第26話 決別

 戦場は想像以上の苛烈さを極めていた。どこを見ても死体が転がっている。その多くはアルター・モラリスだ。リーベの話では生産された全機体を投入し、その数は二部隊分にも届くという。


 製造についての情報は最高機密扱いのためロキエの知るところではないが、人間と同じものを短時間で用意できるはずがない。第一三部隊に配属される以前から量産は始まっていたのだろう。


「どうしました?」


「いや、なんでもないよ」


 ロキエは無意識にあるものを探していた。見つからないでくれと願う一方で、あるだろうと思ってしまう。


「もしかして、髪留めを?」


 ルルトの指摘に、ロキエは口をつぐんだ。あれは死体を見分けるために買ったものではない。生きている彼女を認識するための符号だった。そう、ルルトが望んだのだ。彼女の前で口にするのは憚られた。


 だが、彼女も同じだったようで、今にも泣き出しそうなほど弱々しく苦笑した。


「実は、私もです。彼女たちの髪にあれがないことを確認する度、安堵してしまいます。たくさんの人が死んでいるのに、あの子が生きていることを嬉しく思ってしまう。最低ですよね」


 そんなことはない。喉まで出かかった言葉が、突っかかったように出てこない。


 すべてアルターなのに、彼女たち一人ひとりが一つずつの命なのに。そこに重みを置いてしまう己の浅ましさに嫌気が差す。


 ただ、彼女たちの死体を見過ぎて感覚が麻痺していることは確かだった。それだけ多くの命が失われた。けれど彼女たちは完全ではないものの全員の記憶を共有している。誰かが失われても、誰もが代わりとなりうる。


 肉体は死んでも記憶は生き続ける。そのことが彼女たちの死を一層軽くしていた。


 ロキエは自分の頬を両手で叩いて喝を入れる。


「今は集中しよう。絶対に失敗はできないんだから」


 エミルは一人しかいない。アルターへの罪悪感を胸の奥底に沈めて、気持ちを切り替える。


 ロキエたち第一三部隊は遊撃を担っている。早い話が適当に動き回って天使と聖獣を狩れるだけ狩れというわけだ。


 ザラキエルやエミルを倒すのは別の部隊の役目だが、偶然遭遇してしまう分には問題ないだろう。というわけで、一行はエミルの姿を探して駆け回っている。あちらも同じだろうから、時が経てば必ず遭遇するはずだ。


 一応、任務も忘れてはいない。派手に暴れれば暴れるだけ、強い天使が来る確率は高まる。だから出会った敵を片っ端からなぎ倒していく。


 まるで大地を均すように、横一列に並んだサンケルウスが迫る。手のひらを広げたような形の角が木々をなぎ倒し、四足は減速することなく大地を蹴り続ける。


 凄まじい威圧感に、近くにいた別部隊の天輪使いが狼狽する。


「うっせえんだよクソが!」


 ラルアが一蹴し、前に出た。彼は額に青筋を張り、目を尖らせ、ため込んでいただろう鬱憤を目の前の敵にぶちまける。吹き荒れる暴風は、しかし意志を持つように一点に集中して敵の列を乱した。空いた隙間に飛び込んだピルリスとパルが、がら空きになったサイドからサンケルウスを突き崩していく。


 あっという間に統率は乱れ、混戦にもつれ込んだ。


 ロキエとルルトも戦いに参戦し、着実に勢力を削いでいく。


 ある程度数を減らしたら、残りは別部隊に任せて先へと向かう。進めば進むほどエミルに近づくはずだ。


 付近で立ち上る火柱が目に入った。断定はできないが、彼女の可能性はある。


 駆け出したロキエに他のメンバーも続く。だが、そこにいたのはエミルではなかった。


「アルター!」


 声に振り返った彼女の髪にはルルトがプレゼントした髪留めがあった。


「推奨します! 回避!」


 彼女の前にそびえ立つ巨躯。アルターが幼子に見えるほどの体格差を持つライオンのような顔の聖獣――サンリエフだ。記憶に新しいものの、両手が振り上げるは自身の背丈を超えるほどの長剣。鉄の塊を剣の形に整えた程度の見栄えだが、その膂力と重量をもってすれば切れ味など必要ない。


 盾を持たず、どこまでも攻撃に特化した個体が剣を振り下ろす。大地が割れ、抉られた土石がロキエたちに襲いかかった。


 アルターが炎で防ごうとするが、むしろ熱せられた散弾となって威力を増した。食らえば彼女は蜂の巣だ。


「――くそっ!」


 間に合わない。知っていてなおロキエは駆け出し、手を伸ばす。


 散弾に飲まれる――寸前で彼女の身体がもの凄い速度でロキエの方へ向かってきた。


「え――」


 そのまま体当たりを受け、受け止めきれずに一緒に飛ばされる。なんとかアルターを腕に抱いて地面を転がった。その甲斐あってかロキエは腕を擦りむいたものの、アルターは無事だった。


 荒れ狂う土石はラルアの風が敵に送り返す。アルターを救ったのも彼だろう。


「ラルア、ありが――」


「うっせえ殺すぞ!」


 殺意の溢れる双眸がロキエを睨みつける。続きを言えば問答無用で天輪を使われそうな雰囲気に、ロキエは大人しく口をつぐんだ。


「大丈夫ですか?」


 ルルトが駆け寄ってくる。彼女が真っ先に目を向けたのはアルターの方で、ロキエは少しだけ寂しい気持ちに駆られた。


「報告します。問題なし」


「よかったです。生きていてくれて」


「感謝します。助力。苦戦しています。強敵」


 サンリエフは無傷だった。低い地鳴りのような雄叫びが身体を震わせる。通常の個体よりも大きな身体は凄まじい威圧感を与えてくる。


 アルター一人で押さえていたわけではないらしい。周囲には彼女と同じ顔が変わり果てた姿でいくつも転がっている。


 今まで戦ってきたサンリエフとは格が違うということは十分にわかった。


 サンリエフが踏みしめる。それだけで地面が砕け、空気が揺れた。その姿が霞むと同時、パルもまた同じように飛び出していた。


 両者の中間で空気が爆ぜる。拳を打ち合わせた状態からパルが身体を捻り、敵の拳を蹴り上げる。踏む込もうとしたところに繰り出された横薙ぎの巨剣を小柄な身体で器用に避けて、横腹に重く響く一撃を加える。続けて二打、三打と叩き込むが効いている様子はなく、むしろ激しい反撃にパルが後退を強いられた。


「硬すぎるんだけどー」


 手をひらひらさせながら苦笑する。パルの拳はすりむけて血が滲んでいた。


 サンリエフはパルを逃がすつもりがないらしく、執拗に彼女へ攻め立てる。


 そこへピルリスが死角から足に一閃を入れる。だが、強力な切れ味をもってしても傷が深いとは言えない。


「化け物か」


 盾を持たないのは攻撃に特化しているからではなく、持つ必要がないほどに強靱な肉体を持つがゆえ。硬い敵には打撃が有効なはずだが、ダメージを受けている様子はない。むしろ、攻撃は勢いを増している。


 ピルリスの刀はすぐに使い物にならなくなり、替えを余儀なくされる。その隙を突かれ、ピルリスに鉄の塊が襲いかかった。替えるには間に合わず、ボロボロの刀身では受けきれない。


 逡巡の間に致命となったそれを、ルルトとアルターの炎がわずかに軌道を逸らした。ピルリスはそれに合わせて身体を捻って間一髪のところで事なきを得る。


 絶対的な防御力。物理的な攻撃では歯が立たない。だが、そうした状況下でこそ輝く天輪がここにはある。


 存在感を殺して近づいたロキエだが、野生の勘かサンリエフは振り返る。爛々と殺意に燃える赤い瞳と視線が交わり、ロキエはすくみそうになる。歯を食いしばって恐怖心を押し殺し、迫り来る刃をかわして、さらに掴みかかろうとする敵の左手に右手を伸ばした。


 触れたらそれで終わりだ。勝利を確信したロキエは、サンリエフの行動に目を瞠った。


 ロキエの右手が触れると同時、サンリエフは自らの左腕を切り飛ばしたのだ。ロキエの天輪によって左腕は消失するが、身体と繋がっていなかったためにサンリエフは命を繋いだ。


 ロキエの天輪の力を知っていたのか、あるいは本能的なものか。いずれにせよ、切り札を切り抜けられた。


 返す刀で巨剣が振り下ろされる。風を薙ぐ鈍い音が迫る。ロキエはそれを避けられないと悟り右手を差し出すも、横から飛び込んできたアルターによって窮地を逃れられた。


「助かったよ」


「不要です。感謝。お互い様」


 片腕になってもサンリエフの戦意が衰えることはなかった。


 もはやロキエから注意が逸れることはなく、簡単に近づけさせてくれないだろう。こんなところでとどまっているわけにはいかない。なんとか突破口を開かなければならない。


 その焦りが伝わったのか、ラルアがあからさまな舌打ちをして吼えた。


「目障りだ。テメエらさっさと消えろ」


「今は協力してサンリエフを倒さないと」


「戯れ言抜かしてんじゃねえぞ。こんな奴のことなんざどうでもいいんだろうが。早く女のところに行きてえんだろ。死んでく仲間より、天使様の方が大事なんだろ。んな奴らと一緒にいるとむしゃくしゃすんだよ」


 ラルアがサンリエフを吹き飛ばし、風圧で動きを封じる。


「俺は第一三部隊を抜けるぜ。テメエらの妄想になんざ付き合ってらんねえ」


「ラルアくん…………」


 駆け寄ろうとするパルをピルリスが止める。


「これが奴なりの最大限の譲歩なのだろう。今は先を急ぐ」


「ラルアくん、絶対に生きてまた会おうね!」


 ラルアは無言で背を向ける。もはや語る言葉はないと示すように。


 かける言葉が見つからなくて、ロキエはルルトに手を引かれるがままに走った。途中で振り返ると、起き上がったサンリエフがラルアと対峙しているところだった。


「ラルア……」


「心配はいらない。奴は強い」


「……はい」


 ロキエの胸に渦巻く息苦しさは、罪悪感だった。


 ラルアは天使化してしまった大切な人を自らの手で殺した。同じ状況で、ロキエは殺すのではなく救おうとしている。


 自分が選択しなかった未来を――選択できなかった未来を突きつけられて、しかも成功してしまったなら。それを目の前で見せられたとき、正気でいられるだろうか。


 ロキエがエミルを救うことは、ラルアの心を殺すことと同義なのかもしれない。そして彼が言ったように、与えられた任務をこなしていれば救えたはずの命を見捨てることになるかもしれない。


 誰かを助けるということは、誰かを助けないということだ。今まさしく、ラルアを見捨てて行くように。


 もう、後に引くことはできない。


 ロキエは覚悟を決めた。


 必ずエミルを助ける。


 たとえこの先、なにが起こったとしても。

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