第27話 罪の翼
「…………エミル」
拓けた大地。その頭上。空に浮かぶ四枚翼の天使。銀色の髪が風になびき、陽光を浴びて煌めく。その手には両刃の剣が一振り。鋭利な光を照り返す。
その後方には焼けただれた大地が横たわっていた。肉の焦げた悪臭がここまで漂ってくる。
ついに彼女は犯してしまった。人間をその手にかけてしまった。その罪に彼女は耐えられるだろうか。今も耐えているのだろうか。
「エミル、もうやめるんだ!」
声に反応して、彼女はロキエに視線を移す。その瞳にはなんの感情も浮かんでおらず、ただ虚ろだった。
「…………キエ」
「そうだよ。僕だよ。思い出して」
「ロキエ…………ロキエ、ロキエロキエロキエロキエロキエロキエ」
小刻みに身体が震え、目が見開かれる。まるで操り人形のような不自然な動きがやがて収まると、剣を突き上げた。
「障害を排除する」
剣先に火球が生まれ、次第に膨らんでいく。
させまいと飛び出すルルト。翼を広げ、エミルに向かって突き進む。大技を諦めたエミルが火球を撃ち出すも、ルルトは最小限の動きだけで避け、速度を落とすことなく炎剣を振り上げた。すかさずエミルは自らの剣で迎え撃つ。
激しい鍔迫り合いに火の粉が舞い散った。拮抗したかに見えたが、エミルが強引に剣を押し切った。
一直線に地面を墜とされるルルト。すれすれのところで翼の制御を取り戻し、その場に滞空する。
「前よりも強くなっています」
それだけエミルが昇天に近づいているということだろうか。
エミルはルルトに目もくれず、炎を纏った剣を薙ぐ。弧を描く炎刃がロキエに向けて放たれた。空気をこがし進むそれは、しかしロキエの右手によって跡形もなく消え去る。
この程度なら天輪の力で防ぐことができる。遠距離攻撃でロキエを殺すには相応の質量を用意しなければならない。だが、エミルが最初に試みたように大技を繰り出そうとすれば空を飛ぶことのできるルルトとアルターが横やりを入れて邪魔をする。
空にいたままではロキエに届かない。
そしてそれはロキエたちにも言えることだった。空に対応できる天輪使いが五人中二人しかいない。エミルを地上へ引きずり下ろさない限り、残りの三人は役に立たない。
加えてルルトとアルターはエミルと同じ火の天輪だ。似た力同士では効果が薄く、有効打となりにくい。戦闘が長引けば他の天使が集まってくる可能性があり、それでは勝ち目が薄くなる。
両者の思惑によって、自然と接近戦へもつれ込んだ。
あくまでもエミルの狙いはロキエで、執拗に攻撃を仕掛けてくる。
ピルリスとパルが立ちはだかるも、エミルは攻撃を難なくかわし、いなし、反撃を加えるものの追い払う程度で深追いはしない。
ついにロキエの眼前へ躍り出たエミルは炎を纏った剣を袈裟に振り下ろす。
ロキエは天輪を発動させて剣の軌道に右手を差し出すが、嫌な予感がして咄嗟に手を引っ込める。避けつつ剣の腹に右手を当てて弾き、なんとか軌道を逸らした。
天輪によって剣の周囲を取り巻いていた炎は絶えたものの、剣自体は消えなかった。
ロキエは横に転がりながら距離を取って、手の甲で冷や汗を拭う。ピルリスの刀でも切れなかった剣は、ロキエの天輪を受けてなお健在だった。
この結果がわかっていたからこそ、エミルはなんの躊躇いもなく振ったのかもしれない。
追撃を仕掛けてくるエミルに、ルルトが割って入って牽制する。
今のでエミルは接近戦が有効だと判断したはずだ。ロキエを殺せるのは炎ではなく、あの剣だと。
望むところだった。剣を消失させることができなかったのは想定外だが、それでむしろ近づいてくれるならありがたい。剣の間合いであれば、手を届かせるタイミングが必ず訪れる。あとはそれを待ちつつ、避けることに集中すればいい。
だが、そう簡単にはいかなかった。
エミルは炎を撒き散らし、こちらが作った包囲網を強引に乱す。生まれた隙間を飛び抜けて剣を突き出した。
それを辛うじてかわしたロキエだが、腹部へ彼女の蹴りが突き刺さった。怯んだところに振り下ろされた剣を、ロキエはエミルの腹部へタックルすることで避ける。
押し倒せるかと思いきや、エミルは足を一歩下げただけで踏みとどまった。
肘打ちを背中に受け、ロキエは地べたに這いつくばる。
剣を逆手に持ったエミルが腕を振り下ろすが、横合いから飛び込んで来たピルリスの刀が弾いた。さらにパルが反対側から胴体へ跳び蹴りを叩き込む。
吹き飛ぶエミルだが、空中で翼を広げて受け身を取った。
互いに一歩も譲らない攻防。
エミルは体勢を立て直そうとしたのか、空へ上がろうとする。しかし、背後から忍び寄っていたルルトが羽交い締めにし、彼女を地に縛り付けた。
「今です!」
ロキエが地を蹴ると同時、エミルががむしゃらに暴れ出す。力でルルトを剥がそうとするも、パルが合流して動きを封じる。
「いけー!」
高速で脈打つ心臓を黙らせて、必死に足を回転させる。チャンスを逃すまいと全速力で駆け、その手を伸ばす。もう少しで届く。エミルを助けられる。
だが、横から体当たりを受け、ロキエは地面を転がった。
「アルター! どうし……て――っ!」
「安堵、し……ます。あなた……怪我、ない……」
胴を袈裟に深く切り裂かれ、鮮血を撒き散らすアルター。その左腕は二の腕から先が消えていた。
ゆっくりと倒れてくる彼女をロキエは呆然とした表情で受け止める。アルターに庇われたのだとすぐには理解できなかった。
動揺から生まれた隙を突き、エミルが拘束を逃れて空へ上る。
その先にいたのは大鎌を持つ、六枚翼の天使。
「ザラキエル!」
誰かが叫ぶが、ロキエには遠い声に聞こえた。
「なんで……」
「いません。あなたに…………代わり。います。……私」
アルターは少しだけ誇らしげに口角を上げる。役目を果たしたと言わんばかりに、満足げな表情をしていた。
「アルター!」
ルルトが駆け寄り、アルターの頬に手を添える。
「気をしっかり持ってください。大丈夫。まだ助かります」
今にも泣き出しそうな震えた声。今から運んだところで助からないことは明白だった。それほどに傷は深い
もちろん、それはアルター自身もわかっているようで、彼女は諭すように首を横に振った。
「返し、ます……これ」
アルターが前髪に手を伸ばし、髪飾りを取ろうとする。その手をルルトが握り止めた。
「これはあなたにあげたものです。ずっと持っていてください」
「不要です。私、壊れる」
「絶対に死なせません!」
ルルトは自らの服を破いてアルターの口に噛ませる。
「痛みますが、我慢してください」
「? ――――あがっ」
声にならない絶叫をあげて、アルターの身体が跳ねる。ロキエはそれを必死に押さえつけた。ルルトが炎で彼女の傷を焼くたびに、ロキエははねのけられそうになる。苦痛に涙をこぼすアルターから目を背け、彼女を救うためだと自分に言い聞かせた。
傷は塞がり出血は抑えられたものの、アルターは弱りきっていた。素人の荒療治なのだから当然の結果だった。
「すみません。ですが、これしか……」
謝るルルトの声は彼女に届いていない。すでにアルターは気絶していた。
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