第6話
多忙なサエラはお茶の時間も早々に仕事に戻っていったが、忙しくもない私はそのままもてなしを受け、用意ができたと告げに来た使用人に案内されて(お茶で時間を潰していたのは相手に体裁を整える時間を与えるためだ)、かつて使っていた一画に踏み入れた。
城内での私的な部屋の割り当ては、ある程度の身分を持つ者に与えられる特権のようなものだ。城下に屋敷もあるのだが、城内に用が多かった頃は重宝したものである。
引退する際に片付けて良いと伝えておいたのに、どうやら10年もの間、律儀に維持していたらしい。しかし置いてあった衣服はさすがに古すぎて(いささか若作りに過ぎて私も恥ずかしいし、流行からもずいぶん遅れているので、これを着せたらサエラの恥になるということだった)、当座の間に合わせは黒の
こちらでは貴族階級男性の平服という扱いになるそれは、我々の西洋史で言うウェストコートとトラウザーのようなデザインだ。以前はもうちょっと体の線が出るスタイル、ジレと半ズボンだったのだが、それはもう流行っていないという事だった。
更に言うと、以前はたまに着る事もあった
「当時でさえ、時代がかった衣装と言われてたからなあ」
最後に
「魔導卿には大変申し訳のない事でございますが」
すっかり恐縮の体で応じたのは、
家宰は王室の内向きを司るトップだ。家宰をわざわざ出してくる点でもサエラと、彼女の長男であるサレク君の意図は判る。
すなわち、王室は私を粗末にする気はない、というアピールだ。
孫娘のやらかしをカバーせねばならない女王陛下も大変である。
いや、それより大変なのはダンティロン伯爵だが。こうして対応している間にも、日常業務は順調に滞っているはず。
「私も好きで着てたわけじゃないから、普通の服をお借り出来ると嬉しい」
こちらに残っている肖像画はほとんど
「よろしいのでございますか」
当然である。
あんなズルズルした
あと、ズボンをはかなくて済むという理由もあったが。骨折後の左足が曲がったままになってしまったので、ズボンの着脱に苦労していたのだ。
「今回、私の着てた服はこちらに近いのじゃないかな」
トレッキングウェアを着ていたのだから、強いて言うなら長衣よりはジュストコールのほうが近いだろう。
「幾分かは、そのようにお見受けいたしますが……」
「それに、もう時代遅れなのだろう?女王の体面を取り繕えるもので、動きやすければそれで良い」
それより、とっとと日常業務に戻って貰いたいもんである。被服などの細々した話は、それを専門にする者がいるのだし。
管理職なんだから個々の仕事は部下に任せて己の仕事に戻れ、と説明すると、ダンティロン伯爵は一礼して退がって行った。
あとは客室係や衣裳係、侍従といった職の人達と話せば良い。
まあ大した話はないんだが、慎重な振る舞いの年配の使用人はどうやら、引退した先輩から何か注意を受けていたらしく
「お召物の取り扱いについては、何か注意点などございますか」
そんな事も確認してきた。
「洗濯棒で叩かない事、火のしをあてない事。意外に高いから注意して扱ってくれるかな」
こちらの洗濯方法は、昔の西洋と同じ。熱湯に石鹸を溶かしてその液に衣服を浸した後、洗濯棒でひたすら叩くというものだ。もちろん、そんな事すれば生地が傷むし機能性ウェアは台無しになる。ついでにいうと、この洗濯法だから高級品になればなるほど傷むのを避けて洗濯もしないため、上流階級ほど不潔になりがちだった。
かつて拉致された人の中には、家事全般の知識のある女性もいたのだが……あいにく女性の取り扱いは最悪にもほどがあったので、彼女からはこちらに知識が伝わっていないし、伝える義理もなかっただろうと私も思っている。我々被害者一同の尽力で彼女を帰還させられたとはいえ、若い女性が10年間を監禁されて過ごし、無理やり子を生まされたという事実は消しようがない。
ま、私だって、最初に拉致された時にすっ飛んで来て謝罪したサエラがいなければ、力を付けた後この国を『処分』して帰るつもりだったが。
「かしこまりました。後ほどお直しと仕立ての者が参ります」
使用人は頭を下げ、静かに退出していった。
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