第23話 あの娘とあり得た未来
ノアの支部は黒色のドームに包まれている。空を飛ぶことのできる天使からの攻撃を防ぐためだ。中にはノアが保有する施設の他に、民間人が暮らす街が入っている。
天使や聖獣がいるために民間人は外ヘ出ることができず、街の中だけで暮らさなければならない。そのため、娯楽は充実していた。
天輪使いが命を賭して戦っているのに民間人が娯楽とはなにごとかと、自粛すべきとの声も当初はあった。だが、娯楽の数々は戦いに疲れた天輪使いたちの癒やしとなり、むしろ推奨されるまでになったのだ。
また、民間人が幸福な生活を続けていけることこそが天輪使いたちの誇りでもあった。今では休暇や気分転換と言えば街に繰り出して遊び歩くことだ。
交友を深めるなら街が最適だろう。というわけで、ロキエはアルターを連れて大通りへやってきた。
ノアの食事は栄養バランスに重きを置いており味気ない。反面、道の脇に並ぶ露店からは食欲をそそる匂いが漂ってくる。
「なにか食べたいものはある?」
「…………回答します。不明」
アルターは困惑した表情でロキエを見つめる。
「好きなものはないの? 甘いものとか」
「わかりません。ありません、補給」
甘いものを食べたことがない、ということだろうか。
女の子は甘いものが大好き――エミルがそう言っていた――だから、パフェでも食べに行けばいいかと思っていたので困った。
すると隣にいた――当然のようについてきた――ルルトが声高に言う。
「私はパフェが食べたいです!」
「あ、ええと…………」
今日はアルターと仲良くなるために来たのだ。ルルトの意見を優先させるわけにはいかない。
却下しようとしたそのとき、横から腕を引かれた。
「賛同します。パフェ」
「え、でも甘いもの好きじゃないんでしょ?」
「否定します。パフェに興味」
アルターがルルトに気を遣ったように見えるが、本人が興味があると言っているのでよしとする。
ルルトは自分の意見が通ったにもかかわらず、何故か渋い顔でアルターを睨んでいた。仲が悪いのだろうか。
だが、ここに来るまでの間、ルルトはなにかとアルターに世話を焼いていたし、アルターのルルトに対する態度は好意的に映った。
今も足を止めて街並みを眺めていたアルターにルルトが駆け寄り、はぐれないようにと注意している。しまいには手を繋いで歩き出した。
「なんか姉妹みたいだね」
「全然似てません」
「賛同します。相似なし」
「あ、うん。全然似てないけど、なんか似てる」
彼女たちの言う通り、容姿はまったく似ていない。当然、血のつながりはないのだろう。だが、なぜだかそう思えるのだ。
「よくわかりません」
「賛同します。理解不能」
なんだかとても微笑ましくて、ロキエは笑みを漏らす。
ルルトが決めたのはカラフルな色調の店だった。若者向けで、客のほとんどが女子。
入った瞬間からロキエは自分が異物に思えて仕方がなく、気後れしてしまう。だが、店員の案内に従ってずいずいと彼女たちが行ってしまうから、意を決する間もなく後を追いかけなければならなかった。
通されたのは奥まった席で、表からはもちろん他の席からも見えにくい位置だった。ロキエのおどおどした様子を見て、気を遣ってくれたのかもしれない。
四人がけの席にルルトがアルターと並んで座る。ロキエは彼女たちの向かい側に座った。
「ここはデラックスパフェが美味しいんです」
「来たことあるの?」
「はい。パルさんと…………あっ」
言ってから、ルルトは『しまった』という顔をする。叱られるのを待つ子供のように、恐る恐るといった風に口を開く。
「部隊に入る女子の通過儀礼で拒否不可と言われたので、その、遊んでいたわけでは……」
基本的にルルトはずっとロキエと一緒にいた。唯一長い間行動をともにしていなかったのは、ロキエが拘留されていたときだ。その間、ルルトの監視役はパルが務めていた。パフェに行ったのはその期間だろう。
「僕が狭い部屋に押し込められてた間に、ね」
「あ、あの……ですから、その…………」
慌てふためくルルトの姿がおかしくて、ついからかいすぎてしまった。涙目になる彼女にロキエは手を合わせる。
「ごめん。冗談だよ」
「…………もう」
安堵のため息を漏らすルルト。そんな彼女とロキエの顔を交互に見てから、アルターは首を傾げた。
「否定します。所属しません。第一三部隊」
「え、違うの?」
てっきり再び配属されたのだと思っていた。よくよく思い返してみれば偶然ブリーフィングルームの前を通りかかっただけで、誰の口から聞いたわけでもない。ただの思い込みだった。
「謝罪します。帰還」
立ち上がりかけるアルターをルルトが無理矢理座らせた。
「通過儀礼以外でも食べていいんです。食べたいときに食べます」
「理解しました。着席」
注文からほどなくして大きなパフェが届いた。ロキエの肘から指先までの長さと同じくらいのそれには、派手な店に相応しくカラフルな球体がちりばめられている。
見ているだけで口の中が甘ったるくなるパフェに、ルルトは目を輝かせていた。スプーンを握る彼女の肩がぴょこぴょこと跳ねる。早く食べたいという欲求が全身から漏れ出ていた。
だが、ルルトは我慢していた。隣に座るアルターがパフェを不思議そうに眺めるのを見つめている。どうやら彼女の反応を見るまで自分は食べないつもりらしい。
二人の視線に気づいたアルターは、ようやくスプーンを握りしめた。手のひら全体を使った握り方をルルトがたしなめ、ペンを持つような握り方を教える。そうしてようやくアルターはパフェの頂点に乗った白いクリームを掬い上げ、口に運んだ。
瞬間、目を見開いたアルターの瞳は星が弾けるようだった。言葉を紡ごうとして口を開くが、空気を吐き出すだけで音はない。言語化を諦めたのか、彼女はパクパクとパフェを食べ進んでいく。
その反応に、ルルトは満足げに頷いて自らもパフェにスプーンを入れる。
ロキエは一枚のパンケーキを頼んでいたのだが、それを食べ終える前に彼女たちは完食していた。二人の食べっぷりに食欲を失い、パンケーキを半分ほどで断念。目を光らせたルルトが食べたそうにしているので差し出すと、アルターと分け合ってあっという間にたいらげた。
甘いものは別腹だと熱く語っていたエミルを思い出す。彼女が特別だと思っていたのだが、どうやら違うらしかった。
「驚愕します。世界にこれほどの美味が」
「はあ……幸せ…………」
紅茶を飲みながら感慨に浸る二人。表情が蕩けているルルトは言わずもがな。表情に乏しいアルターですら頬が緩みきっていた。人は食べ物だけでここまで幸せになれるのか。
「要求します。もう一つ」
「いけません。至高の一杯を味わうためには食べ過ぎは禁物。ここは歯を食いしばって耐え、己の中で荒れ狂う欲望を抑え込んでください」
明らかにいつものルルトではない。スイーツは人格すら変えてしまうのだろうか。恐る恐る尋ねると、彼女は頬を染めて尻すぼみになる声で言った。
「…………と、パルさんが仰っていました」
ああよかった、とロキエは安堵のため息を漏らした。
食後はぶらぶらと街を巡った。
急速に距離を縮めていく二人に、ロキエは疎外感を覚え始める。入る余地がない。仲睦まじい姉妹の保護者になったような気分だ。
洋服や雑貨、大道芸など色々なものを見て回った。見慣れているはずの景色が、二人と歩くだけで少し違って見えて新鮮だった。
あっという間に時間が過ぎて、夕暮れ時となった。ベンチに座り、沈みゆく人工太陽の光を眺める。
はしゃぎ疲れたのかルルトは瞼を閉じかけていて、アルターに至ってはルルトにもたれかかるようにして船をこいでいる。
永遠と見続けていられる幸福な絵。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。天輪使いには門限が定められており、夜遊びは禁止だ。寝不足や体調不良で命のかかった戦いに支障を来すわけにはいかないからだ。
促すと二人は、のそりと立ち上がり、ゆらゆらと歩き出す。途中、突然パッと目を見開いたルルトが露店へ身を乗り出した。そこではアクセサリーを扱っていた。金属にはめ込まれた色とりどりの石。宝石ではない安物だが、そのカジュアルさが若者には人気らしい。特に天輪使いは戦いのせいで身につける類いのものを壊しやすいので、高価なものは嫌煙される。
ルルトはその中から髪留めを一つ選んだ。アルターの瞳の色と同じ紅の石が、人工太陽の光を帯びて燃えるように煌めいている。それをアルターの前髪に留めた。
「プレゼントです」
「戸惑います。なぜ」
「アルター・モラリスシリーズは全員が同じ容姿なので見分けがつきません。今日一緒に遊んだアルターがあなただとわかるように、あげます」
「戸惑います。余計に。ありません。見分ける意味。私は兵器」
「そう、ですか…………わかりました。では――」
しゅんとしたルルトはアルターの前髪から髪留めを外そうと手を伸ばす。しかし、アルターは素早く両手で前髪を隠してルルトから一歩離れた。
「受領します。ルルト見分けたい。しぶしぶ」
「はい、見分けたいです」
ロキエは彼女たちのやり取りを黙って眺めていた。
きっとこの会話もアルター・モラリスシリーズは共有する。だから見分けることにあまり意味はない。違う個体に今日のことを話しても、同じ結果が得られるだろう。それはアルター自身が理解している。ルルトだってきっとわかっているはずだ。
それでも、今日過ごしたアルターは彼女ただ一人だ。
だからロキエは無粋な言葉を飲み込む。
ちょっぴり嬉しそうに口元を緩めるアルターを見てしまったら、意味がないなんて思えなかった。
「帰ろうか」
三人は並んで歩きだす。
ロキエは当初の目的を諦めることにした。アルターに協力を仰げば、彼女は死んでしまうかもしれない。エミルを押さえ込むために、彼女は躊躇いなく天使化するだろう。ゼルエル戦で無残な姿となったアルターと同じ末路を、目の前のアルターには歩んでほしくなかった。
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