再起動

第10話

 バーラン王国では、特に役職が無い貴族の朝は遅い。まあ、役職があっても昼近くに出勤するような者も珍しくないのであるが、それも含めて一般には朝はのんびりしていることが多い。


 だというのに、全く遠慮のない奴が一人。


「昨日はサウードと話したって?」

「十年ぶりなのに朝っぱらから仕事山ほど持ってきて、それが挨拶か?」

「元気そうでなによりだよ」


 こちらに居残っていた一人である高橋はにこにこ笑顔のまま、私の愚痴が聞こえないふりをした。


 恵比須えびす顔と表現するのがぴったりの笑顔なんだろうが、中身を知っていると胡散うさんくささしか感じない。

 背が低めで小太りの高橋は、人畜無害にすら見える。日本人にしては淡い色彩が特徴的と言えば特徴的だが、こちらでは茶色の髪も灰色の目も珍しくないから、いわゆる平たい顔族の面立ちを除けば、特に目立つところもない。


 中身は全反射率1%未満レベルの腹黒だが。


「まずは足の治療成功おめでとう、かな?」

「ああ、どうも」

「前田君がやるって聞いてたけど、うまくいったんだね」


 前田君というのは、召喚被害にあった現場に我々が突入し、召喚直後に保護した被害者の一人である。

 すでに帰還方法が確立した後の事例だったため、早期に帰国させることが可能だった人物だ。現在は日本で整形外科医になっている。


「ああ、けっこう大変だったらしいけどな。まともに足がつけるようになれば上出来だろうと思ってたが、歩けるようになった」

すごい技術だね」


 まったく同感である。


「ところで、雑談しに来たわけじゃないだろ」


 そんな可愛気のある用で訪れたわけではないのは、客間用テーブルに載せてある本を見ればよく分かった。


「当然でしょ」

「笑顔で言うなよ。なんだそれ」

「ご覧の通り、法律書だけど?」


 おおよそB4サイズの重厚な革装丁。中身は紙で作られてはいるが(羊皮紙では量産が出来ないから当然だ)。背表紙には鎖を付ける穴があけられている。

 一冊の重さは、だいたい10kg弱といったところだろう。5kg程度なら軽い部類に入る。


「持ち出して良かったのか?」


 普段は書庫に収められ、厳重に本棚に鎖で止められているのがこちらの正式な本だ。そして背表紙の穴から判断すると、これは書庫に置いておくべき本だろう。

 通常であれば書庫からの持ち出しは禁止、決まった場所にある書見台でのみ読む事が出来る本のはずだ。書庫からは王城を半分横切らないと来られないこの部屋に、持って来られるものではない。


「魔導卿のとこに持って行くと言ったら、黙って貸してくれたよ。寺井も相変わらず怖がられてるねえ」

「あんなにビビらなくて良いと思うんだけどね」


 サエラの治世が安定するまで手を貸した諸々のせいだろう。別に後悔もしていないが、未だに警戒されるのは苦笑するしかない。


「人徳じゃないのかな」


 微妙に酷い事を言われているような気がするが、気にしたら負けという奴だろう。何に負けるのかは知らないが。

 歩くのが面倒だから、重い本を持って来て貰えて助かったと思っておくか。

 とはいえ、手間が省けたのは歩く部分だけであるが。


「そろそろ技術革新って奴は無いのか。せめて本くらい改良しろよ」


 ここで開くにしても、重い事に変わりはない。さっさと軽い本を出して欲しいものである。


「そうは言ってもねえ。今までの本を全部作り直す予算は無いよ」

「そこで予算か」

「世の中、お金は大切だよね」


 腹黒暗黒大福餅たかはしが開き直った。


「まあそうだけどなあ……で、こんなもん持ってきて、何があったんだ」

「国内法の修正があったから、そのお知らせ」


 私も十年ばかり留守にしていた格好になるし、確認した方が良い事ではある。


「こっちの仕事に影響ありそうなのか?」

「主に厳罰化する方向でね。前とは幇助ほうじょ犯の扱いが違うから」


 条文を確かめたところ、幇助犯も実行犯同様、その場で処分しても良いことになっていた。


「厳罰化の理由が謎だな」

「寺井が引退したから、嫌がらせする理由がなくなったんだよ」

「ああ、もともと予定はあったもんな」


 改定を引き延ばすという形で意趣返ししていた連中が、動機を失ったというわけか。


「あと、寺井がポカやったときに足をすくいたいから、かな?寺井の味方を幇助犯に仕立て上げたい奴もいたから」

「私は引退したと言っただろうに」


 表向き、私はこちらの時間で10年前に『引退』して帰国した事になっている。帰国の際に転移ルートも潰す、と宣言しておいたのだが。


「寺井が素直に帰って全ルート閉鎖したなんて思ってる奴、いないって」

「御理解いただいてるようで、何よりだよ」


 そりゃもちろん、監視のためのルートは残してある。


「どうせ、魔導卿並みの馬鹿魔力じゃないと通れないところが残ってるんでしょ」

「良く判ってるじゃないか」


 馬鹿娘の召還に私が応じたのも、監視用ルートの存在と無関係ではなかった。


 いくら条約や法律があっても、召喚魔術禁止を強制できなければ、実行する者は現れる。だから術の実行を妨害する目的で、召喚魔術が発動した場合、自動的に発起点を攻撃するよう仕込んだ魔術的トラップが広範囲で仕掛けてあるのだが、そのトラップの管理用に設置した物だ。

 このトラップ、例外設定した場所以外で召喚術を使うと、術者に魔力が逆流して死亡する設定になっている。

 王城に対して問答無用の攻撃魔術発動ははばかられたし、そもそも私が直接エウィラ城に転移する必要が生じる可能性もあるから、王城を発起点とする場合は例外措置としてあるのだが……この例外措置ゆえに、今回は召喚術が発動した。


 余談だが、私の自宅はセイフティエリアなので、そこからであれば物品のやり取りも可能だし、行き来もできる。ただし必要魔力量は非常に大きいので、私以外には使えないだろう。


「表沙汰にする気はなかったんだがなあ」


 何しろ引退老人である、田舎に引っ込んだことにしておくのが無難だったのだが。


「ろくでもないのに引っ張り出されちゃったねえ」


 高橋は胡散臭さ全開の笑顔で朗らかに返してきた。

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