第63話:見えない味方
お茶会という名の会議から戻って自宅の居間に腰を下ろすなり、深く溜息を付いた夫に、エーリャは小首をかしげた。
「どうなさったの、あなた」
「疲れた」
椅子に背を預けて目元を揉みほぐしているところを見ると、本当に疲れているのだろう。
「お茶会らしくないお茶会でしたものね」
国務卿などという職務を担うだけあって、夫も
しかし今日のような、いささか型破りな場は苦手だろう。男性であり閣僚である夫はあくまでも、表舞台の人だ。婦人達のような水面下の交流にはあまり向いていない。
「それだけじゃないよ。タカハシ書記官が魔導卿を怒らせるのじゃないかと思ったんだ」
「あらまあ。魔導卿が、ご自分の価値に気づいてらっしゃらなかった件かしら」
「そうだよ。魔導卿がおられるだけで牽制になるのは事実だけど、さんざん動いていただいた挙句に、あれはなあ」
夫が本気で愚痴っているのが判り、エーリャはくすくすと笑った。
「笑い事じゃないよ。君は魔導卿に慣れているのだろうけれど、僕は肝が冷えた」
「わたくしたちだって、それほど親しくさせて頂いてたわけじゃありませんわよ。今回だって、デーリャ夫人の紹介がなければお話もできませんでしたし」
先王ラハド5世の悪行ゆえにこちらに引き込んでしまった人物なのだから、加害者である王族が馴れ馴れしく出来る筋合いではない。
今の友好関係だってつまるところ、エーリャの母サエラの謝罪が受け入れられたから成り立っているだけだ。その母も、被召喚者を奴隷扱いした元婚約者を捨てて父を選ばなければ、魔導卿と敵対する道を歩んで自滅していただろう。
まあもっとも、その後を見れば父が王配になったのは明らかに正解だったから、良い方向に進んだのではあるが。
「それで笑えるんだから、君も相当だね」
「いえねえ、あの時の魔導卿が、ずいぶん可愛らしかったものですから」
「……かわいらしい?」
夫が
「殿方には判りにくいかもしれませんわね。素直に驚いてらしたでしょう?若い人を見ているようでしたわ」
「気が付かなかったよ」
「あらまあ。威厳ある男性が子供みたいな表情をなさるから、もうおかしくて」
そう長い時間ではなかったが、タカハシ書記官の発言に面食らった顔になり、その後ちょっぴり
タカハシ書記官はいつもどおり掴みどころのない笑顔を崩さないから良くわからないが、トマソン氏はすっかり気の毒そうな顔で魔導卿を見ていたし、デーリャ夫人も苦笑気味に魔導卿を労っていたので、身近な人々にとってそう驚くことでもないのだろう。
エーリャ自身は、魔導卿が感情を見せた事自体にまず、驚いたが。
「君の豪胆さには敵わないな」
「わたくしなど、まだまだでしてよ」
「誰と比べているのやら」
「母様に決まっておりますわ」
「比べる相手が悪いよ」
一つ溜息を付いた夫は、それでも少し気分がほぐれたようだった。
「それにしても、難題が山積みだな」
「知らずにいるよりは、良いことでしてよ」
そこに侍女がお茶の用意一式を運んできたので、二人はいったん口をつぐんだ。
用があれば呼ぶと伝え、侍女を下がらせる。女主人らしくお茶を入れてから、エーリャは無言で夫に話を促した。
「やはり、君が入れたお茶が最高だな」
「あらまあ」
「世辞ではないよ、奥様。落ち着いて飲めるお茶が一番だ」
「貴族院の調査は最優先ですわね」
「王室が動くとまた、議会軽視と騒ぐ者が出るが……そこはアラン議員の手腕に期待するしか無いか」
王権強化を警戒する貴族院に対して、その貴族院の横暴を防ぎたい衆民議会が抑えに回る。あらかじめ根回しする役は、魔導卿が引き受けてくれた。
「アラン議員から、ウィリアムズ騎兵団にも話が流れますわね」
爵位を望まず平民のまま影響力を強めているウィリアムズは、今や魔導卿と並ぶ勢いで影響力を持つ異世界人だ。
動乱期に騎兵隊を組織して戦った勇猛さと、荒れ地と化した農地を蘇らせた才覚はともに、多くの民に影響を与えている。飢えで死ぬ平民を減らしたウィリアムズはもちろん、共に戦った元部下たちの暮らしを豊かにし、彼らがあちこちで才能を発揮する手助けをしていた。
解散して久しい今も騎兵団の名で知られる豊かな市民たちは、無視できない存在だ。
「そこは期待しているけど、うまくいくかな」
「ウィリアムズ氏も、国同士の争いは望まないのではなくて」
「それはどうだろう」
言葉は疑問系だったが、口ぶりは明らかにそうではなかった。
「判ってらっしゃるでしょう?今また紛争が起きたら、輸入が優勢になりますもの」
今はまだ、西大陸からの農作物輸入はそう多くない。
しかしこの大陸で動乱が起こり農地が荒らされれば、生産力の低下を補うべく輸入作物の量は増えるだろう。こちらの大陸にも領地を持つウィリアムズにとって、歓迎できる話ではない。
「この大陸の安定を望んでいるのは、皆同じか」
「少なくとも、ほとんどの者はそうでしょうね」
ゆっくりとお茶を飲み干した夫は、エーリャの言葉に静かにうなずいた。
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