第19話 前線へ

 遠くに見える巨大なシルエット。手足が短く、ほとんど胴体だけのそれは丸々太った肉団子のようだ。規則的な地響きはゼルエルの進行によるものだろう。あちこちから聞こえる怒号や悲鳴が戦場の苛烈さを嫌でも教えてきた。


 ゼルエルは森のことなど気にもせず、木々をなぎ倒しながら向かってくる。ここに生息している聖獣たちにとってはいい迷惑だろう。


 森に足を踏み入れると先日の一件を思い出してしまう。


 だが、自らの過ちについて思い悩むような時間は与えられなかった。


「来たぜっ!」


 待っていましたとばかりにラルアが叫ぶ。


 現れたのは三体のサンケルウス。白の体毛と角にこびりついた鮮やかな血がラルアたちの殺意を駆り立てる。


 前回戦った個体よりも身体が一回り大きいものの、敵は戦闘の後。万全な状態ではなく、身体のあちこちに傷があり、消耗している状態だ。


 そして前回と違うのはこちらも同じだった。


「雑魚に時間をかける余裕はない。ルルト」


「はい!」


 ピルリスからの指名にルルトが前に出る。その手から生み出された炎が、生を得たようにうごめいた。あっという間にサンケルウスを囲み、逃げ道を塞ぐ。炎円は一気に中心へと縮小し、殺人に飢えた獣を焼き尽くす。けたたましい鳴き声とともに身体が焦げ落ち、サンケルウスはあっという間に灰となった。


 サンケルウスを瞬殺できたはいいものの、ルルトの放った炎は周辺の木々にまで燃え及んでいる。このままでは森全体に火が広がってしまう――かと思いきや、炎は瞬く間に勢いをなくし、ついに消え去った。


「よし、このまま一気に前線まで駆け抜ける」


「ちっ、つまんねえ」


 ラルアは自分が戦えなかったことに不満を漏らしつつ、不承不承にピルリスに従う。


「質問します。ルルトの天輪は炎?」


 森を駆けながらアルターが問う。


「はい、そうですが」


「できません。私の天輪。炎を消せない」


 アルターは右小指の天輪を見せる。彼女も炎を生み出す天輪使いだ。


 エミルもそうだったから、ロキエも彼女が言っている意味を理解できた。通常は炎を出すことはできても、消すことはできないのだ。


「私は炎を操ることもできます。このように」


 言ってルルトはその手に炎の剣を作り出した。


「形状を変えられるだけじゃなかったんだね」


「私が生み出したものなら自由自在に操ることができますし、消すこともできます」


 ルルトはアルターの完全な上位互換といえるだろう。アルターが真似をして炎剣を作り出して見せるが、剣というよりは手から炎を噴き出しているだけだ。


 アルターがわずかに顔を顰めている。彼女はピルリスのように無表情というよりは表情に乏しいタイプだ。


 ゼルエルに近づくにつれ、聖獣の数は増え、そこに天使が混じり始めた。多くは翼が二枚の下級天使だが、当然ながら中級天使も姿を見せた。


 今回の作戦には第三支部の半数以上の戦力が投入されており、それだけ両者の本気具合が窺えた。


 他部隊が戦闘を繰り広げている合間を縫って、ロキエたちは駆け抜ける。第一射まで時間がない。発射されるまでにロキエが最前線までたどり着けなければ、ここにいる天輪使いたちはみんな死んでしまう。


 苦戦を強いられている仲間たちを助けずに進む後ろめたさを振り切って走った。


 だが、ゼルエルに近づく異分子を敵が黙って通すはずもない。ロキエたちの前に聖獣と天使が立ちはだかる。


 天使は天輪使いと同じように様々な能力を使ってくる。だからこそ下級天使一体でも厄介なのだが、眼前に現れたのは五体。この人数では突破するのも一苦労だ。


「パル、ラルア!」


「おっけー」


「ちっ、仕方ねえな」


 腕を振りかぶるパル。その手のひらにピルリスが着地すると、天使めがけて力いっぱいに振り抜いた。弾丸のごとく飛翔するピルリス。通り抜け様に宙にいる天使の一体を刀で両断すると、ラルアによって速度を緩められ、反転。まるで壁があるかのように空中を蹴って切り返す。


「あれは……」


「ピルリスさんが蹴ると同時に、ラルアが風を噴出させて足場にしているんだと思います」


 息の合った連携によって二体目の天使が真っ二つに切断されて地に墜ちた。続けてもう一体を屠るも、すでに彼女の刀は刃こぼれでなまくらと化していた。


 ピルリスの天輪は刃に対して切断力を向上させるもの。普通なら切れないものですら切ってしまうのだから、武器への負荷は相当なものだ。必然、使い続ければ武器に限界が訪れる。


 また、その力は刃がついていなければ発動しない。つまり、今のピルリスは天輪を行使できないということだ。


 丸裸同然となったピルリスへ、好機を見逃さず二体が両側から挟み撃ちにかかった。いくら空中に足場を作ったところで、己の翼で自由に飛ぶモノに機動力で劣るのは必然。


 だが、ピルリスの表情に焦りは見られない。


 ピルリスが柄のボタンを押すと、刀身だけが外れた。落ちていくそれには目もくれず、彼女は背負っている箱に柄を差し込んだ。


 次の瞬間、彼女は真新しい刀身で二体の天使を切り伏せていた。


 天使の残骸とともに落ちるピルリスの身体は落下速度を緩められ、無事に地面に足を着けた。ラルアの天輪によるものだ。


「ピーちゃんの天輪は武器をめちゃくちゃ消費するんだよねー。安物だと一発で壊れちゃうからー、特注の刀を使ってるんだけどそれでもすぐに壊れちゃうからさー。あの箱の中にたくさん刀身が入ってるんだってー」


 刀そのものを何本も持つのは柄と鞘がある分だけ物量と携帯性に劣り、非効率。だから刀身のみをあの箱に詰め込んでいるのだ。


 それでも刀を持っていることには変わりない。箱いっぱいに詰め込まれているのだとしたら、かなりの重量だろう。それであの身のこなしなのだから、細身の身体に凝縮された膂力は計り知れない。


 あっという間に五体もの天使を屠ったピルリスは涼しい顔をしていた。ただ、なにかを探すように視線が下を彷徨っている。


 彼女のもとに駆け寄る途中、ロキエは足元に落ちていた刀身を拾い上げた。


「……もう使い物にならなそうですね」


 放り捨てようとしたロキエの手首を、ピルリスがさっと掴む。


「えっ――」


 間近に迫った彼女の顔。まったくの無表情に気圧されていると、彼女はロキエの手から刀身を取り上げた。


「…………感謝する」


 まったく異なる方を向いて言うものだから、自分への言葉なのだと理解するのに時間がかかった。


「い、いえ……」


「行くぞ」


 彼女は刃こぼれした刀身を箱の中にしまい、走り出した。


 感謝されたことが意外すぎて呆けていると、パルがロキエの背中を思い切り叩いた。咳き込むロキエに、彼女は笑いながら言う。


「ピーちゃんはぶっきらぼうだけどー、ちゃんと他人に感謝の言葉を伝えられるいい子なんだよー」


 ロキエたちは順調に前線へ上がっていった。


 基本的にロキエは戦闘に参加せず、アルターが護衛についている。残りのメンバーで立ち塞がる敵を掃討していった。


 ようやく最前線にたどり着いた頃、ちょうど通信が入る。


『リーベだ。前線へはたどり着けたか?』


「はい、なんとか」


『よし、ゼルエルに高エネルギー反応だ。第一射に備えろ!』


 間に合った。そう思っていた矢先、聖獣が襲いかかってきた。

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