第4章

第22話 それは同じと呼べるのか

「……キエ……きて。ロキエ、ロキエってば」


 身体を揺すられて目が覚めた。仄かな緑の匂いが温かな風とともに鼻腔をくすぐる。気持ちのいい日差しを手で遮ると、眩しくて見えなかった彼女の顔が見えてくる。


「エミル」


 彼女のことを認識してすぐに、これが夢なのだとわかった。彼女は大人の姿をしていた。綺麗だった彼女が成長すればこうなるだろうな、という美人さんだ。


「もう、いつまで寝てるの」


 芝生の上でロキエは身を起こした。周囲にはなにもない。ただ緑の地面がどこまでも続いている。


「ごめん、つい」


 夢の中で、ロキエはエミルと結婚していた。それはずっと思い描いていた未来だった。そして、もう実現しない妄想だった。


「せっかく家族三人でお出かけしてるんだから」


「おとーさん、おかーさん!」


 小さな女の子がこちらへ駆け寄ってくる。だが、顔だけがぼやけて見えなかった。


「●●●、おいで」


 エミルの胸の中に女の子が飛び込む。エミルが呼んだ名前は耳鳴りにかき消されて聞こえなかった。


 娘の名を呼ぶ。しかし、音が出なかった。それでも娘は満点の笑みを浮かべて、首にぶら下がってきた。


 それはとても心地の良い、幸福な時間だった。


 だからロキエは再び瞼を閉じた。失ったものから目を背けるために。




*



 ゼルエルを倒すことに成功したものの、その戦いで多くの天輪使いを失うこととなった。絶えることのない天使との戦いに、戦力低下は死活問題だ。一刻も早く天輪使いを補充する必要がある。だが、彼らの育成には時間がかかった。とてもではないが間に合わない。


 そうして発表されたのが、アルター・モラリスシリーズだった。


 曰く、彼女たちは人間ではない。ただの兵器だ。


 曰く、彼女たちはフェーズ・シックス――最大戦力の状態で投入される。


 曰く、彼女たちは天使になると同時に自己崩壊する。


 彼女たちの登場によって、戦場は劇的に変化した。今まで積み上げられていた人間の死体は数を著しく減らし、代わりにアルター・モラリスの残骸の山ができた。


 天輪使いたちは上層部の言葉を信じていなかった。


 アルター・モラリスは人間のように喋り、人間のように血を流し、人間のように死んでいく。それは死んでいった仲間たちに似ていて、だからこそ兵器だなどと思えるはずがない。


 しかし、反対の声が少ないのもまた事実だった。


 彼女たちを兵器だとすれば、天輪使いが戦う機会が減るからだ。それは自身の生存確率をぐっと押し上げる。


 アルター・モラリスは壊れてもすぐに補充される。見た目はすべて同一。自身を兵器と認識しており、命令には絶対に従う。彼女たちは自壊を恐れない。むしろそれこそが本懐だと告げる。


 その異常さもまた、彼女たちを使うことへの罪悪感を薄れさせた。


「おい、聞いてるのか」


 リーベの声にハッとして顔を上げる。彼女は呆れた顔で後ろ髪を掻き上げた。


「上官を無視して考えごととは、随分と偉くなったな」


「あ、すみません……」


 怪我の治療が終わり、今日から復帰することになったロキエは彼女に呼び出されていた。その間に起きたことについて説明を受けていたのだが、アルターの話を聞いて以降まったく頭に入って来ない。


「あまり考えるな」


「でも……」


「彼女…………アレはそういうものだ。そういう風に作られたんだ」


 決してそんなことはないとロキエは思う。いや、思いたいだけなのかもしれない。戦って死ぬためだけに作られたなんて悲惨すぎる。


「まあ、お前のそういうところは嫌いじゃない」


 ロキエの髪をくしゃくしゃと撫で回し、リーベは柔らかな笑みを浮かべる。


「今日は休暇だ」


「え、ですが――」


「元々うちの部隊は休暇だ。アルター・モラリスが出てきてから人間が出る機会は減ったからな」


 不満を浮かべるロキエをたしなめるように、彼女は彼の肩を抱いて扉まで連れ添った。


「今すぐに割り切れとは言わん。少しずつでいい。だが、そうしないと心が先に死ぬぞ」


 送り出されたロキエは背後の扉が閉まった後も動けずにいた。そこへルルトが不安に顔を陰らせて駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか?」


「うん、平気だよ」


 ロキエを元気づけようとしたのか、彼女は手を握ってくれた。


 ルルトの冷たい指先は震えていた。


「おかしなことを、考えてないですよね?」


「おかしなことって?」


「それは…………」


 ルルトは言い淀む。彼女の思っている『おかしなこと』を伝えることで、ロキエが行動を起こしてしまうのではないかと不安なのだろう。


 それがわかっているから、ロキエは知らない振りをする。


 ゼルエル戦でアルター・モラリスの光の輪を壊したとき、天使化が止まったことをロキエは上に報告していなかった。知っているのは近くにいたルルトだけで、幸い彼女も報告はしていないようだった。


 天使化の際、天輪使いの能力値は一気に跳ね上がる。昔はその力を利用しようとした動きが見られたものの、天使化を止めることができずにいくつもの都市が滅んだ。以来、天使化を止める方法は存在しない、とされている。


 アルター・モラリスシリーズは天使となる段階で身体を崩壊させ死に至らしめることで、天使化の膨大な力を使用できるようにした。


 だがもし、天輪使いを殺すことなく天使化を止めることができたなら。ノアはそれを必ず利用する。そしてその場にはロキエが必要だ。


 ノアにとってロキエは唯一無二の存在。自由は奪われ、自ら戦うことはできなくなるだろう。


 天輪を壊せばエミルが人間に戻るかもしれないのだ。この右手に彼女を救う可能性がある。だが、上層部に知られればその希望は潰える。


 ならば答えなど決まっていた。


 ただ、一人で成し得ることではない、ということもわかっていた。ロキエでは天使を押さえ込むことができないため、天使の輪に触れることは極めて難しい。第三者の――それもかなりの実力者の協力が必要だ。


 頼めばルルトは協力してくれるだろう。だが、彼女だけでは足りない。第一三部隊のメンバーに協力を仰ぐのが望ましいが、許諾してくれる保証はない。彼らにとっては眉唾ものだろうし、命を賭してまでエミルを助ける動機がない。


 八方塞がりだった。


「伝えます。こんにちは」


 つい先日聞いた声に、ロキエはハッとして振り返った。


 処女雪のような白い長髪を揺らし、紅い目をぱちくりとさせる少女。


「…………アルター」


 生きていたのか、という言葉を寸前で飲み込んだ。違う。彼女はアルター・モラリスではあるが、あのとき一緒に行動した個体とは異なる。


 顔に出てしまったようで、アルターがわずかに眉根を下げた。


「推察します。体調不良。推奨します。休眠」


「もうたくさん寝たから大丈夫だよ」


 彼女は頷いて横を通り過ぎるが、少し歩いたところで立ち止まった。


「質問します。壊れる、悲しい理由は」


 突然の問いかけに戸惑っていると、彼女は言葉をつけ足した。


「補足します。私たちは記録を共有可能。死の直前のデータは曖昧。ただ、泣いていた。あなた」


 彼女は当たり前のことのように言う。兵器らしい機能ではあるものの、人間に付与していることを考えると寒気がした。思考を振り払って、ロキエは彼女の問いに答える。


「知ってる人が死んだら悲しいよ」


「否定します。私は人間ではない。ただの兵器」


 どう説明すればいいだろうと考えたところで、ロキエに邪悪なアイデアが浮かんでしまう。


 アルター・モラリスの平時の能力はそこまで高くない。だが、その数と天使化した際の膨大な力によって戦況をひっくり返している。


 もしもその力を借りることができたなら、エミルの動きを封じることができるのではないか。


 ロキエの天輪があればアルターが天使化で崩壊する前に止められるかもしれない。


 だが、彼女たちが共有している記憶を上層部も見ている可能性がある。事情を明かして頼むのは危険といえた。相応の信頼関係を築き、実行に移したときに頼みを聞いて貰うほかない。


 浅ましい考えだと、ロキエは自嘲する。アルターは兵器ではないと言っておきながら、都合のいいときだけ利用する。しかし、それでエミルを助けることができるのなら、躊躇うことなどしない。


「そうか。アルターが兵器だっていうなら、使わせてもらおうかな」


「訝しみます。なにをさせようとして……」


 ニヤリと笑みを浮かべるロキエ。アルターは微かに眉根を寄せた。

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