第9話:その晩、女王陛下の居間では

「魔導卿を呼びだした、ですと……!」


 卒倒しそうな様子の次男に、サエラは溜息をついてみせた。


「呼び出されたのがテライ殿で良かったと思いなさい。しかもこちらに対処する時間を与えてくださったのですから、ずいぶんなご厚意ですよ」


 長男は頷いたが、次男は青い顔のままで、更に言うなら国務こくむきょうである娘婿むすめむこは、いかにも頭が痛そうな顔をしていた。

 そして王配おうはいである夫はいつもどおり、平然とした顔でお茶を飲んでいる。

 次男も少しは父親を見習って欲しい。


「あの方はこちらが害をなさない限り、何もなさいません」


 魔導卿については、冷酷に強力無比な術を振るう黒衣の魔術師、との印象が独り歩きしている。


 しかし普段のテライは比較的害のない人間だ。少なくとも、拉致されて身体を損なわれた人間としては、温和な部類に入るだろう。

 本来の居場所から無理やり引き離されたあげく、何のとがもなく害され、まともに歩くことも適わなくなった相手から恨まれずに済むと思うほど、サエラも夫も愚かでは無かった。


「うかつな者を呼びだされるよりよほど安全……ということですか、陛下」


 現実的に対応しようとしている娘婿の姿勢は好ましい。


「ええ」


 息子たちは覚えていないだろうが、サエラが召喚を禁じたのには、召喚された者たちに厄介者が多すぎたから、という理由がある。

 有能な人物を狙って拉致するのは、自分達に害をなしうる能力を持つ相手を、自分達に敵意を持った状態で手元に置くのと同じことだ。その危険性をラハド五世と取り巻きは理解しようとしなかったが、サエラはよく弁えていた。


「事後の処理のご方針は」


 王女一人を処分して終わり、とはいかないだろう。

 娘婿のガディス卿は、慎重な態度だった。


「事実関係を調査して、関係者を処罰」

「それだけで済みましょうか」

「難しいでしょうね。共同統治にしておいて良かったわ」


 今は長男がサレク三世として即位し、サエラと共同統治の形をとっている。次世代への移行をつつがくすすめるための措置だが、これはこの場合、問題に対処できる王が二人いる事も意味していた。


「というわけでサレク、仕事は任せました」


 通常の仕事の大半はサレク一人でも十分に処理できるだろう。それは長男も判っているから鷹揚おうように頷いたが、


「母上お一人で、魔導卿を相手取ると?お歳をお考えいただきたいものですが」


 と、気遣う事も長男は忘れなかった。


 相手は百人近くいた召喚被害者の半数以上をまとめ上げ、ラハド五世を倒してサエラを玉座に付けた策士の一人だ。その後もずいぶんと活躍し、バーラン王国を押しも押されぬ大国の地位に引き上げた。


 魔導卿はもちろん、王国への好意でやったわけではない。


 もはや戻る場所を失った被害者達に、生活を保障してやるのは王国の義務。そして義務を果たすためには財が必要であり、そのためには十分豊かな国を作れと求めるのは当然だ。全ては召喚被害者が安んじて暮らす国を作るため、強国となれ。そう冷ややかに笑った黒衣の魔導卿の姿は、40年を過ぎた今もサエラの記憶に鮮やかだ。


「敵対するわけではありませんよ」

「だとよろしいのですがね」

「敵対しないように努めるのも、王の義務ですよ」


 あんな厄介な人物を敵に回す余裕などない。

 魔導卿の怒りに触れて辺境の砦が一瞬で灰燼かいじんに帰した、という子供向けのおとぎ話が広く知られているが、あれはただの実話だ。魔導卿がその気になれば、この王城など一撃で滅ぼせる。


 どうしてあんな危険人物を呼びだしたりしたのか、と、馬鹿な孫に対する怒りが込み上げてきたが、そこは黙っておくことにした。


「ところで、魔導卿の護衛はどうすると良いと思う?」


 それまで黙っていた夫が、娘婿にむかって聞いた。


「護衛、ですか」

「お一人で歩かせるわけにもいかない御身分だし、そもそもあの方は足が不自由でらっしゃる」


 ラハド五世の配下には、召喚直後の被害者を徹底的に服従させるべく、心折れるまでに害を加えた嗜虐しぎゃく趣味の者もいた。

 魔導卿も召喚直後に片膝を砕かれ、以前は歩くことさえままならなかった身だ。


「治療されたとはいえ、まだ杖をお使いでしたからね」


 サエラもため息交じりに付け加える。


 昔は両手に杖をつき、曲がったまま動かなくなった片足を引きずっていた事を考えれば、故国での治療の成果はあったのだろう。片手に杖を持っていたとはいえ、今日の面会では自分の両の足で立ち、歩いていたのだし。


 とはいえそれでも、身を守るには魔術を使う以外にない人だ。実際に今回も、孫娘の護衛達を倒すにあたっては杖にまとわせた雷撃を使ったと聞いている。


「いざという時の盾は、用意しなくてはならないよ」

「今は近衛から護衛の者を向けておりますが……」

「信じていただけるかどうかが問題ではないかな」


 孫娘の護衛ももちろん、近衛の者たちだった。

 違法な命令に諾々だくだくと従って剣を向けた近衛が、信用されるはずもない。


 そしてなにより、何かあったら護衛に頼るよりも、魔導卿が自ら魔術を使った方が効率的に身を守れる。


 あの魔導卿の事だ、必要とあれば全力で我が身を守るだろう。

 今回はどうやら機嫌も良かったらしく手加減していた様子だが、本気を出されたら余波で城内にどれほど被害が出るか、判ったものではない。


「使われない盾に、意味はないからね」


 魔導卿に魔術を使わせないためには、まだまだやる事があるはずだ。そう夫が示唆するのに、


「……再考いたします」


 と、娘婿は硬い表情でうなずいた。

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