第3章
第15話 彼女との約束
施設で育つ子供たちには両親がいなかった。その代わりここのみんなが家族なのだと、先生はよく言っていた。
「ロキエくん、どうしていつも一人でいるの?」
そうやって大人たちは優しい声色で、おかしなものを見るような目を向けてきた。仲良くしなくては駄目だと、彼らは呪文のように繰り返す。
ロキエだって、他の子供たちと仲良くしたいと思っていないわけではなかった。ただ、できないのだ。相手に話しかけるのが怖かった。相手の視線に、こちらに向けてくる感情に耐えることができなかった。
一人でいれば怖くなかった。寂しさはあったけれど、怖いのよりはマシだった。
そんなロキエに周囲も近づこうとはしなかった。
――たった一人を除いて。
「ねえねえ、なにしてるの?」
銀色のショートカットは活発そうに見える彼女にとてもよく似合っていた。赤の混じった銀色の瞳には強い光が宿っていて、とても目映く思った。
目が合った途端、何故か頬が熱くなった。ロキエは慌てて顔ごと背ける。
彼女は最近になって別の施設から移動してきた子だった。それなのに彼女の周囲にはいつも誰かがいて、ロキエとはまるで正反対。彼女にとって他人と仲良くすることは息をすることと同じくらい自然なことなのだろう。
だから、周りの制止にも構わずロキエに話しかけてきたのだ。
「べつに……」
「ふうん」
そう呟くと、彼女はロキエの隣に腰を下ろした。
ちなみに、ロキエはなにもしていなかった。ただ呆然と壁を見ていただけだ。だからすぐに飽きて行ってしまうと思っていた。
だが、その考えは甘かった。
彼女はロキエと同じようにずっとそうしていたのだ。
夕食の時間になり、ようやく彼女は口を開いた。
「ねえ、これってなにがたのしいの?」
「たの、しい……?」
楽しくてやっているわけではないから返答に困った。壁を見つめていると頭が空っぽになって、なにも考えなくてよくなる。時間の流れが曖昧になって、気づいたら一日が終わっている。だから壁を眺めている。ただそれだけだ。
それをなんとか伝えると、彼女はつまらなそうに「ふうん」と言い、続けた。
「じゃあ、私とおしゃべりしよ! その方がたのしいよ!」
「おしゃべりならいつも他の子としてるでしょ」
「私は君とおしゃべりしたいの!」
まるで太陽のように笑うから、胸の奥がじんと温かくなる。
「私はね、エミルっていうの! 君は?」
「僕は…………ロキエ」
「じゃあロキエ、ゆうごはん食べにいこ!」
差し出された柔らかそうな白い手。握ってよいものなのだろうかと悩んでいると、痺れを切らした彼女がロキエの手首を掴んだ。
「もう、はやくはやく!」
「わっ、そんなに走らないで」
バタバタと二人は廊下を駆けていく。
ロキエは転びそうになりながらも、足を必死に動かした。手首から伝わる彼女の温度に頬が紅潮する。こんな風に心臓が跳ねるのは初めてのことだった。
その日から、エミルは常にロキエの隣にいた。
「たまには、ほかの子とあそんだら」
「そしたらロキエがかわいそうだから」
ムッとして言い返そうとするが、それは叶わなかった。
エミルが屈託のない笑みを浮かべて言う。
「それに、ロキエといるのたのしいよ! ロキエもそうでしょ?」
ロキエは口ごもって俯いた。否定したいのに、首を振ることができなかった。だって、彼女の言う通りだったから。
寝るときは男女別々だ。だから寝るときと起きるときは、彼女が隣にいない。そのことが毎日たまらなく寂しかった。すぐに彼女に会いたいと、起きるなり部屋を飛び出すのだ。
孤独だった少年は、少女によってすっかり調教されていた。
そう、だからすべて彼女のせいなのだ。この後にあんな恥ずかしいことを言ってしまったのは。
エミルが隣を離れようとしたとき、ロキエは彼女の服の裾を掴んだ。
「いなくならないで」
今にして思えば、彼女が隣を離れるのは珍しいことではなかった。きっとそのときはトイレに立とうとしただけだろう。
エミルはその言葉を聞いて目を丸くした。そして笑みを噛み締め、ロキエに抱きついた。
「ずーーーーっといっしょにいてあげる!」
*
「……嘘つき」
久しぶりに恥ずかしい夢を見た。
ロキエは呆然と壁を眺めながら、彼女の言葉を反芻する。
「…………ごめん」
頭は空っぽになんてならなかった。彼女を見捨てた事実が心にさざ波を立てて止まない。
彼女との約束を破ったのは自分の方だ。彼女がいなくなってしまったのは自分のせいなのだから。
ロキエがいるのは自分の部屋ではなかった。規則違反や罪を犯した天輪使いを収容するための部屋だ。とはいっても物々しくはない、ごく普通の内装。ただし、扉は外側からしか開けることができない。また、室内では天輪の発動を封じられているため、自力で脱出することは不可能だった。
ロキエは三日経ってもまだ痛む頬に触れる。
*
あの後、ロキエたちは無事に第三支部へ帰還することができた。
だが、ロキエがエミルを助けようとしたために、第一三部隊との間に決定的な亀裂が生まれてしまった。
帰りの装甲車の中では誰一人として声を発さなかった。
ラルアの傷は酷いものだったが命に別状はなく、ピルリスが応急手当をした。彼は意識を失っていたが、苦しげな呻き声は漏れ続けた。
その様子をロキエは黙って見ていた。
もしもロキエがエミルを庇っていなかったら、ラルアは大怪我を負わなくて済んだかもしれない。あの大鎌を持った上級天使がやってくる前にエミルを倒し、そのまま引き返せたかもしれない。
第三支部に到着後、ラルアを医務員に引き渡してすぐにピルリスが詰め寄ってきた。
「貴様は自分がなにをしたかわかっているのか?」
荒々しい手つきで胸ぐらを掴まれ、彼女の鋭い眼光が間近に迫った。怒りと殺意に満ちた彼女の眼差しに、ロキエは視線を逸らすことしかできなかった。
「あの場で全員が死ぬかもしれなかった。いいや、それだけではない。貴様のせいで――貴様が逃がしたせいで、誰かがあの天使に殺されるかもしれない」
エミルは中級天使にあたる。まず間違いなく、彼女によって殺される天輪使いは出るだろう。天使を逃がすということは、失われるはずのなかった命が失われるということなのだ。
温度の低い声で、ピルリスは言った。
「――貴様が殺すも同然だ!」
「そうならないように、僕は彼女を連れ帰って――」
「連れ帰って、なんだ。それで支部にいる人たちを殺させるのか?」
「違います! エミルを人間に…………」
「ふざけるな!」
頬に強烈な痛みが走る。ピルリスの拳をまともに受け、無様に地面を転がった。起き上がる気力もなくてそのままでいると、彼女が馬乗りになってくる。また胸ぐらを掴まれたので、もう一発殴られるかと身構えたが、彼女の振り上げた拳はパルによって押さえられていた。
「ピーちゃん……」
「……天使になったら殺さないといけないんだ。そう、しないと…………」
彼女はダラリと腕を下げて、ロキエの上から退いた。そうしてスタスタと歩き去ってしまう。
パルはこちらを一瞥したが、ピルリスのことが心配だったようで彼女の後を追っていった。
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