第16話 釈放

 任務報告後にロキエの行為が問題となり、こうして拘置されて今に至る。


 刑罰はまだ言い渡されていない。ただ、前例に基づけば天使を幇助する行為は死罪だ。


 いずれにせよエミルとはもう会えないだろう。彼女はあの場で上級天使に殺されたか、連れ去られて完全な天使へと昇華させられる。


 上級天使さえ現れなければ――とは思わない。たとえエミルを連れ帰ることができたとしても、人間に戻す方法がない。ピルリスの言った通り支部の人間が殺されるか、あるいは彼女自身が研究員の実験材料にされるだけだろう。そんなことは言われるまでもなくわかっていた。


 結局のところ、もうどうしようもないのだ。


 ロキエは脱力して頭を横に振った。起きていると余計なことばかり考えてしまう。


 ベッドで横になろうとしたところ、扉が叩かれた。


 ロキエは口を開こうとはしなかった。音を立てないように、まるで石像になったかのように動きを止める。


「ルルトです」


 扉が開くことはなかった。ロキエとの面会は禁止されているのだ。本来なら話しかけることすら許されていないのだが、リーベが手を回したのかもしれない。


 ルルトはあの日以来、毎日ここを訪れていた。


「体調はどうですか?」


 ルルト以外、ここを訪れることはなかった。


 それはそうだろう。ロキエは裏切り者だ。第一三部隊のメンバーから嫌われこそすれ、心配されることはない。唯一の例外がルルトだ。


「早く出られるようにリーベさんにお願いしてます。きっと、もう少しで」


 いつもならここから彼女の近況についての話になる。


 昨日は再度レクウィエスの森へ、大所帯を連れて調査に行ったそうだ。だが、そこには戦いの跡が刻まれているだけで、天使の姿は見られなかったという。聖獣も平常時の数に戻っていた。念のため調査は継続。第一三部隊は外され、別部隊に引き継がれた。


「一緒に、エミルさんを探しに行きましょう」


 ロキエにとってエミルという少女の存在がいかに大きかったか、ルルトなりに考えてくれたのだろう。ロキエの行動のせいで彼女だって死にかけたのに。向けられる優しさが棘となって心に突き刺さる。


 自分は心配してもらえるような人間ではないと、そんな価値なんてないのだと、言ってしまいたかった。それができないのは――しないのは、一人になることに耐えられないからだ。怖いからだ。なにも変わっていない。成長なんてちっともしていない。


 ルルトをエミルの代わりにしようとしている。そうしたら楽になるとわかっているから。もうエミルは死んだことにすればいい。


 彼女自身が言っていたじゃないか。自分のことは忘れろ、と。


 ロキエは静かに扉へ歩み寄る。第一声が思い浮かばない。けれど、名前を呼べば彼女は応えてくれるはずだ。


 息を吸った瞬間、扉の向こうから囁き声が聞こえた。


「だめだめー。そんなこと言ったらルーちゃんも捕まっちゃうよ?」


 ロキエは咄嗟に息を止めた。


 どうしてパルがここにいるのだろう。考えてから、愚問だったことに気づく。


 入隊してまだ数日しか経っていないのだから、ルルトがたった一人で支部内を歩き回れるはずがない。ロキエという監視役がいなくなった今、第一三部隊の誰かがその任に就くのは当然だ。


 パルは今までも近くにいたのだろう。だが、決して話しかけてはこなかった。そこに断絶した距離を感じる。ただでさえ信頼されていなかったのだから、もはや仲間とも思われていないかもしれない。


 もう戻る場所なんてない。


 なら、ルルトが言ったように二人でエミルを探しに行くというのも悪くない。


「お前たち、いつまで油を売ってるつもりだ?」


「リーちゃんこそどーしたのー?」


「規律を破る悪ガキを懲らしめにきたんだ」


「あ、あれー? ここに来るのは暗黙の了解で許されてるんじゃ……」


「そんなものした覚えはないが」


「悪魔だ!?」


「冗談だ」


「……上の冗談ほど笑えないものはないよー」


 ただでさえうちの部隊は問題ばかりで鬱陶しがられてるのに……、とパルが小さく呻く。


「わかってるなら改善しろ。私も肩身が狭いんだ」


 リーベの声が近づいてきて、扉の前で止まった。


「解錠」


 言葉とともに扉が開かれ、リーベと目が合う。


「おやおや、盗み聞きとは趣味が悪い」


「い、いや、これは……」


 気まずい。非常に気まずい。リーベはともかく、他二人の視線が痛い。


 するとリーベの脇からルルトが飛び込んで来た。


 咄嗟の反応ができず、ロキエは抱きつかれた状態で倒れ込む。ルルトに馬乗りになられ、頬を両側から挟み込まれた。


「心配しました」


「あ、うん……」


「とても心配しました」


「その、…………ごめん」


「もう少しで扉を破壊して中に入るところでした」


 お前は本当にやりそうだから怖いな、とリーベがぼやく。


 黙り込んだルルトが、じっと見つめてくる。一秒が異様に長く感じられた。永遠かと思われた時間を進めたのは、彼女の安らかな微笑みだった。


「よかったです」


 なにが、と聞くほど野暮ではなかった。それだけ彼女に心配をかけ、不安にさせたということだ。


「ありがとう」


「はい」


 まるで世界に二人だけしかいないような錯覚。


 もちろん、錯覚でしかない。


「あー、あー、ごほんっ。不純異性交流を確認。斬首に処す」


「これはサンケルウス引きずりの刑だねー」


 どちらも死ぬことに変わりないが、リーベの方が痛みの少ない死に方なだけ良心的と言えるかもしれない。


「大丈夫です。私が守ります」


 すごく久しぶりに笑ったような気がした。


 だが、ロキエは自らの置かれている状況を思い出し、リーベの発言がまったく笑えない冗談だということに気づく。


「…………執行が決まりましたか」


 ここから出るということは、そういうことなのだろう。


「え――」


 ルルトから表情が消えた。そしてすぐに天輪を発動させようとするが、炎は現れない。


「この部屋が天輪を封じてなかったら今頃丸焦げだったな」


 リーベがクールな面持ちで言うものの、冷や汗がだらだらと垂れていた。その場面を想像してしまったのだろうか。ルルトの両肩をがっちりと押さえ、部屋から出られないようにしてから口を開いた。


「常に人員不足の私たちだ。貴重な天輪使いを遊ばせておく余裕はない」


「え、じゃあ……」


「ああ、釈放だ。休んだ分、きっちり働いてもらうからな。覚悟しとけよ」


 リーベが渾身のウインクを放ち、肩をポンポンと叩いてくる。彼女の口元に浮かぶ笑みは、ロキエの心にじわりと温もりをもたらした。


 理由は釈然としないものの、殺されずに済んでよかったと思う。自分のことを心配してくれる人がいる。死んだらきっと悲しませてしまう。なら、死ぬわけにはいかない。


「リーちゃんどんな手使ったのー? いくらリーちゃんでもー、自分の権限で釈放なんて無理だよねー?」


 途端、リーベの顔が曇る。言いにくそうに後ろ髪を掻きむしった。


「ああ。上層部より直々にご指名だ。詳しくはブリーフィングルームで話す。もう全員が集まっているはずだ。お前らを除いてな」

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