミルは左手で頬を掻く。
それを見て、ロキエはようやく気がついた。
「天輪を見せて」
「え、どうしたの? 見てもなにもないよ?」
「エミルは右利きだよね。天輪を隠したいから左手で頬を掻いたんでしょ?」
「いやいや、左手で頬を掻きたいときだって――ちょっ」
「やっぱり……」
エミルは困ったような笑みを浮かべ、頭を掻いた。
「あはは、フェーズ・シックスになっちゃった」
彼女の天輪に刻まれた模様。それを構成している線は――六本。
「私もとうとう引退かー」
天輪にはフェーズが存在する。フェーズ・ワンから始まり、実質フェーズ・シックスまで。フェーズが上がるごとに天輪の力は強まるが、シックスに到達した者は戦線から離脱しなければならない。
セブンに至ると天使化してしまうからだ。
必然、戦場での主戦力はフェーズ・スリーとフォーとなる。ロキエの天輪はフェーズ・フォーだ。
「どうして……この前フェーズ・ファイブになったばかりなのに」
天輪使いのフェーズシフトの平均は一年に一度。天輪を使えば使うほどフェーズシフトが速まるが、一ヶ月もたたないうちに上がるのは異例中の異例だった。
「思ってたよりかなり早いけど、仕方ないよね。引退したらどうしよっかなー」
「裏方に回るんでしょ?」
「まあそうだよね。今から普通の仕事とかできっこないし。あとは……」
新しい玩具を見つけたかのように目を輝かせたエミルは、満面の笑みでロキエを小突く。
「結婚して子供作らなきゃだよね」
「――っ」
「おやおや? 顔が赤いぞ? どうしたのかな?」
ロキエの反応を楽しむエミル。
必死に顔を逸らして見られまいとするが、彼女は執拗についてくる。
「旦那さんはどうしよっかなー。特に相手がいなかったら、天輪の相性で決められちゃうんだってね。私って案外運いいから、凄いのに当たりそうな予感!」
「…………」
「ねえ、ロキエはどう思う?」
「知らないよ」
「なに拗ねてるの?」
「拗ねてない!」
逃げるように歩き出したロキエの背中に、先ほどより大きな衝撃が走る。前のめりに転びそうになったのをなんとか堪えた。
「危ないだろ」
背中に飛びついてきた彼女に非難の目を向けると、超至近距離から顔を覗き込まれた。じっと見つめてくるので、なんだか照れくさくなって顔を背けてしまう。
「ロキエがどうしてもって言うなら、結婚してあげてもいいよ?」
「な、なんでそうなるんだよ……」
彼女の声が大きくて、周囲から生温かい視線を送られてしまう。非常に居心地が悪い。今すぐに逃げ出したいけれど、それはそれで変な噂になりそうだ。
エミルはニコニコしながら返事を待っている。なにか答えないと解放してくれそうにない。どうするべきか。いつもなら話題を逸らしてはぐらかす。ただ、エミルはもう引退するわけで、そうなると本当に誰かと結婚してしまうかもしれない。
天輪は二〇歳になると消えてしまうから、天輪使いを産むには成人までに結婚して子を作る必要がある。エミルはロキエの一つ上の一七歳だから、あまり時間がない。その上、彼女の天輪はとても強力だから引く手あまただろう。
ここが運命の分かれ道だろうか。しかし、いつもからかってくる彼女のことだから、ロキエの反応を楽しむために言っただけという可能性もある。その場合、真面目に答えたらいい笑い者だ。
頭を抱えていると、エミルは嬉しそうに笑みを深めていた。
やはりからかっているだけか。
「そういえば――」
誤魔化そうとした声を、誰かの怒号が遮った。
振り返ると同時、天から稲妻が駆け降りた。刹那、大地が爆ぜ、視界がホワイトアウトする。
咄嗟にエミルを抱き寄せ、右手の天輪を発動できたのは運がよかったとしか言えない。もしも彼女がからかいに来なかったら、ここまで話題を引き延ばさなかったら、助けることはできなかっただろう。
視界が戻ったとき、周囲は焼け野原だった。あれだけいた隊員たちが、ロキエとエミルを除いて死んでいる。死体は判別のつかないほど黒焦げになっていた。
それを為したのは離れたところに舞い上がるたった一体の天使。翼は六枚。一部隊丸ごと投入してかからなければならない相手だ。二人ではどうしようもない。今、生きているだけで奇跡だ。
「……ロキエは退いて」
「え? まさか、あれと戦おうとか思ってないよね? 勝てるはずないだろ」
「でも、向こうは私たちを見逃すつもりはないみたい」
天使はこちらにゆっくりと飛んでくる。逃げても無駄だと言わんばかりの傲慢さ。だがそれが事実なのだろう。逃げたところですぐに追いつかれることは想像に難くない。
「応援を連れてきてよ。それまで時間を稼ぐから」
彼女の言うことはわかるし、ロキエがこの場にいても足手まといだということは明白だ。天使を攻撃できないのだから、実質一対一。右手で対応できない攻撃が来れば、ロキエはただの足手まとい。天使を相手にそれは致命的な弱点となる。
「大丈夫。絶対に死なない。約束する」
有無を言わせぬ物言いだった。
「約束だからね」
「ロキエこそ、道草食わないでよね! ほら、行って!」
彼女に背中を押され、ロキエは駆け出した。振り返りたい気持ちを堪え、全速力で駆ける。背後から爆音が響き、戦いが始まったことを知らせる。大丈夫。大丈夫だと言い聞かせ、余計なことを考えないようにする。
次第に音が遠ざかり、聞こえなくなったと思った瞬間、空が燃えるように赤く染まった。遅れて先ほどよりも大きな轟音が響き渡る。それっきり音は途絶えた。
「エミル、まさか――」
不安に駆られたロキエは慌てて来た道を引き返す。最後の炎は間違いなくエミルのものだ。それなら彼女が勝ったのかもしれない。もしそうなら前代未聞だ。たった一人で六枚翼の天使に勝てるはずがないのだから。
人影が見えてきた。
果たして、そこにいたのはエミルだった。
「エミル、よかっ――」
ぐさり、と。肉を貫く音が自分の内からした。剣が引き抜かれ、腹部から大量の血が撒き散らされる。
そこにいたのはエミルではなかった。四枚の翼を背に広げ、天使の輪を頭上に備えたモノ。
エミルの顔をした天使だった。
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