第18話 二人の過去

 接敵までおよそ二時間。車内では逐一届けられる上級天使に関する情報の共有と、作戦プランが話し合われていた。


「ようするに一発も撃たせず殺しゃあいいんだろ」


「だからー、それができないから苦労してるんだよー」


 今回は運転手がいるため、全員が会話に加わっている。


「こいつの出る幕はねえっての」


 ラルアの言葉にルルトが口を開きかけるが、ピルリスがそれを遮るように言った。


「命を預けられるほど貴様のことを信頼できない。一射目すら耐えられず――耐えようとせず、私たちを道連れにするのではないか?」


「そんなことしませんよ!」


「どうだか」


 ピルリスはロキエから視線を切ると、刀の手入れを始めた。会話すら拒絶する態度だ。


「「「「「…………」」」」」


 居心地の悪い沈黙を断ち切るように、パルが咳払いをした。


「上級天使ゼルエルかー。まさか飛べない天使がいるとはねー」


「敵が飛べないのであれば、空から攻撃するのはどうでしょうか」


「うーん。資料によると空にも聖獣がいるから、地上と変わらないかもねー。というか、この中で飛べるのルーちゃんだけだし一人じゃ大変だよー」


「それこそ無駄死にだっつうの」


「おやおや、ルーちゃんのことを心配してるのかなー?」


「んなわけねえだろ! ぶっ殺すぞ!」


 声を荒らげたラルアは壁に拳を叩きつけた。ただ、拳を痛めてしまったようで、わずかに顔を顰めると舌打ちをした。


「報告します。私にも翼」


 言うなり、アルターの背から二枚の翼が広げられる。形が少し歪ではあるものの、十分に空は飛べそうだった。


 そこへ何故かルルトが勝ち誇った笑みを浮かべて自らの翼を広げる。


「私は三枚です」


「訝しみます。奇数」


「そういえばどうしてルーちゃんの翼は奇数なの?」


「…………わかりません」


 先ほどまでとは一転して、ルルトは意気消沈して肩をがっくりと落とした。


 本人が望んで奇数枚にしているわけではないのだから、気にしなくていいとロキエは思う。これから成長するとともに翼が生えてくるかもしれない。


 その後はたわいない会話と沈黙を繰り返している間に目的地へとたどり着いた。先日も訪れたレクウィエスの森だ。まだゼルエルとの距離はあるが、ここからは聖獣を相手にしつつ進まなければならない。


「貴様と行動するのは、これが任務だからだ。またおかしな真似をすれば容赦なく叩き切る。そのことを忘れるな」


 車両を降りながらピルリスがぴしゃりと言う。彼女の鋭い眼差しには、怒りの炎が静かに燃えているように思えた。


 先を行くピルリスたちに遅れて、ロキエも歩き出す。そこへパルが速度を落として横に並んできた。


「ピーちゃんのこと、嫌いにならないでほしいなー」


「はい…………悪いのは僕ですから」


 嫌いではないが苦手意識はある。誰だって自分のことを嫌っている相手には進んで近づきたいとは思わない。


「ピーちゃんは昔ね、大切な人が天使化しちゃったんだって」


「大切な、人……」


「姉のように慕ってた相手だったみたい。ピーちゃんもね、殺せなかったんだよ」


 それはロキエとまったく同じ状況だった。過去の自分とロキエを重ね、自己嫌悪からくる怒りをぶちまけているのだろうか。


 だが、パルの悲愴な面持ちがそれを否定していた。


「天使になったその人は――――ピーちゃんの実の妹を殺しちゃったの」


 ロキエとの決定的な違いがそこにはあった。


「残酷だよね。大切だった人が、大切な人を殺すなんて」


「その、天使は……」


「気づいたらバラバラになってたって」


 ピルリス自身の手で天使を殺したのだろう。彼女の天輪であれば天使をバラすことなど造作もないはずだ。大切な人を二人も亡くしたショックと、それが自分のせいであるという罪悪感に飲まれ、狂乱状態に陥っていたのかもしれない。そのせいで記憶が飛んだ可能性が高い。


 彼女が異様な敵意を向けてくる理由がわかった。


「ピーちゃん、今はあんな感じだけど、昔はもっと笑ってたらしいよ」


 ピルリスにとって天使化した天輪使いを見逃す行為は重大な罪なのだ。彼女が犯してしまった取り返しのつかない過ち。きっと今も彼女は自らを責め続けているのだろう。


 だからこそピルリスはロキエを許せない。一度だけでなく二度も天使を逃がした。被害が出ていないのは、ただ単に運がよかっただけだ。その幸運はいつまで続くだろうか。あるいは、もう……。


「もしかしてラルアも?」


「うん。親友がね。その子が天使になる前に、自分の手で殺したんだって。強いよね」


 それを強さと呼ぶのかどうか、ロキエにはわからない。ただ、ラルアにはロキエが持つことのできなかった覚悟があった。それを為す決意ができた。


 苦渋の決断だったに違いない。いったい彼はどれだけ自分を殺したのだろう。


「まー、ラルアくんは前からあんな感じみたいだけどねー」


 しゃべり過ぎちゃったね、とパルは片目を瞑る。口元に人差し指を当て、小首を傾げた。


「二人には内緒だよー?」


 ロキエは頷いてから前を行く二人の背中を見つめる。


 ラルアが失敗した結果がピルリスなら、さらに失敗を重ねた姿が今のロキエだ。彼らが並々ならぬ怒りを向けてくるのは当然といえた。


 ならばパルは――。


「うちはないよー。みんな天使に殺されちゃったからねー」


 思考を見透かされた上に、それは彼女に言わせるべき内容ではなかった。


 ロキエが言葉を探していると、パルは変わらぬ雰囲気のまま苦笑を滲ませる。


「気にしないでー。こんなのよくあることだからさー」


 この世界で人間の命は恐ろしく軽い。天使や聖獣によって簡単に摘み取られてしまう。天輪使いであるならなおさらだ。


 だが、よくあることだから平気だということにはならない。そんな簡単に納得できることではない。


「ロキエくんは優しいんだね」


 でもね、とパルは真面目な顔をして、その目に強い意志を宿らせる。


「あの二人ほどじゃないけど、うちだって怒ってるからね。うちはこの部隊の誰にも死んでほしくないから。だから――」


 ロキエの目を真っ直ぐに見据える。


「次までに覚悟を決めておいて」


「…………はい」


 ロキエは自身に問いかける。


 ――エミルを殺すことができるか。


 選択肢はイエスのただ一つだけだとわかっているのに、すぐに答えを出すことができなかった。

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