第58話:そして舞台の幕は上がり
処刑に際しては、身分にあわせたしきたりというものがある。
タゴス卿が知る慣習によれば、貴い血を持つものであれば、しかるべく身なりを整え、しかるべき身分の処刑人によって命を終えるべきである。しかし引き据えられた罪人は身を清めてはおらず、衣服も汚れ皺がよったままだった。
「これはどういうことかね」
静かに口を開いたのは、40になるかならないかといった年の、南方貴族に見える痩身の男だった。
「入浴も着替えも拒否しております」
罪人を連れてきた
「これでは処刑できますまい」
タゴス卿は打ち合わせどおりに異議を唱えた。
罪人のファラルは貴族の血に連なる者であり、その体面は
そして処刑の場でこのような姿をさらすことは貴族としてあってはならず、立会い役としては、形式に則らない処刑に異議を唱えることが出来る。そして貴族の発言は
しかし浅黒い肌をしたその男は、感情の伺えない黒瞳を一瞬タゴス卿に据え、そのまま罪人に向き直った。
「貴族院からの要請で、処刑に当たっては身分にふさわしい身なりをさせるよう配慮を求められていたが、温情は拒否されたようだ」
じろりと睨んだ男に何故か寒気を覚えて後ずさりそうになったが、立会い役のタゴス卿はその場にいる他の者達の存在を思い出し、辛うじて踏みとどまった。
「貴族院の要望は受け入れられ、罪人には温情が示され、そして罪人本人がそれを拒絶した。二度の温情はない」
「貴殿に何の権利がある?」
タゴス卿の質問にも、男は振り返りもしなかった。
「召喚術
ファラルに向けて宣言した男の言葉に、タゴス卿は相手が誰かを悟った。
「お初にお目にかかるな、タゴス卿?」
ここでようやくわずかに振り向いた魔導卿は、横目でタゴス卿を見ながら、そう言った。
話が違う。それがタゴス卿の頭にまず浮かんだ言葉だった。
しかし目の当たりにしたこれは、成り上がりの
圧倒的な強者であり、ただ
「身分にふさわしい準備を整える事を拒んだなら、このまま処刑せざるを得まい」
「話が違う!」
叫んだのは罪人だった。
「ありえない!僕を殺させないって言ったじゃないか、タゴス卿!僕が準備を拒否すればいいって!」
「やはり示し合わせていたか。小細工は通用せんよ」
「僕は母上を取り戻したいだけだ、何にも悪いことはしてない!」
「母上が懐かしいか、では母上の御許に行くが良い」
魔導卿の声は何の感情も含んでいなかった。
「もっとも、ジュリアは子供など顔も見たくないと言っていたから、拒否されるだろうがな」
「うそだ!母上は僕に優しかった!」
「会いに行ったら、ずっと顔を背けていたような母親が?元侍女が証言したぞ」
「そんなことあるはずない!抱きしめてくださった!」
「お前が母親に触れようとしたら、手を叩いて払ったと記録があったな。それゆえにジュリアを鞭打ったと、おまえの実父の日記に書いてあった」
「うそだ!うそだ!母上は僕に優しい方なんだ!」
「怒鳴らなければいられんのは、現実を否定したい証拠だぞ、ファラル」
「
「ジュリアの最後の保護者が私だ」
冷ややかな声は、暴力的なまでの
「犠牲になった娘達はこの世界を拒否した。拒否されたこの世界の者があの娘達に取り憑こうとするなら、私はそれを全力で妨げねばならん」
「奴隷でいりゃいい卑しい奴が、僕と母上の邪魔をするな!母上だってそうだ、僕のほうが身分が高いんだ、黙って僕を抱きしめてれば良かったんだ!」
「なんだ、自覚してるじゃないか?母上は君に優しくなかったと」
不気味なまでに優しく穏やかな声だったが、魔導卿の表情は変わらず厳しかった。
「もう一回お呼びすれば変わってるはずだ、本当は僕に優しい方なんだ!」
「死んだ者を呼び出すことは出来んよ」
「この世界で死んだだけだ、母上はお前の世界にいるんだろう、僕は母上を取り返すんだ!」
「そうか。かなわぬ望みを持ったまま、絶望して死ぬがいい」
拘束せよ、と命じる声は大きくはなかったが、タゴス卿の耳に強く響いた。
暴れようとするファラルを獄卒が容赦なく引きずって、壁際に据えられた椅子に座らせ、手
「離せ!
「
ファラルが叫び続けるのを無視して、獄卒の男が言った。
「君の気配りに感謝する。立会いの皆様のお耳を汚さぬように、配慮してくれたまえ」
男の一人が首を振って暴れるファラルの髪をつかんでぐいと引っ張り、もう一人の男が
吐き出さないようにもう一枚の布で口元を覆って縛るまで、鮮やかなまでの素早さだった。
「罪状をもう一度読み上げておこうか。召喚術の使用を
ファラルはくぐもった声で叫んでいたが、何を言っているかは聞き取れなかった。
「君に苦痛はないから安心したまえ。これはジュリアの血を分けた君への、私からの温情だ」
魔導卿が指輪のはまった右腕をあげる。
その瞬間を狙って、タゴス卿は袖に仕込んだ魔道具の
爆発と、焼け付く熱が腕に生まれ、目に映る光景が斜めになる。
「やはり馬鹿な奴がいたか」
何が起きたか判らないまま声の方を見ると、椅子の上で首をうなだれて動かなくなったファラルと、魔導卿が見えた。
そして目の前には白い何かが転がっている。
それが千切れ飛んだ自分の手だと認識した瞬間、激痛が襲ってきて、タゴス卿は絶叫した。
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