第56話

「これでいくらかでも釣れればいいのですがね」


 トマソンの渋面を見ないようにしながら答えると、トマソンがわざとらしく溜息をついてみせた。


「君が囮になる必要があるのかな」

「餌を出し惜しんで、良い魚は釣れないさ」


 私の役どころは鯛を釣るための海老である。海老の安全を考えて鯛を釣る必要はあるまい。トマソンは心配しすぎである。


「ところでデーリャ夫人、そちらで何か動きはありましたか」


 心配性のトマソンは放っておき、肝心の話をすすめることにする。


「エガント商会が、顧客の乗り換えを計りましてよ」


 デーリャ夫人は単刀直入に言った。

 こういう時にまで言葉遊びをするような女性ではない。その辺の切り替えが出来るからこそ有能なのだが。


「ムンディ伯爵を切り始めましたか」

「ええ、こんどはウェンズィ伯夫人ポラナに接近しておりますわ」

「ウェンズィ伯というと、陸軍第7軍団所属でしたね。たしか、少将だったと記憶しております」


 ヘスディル伯がデーリャ夫人の説明を補足した。

 第7軍団はマランティ国境を含む山岳部を警備する部隊だ。


「軍が狙いか。ウェンズィ伯がどんな人物か知ってるかね?」

「現在たしか55歳で、謹厳実直なお人柄と伺っております。私生活では愛妻家ですとか」


 すると、ハニートラップが効くような人物ではないのだろう。


「その夫人を狙って、意味があるのかい?」


 トマソンが当然の疑問を口にした。


「ウェンズィ伯は夫人の意見で動く方ではありませんが、御家庭で話される事を盗み聞きするのは良い方法でしょうね」


 と、ヘスディル伯。


「仕事の話を夫人にする方ではないとも聞き及んでおりますが、ウェンズィ伯の移動の予定などは掴みやすくなります」

「あとはポラナが誰とお付き合いしているか、ですわね。若い軍人の奥様方ともお付き合いがありましてよ?」


 と、デーリャ夫人が補った。


「狙いはそこか?」


 仕事のことを話さないウェンズィ伯本人よりも、その部下がターゲットと考えるべきか。


「ポラナを流行の中心にすれば、ウェンズィ伯の部下の奥様方は見習いますからね。ポラナが魔石細工を取り入れれば、陸軍将校の御宅にも同じ細工物が入り込むという寸法ですわね」

「ずいぶん搦め手で来たな」


 目立たないがそれなりに影響力のある人物を狙う、というのは方針としては正しいが、いささか嫌らしい方法とも言える。

 複数の将校の家に盗聴器を仕掛けられれば、誰かしらはうっかり口を滑らせる。そこから情報をたどればいい。

 もっとも、盗聴による情報収集のためには、第七軍団の駐屯地近くに盗聴部隊を潜ませておく必要があるので、敵盗聴班を探すところからの捜査も可能だろう。私の権限を越えているので、軍にでもやってもらうしかないが。


「その件に関してポラナから、指示を仰ぎたい旨の伝言をうけておりますの」


 デーリャ夫人の説明によると、どうやらそのポラナ夫人、商会の接触に警戒心を持ったらしい。


「ポラナも人並みに社交はたしなみますけれど、そう派手なほうではございません。そんな女性ひとですのに、あからさまではありませんけれど、商人が持ってくる物が変わったそうですの」


 日本でも同じだが、上流階級婦人は自分で買い物に出かけたりしない。外商の担当者が家にやって来るものである。

 そこで持ちこまれる品もステータスを示すそうで、高い品を持ちこまれるということは、それだけ相手に高く見られたという事でもあるらしい。


 なんとも面倒くさい貴族趣味スノビズムである。いやまあ上流階級すなわち貴族なんだが。


「高い物や派手な物が増えた?」

「ええ。しかも、二番目に高い物は必ずマランティ産だそうですわ」


 一番高いものには手が出ないが、二番目のものは買える。そういう売り方をしてくるそうだ。

 購入できる財力があったとしても、一番高いものを買うと贅沢好みと眉をしかめられる。そのため二番目に高いものを買う事で、分不相応な贅沢は好まないが十分な財力があると示す、高級軍人の奥方の作法に則った売り方である。


「武官の妻に敵国の物を勧めるとはな」

「一見すると判りにくい物だそうですわよ。ポラナの目が確かですから判りましたけど、そうと言われなければ判断できなくても無理は無いそうですわ」


 なんとしても身につけさせたいのだろう。


「ウェンズィ伯の意見は、どうだろう」

「国と家とポラナ自身に害なさぬ限り、ポラナに任せるそうですわ。婦人の付き合いは、難しゅうございますからね」

「出来れば情報を引き出して欲しいが、夫人に危険が及ぶのは避けたいところだな。あまり関わらず、エガント商会がポラナ夫人にまとわり付く時間を引き伸ばして貰えば十分だろう。いかがかな、ヘスディル伯?」

「そうしていただければ。御婦人をむやみに危険に晒すものでもございますまい」

「あとは誰か、ポラナ夫人の傍に付けたら良いのじゃないかな。商人が訪れるときに立ち会える、小間使いのような身分で」


 サエラがよこした家内使用人に諜報担当者が混じっているが、彼らのような存在がいるとちょうどよい。


「それはこちらで手配いたしましょう」


 そう応じたのは、ヘスディル伯だった。


「できればリーナと同じ程度にできる者が良いだろうね」

「……お気付きでしたか」


 あれはサエラ本人ではなく、国務卿の指示だろう。そう読んでいたのを、ヘスディル伯はさりげなく肯定した。


「便利遣いさせて貰っているよ」


 女中としても優秀だし、諜報員であることが私にバレていると本人も知っているから、それとなく言付ければ雇い主に情報を運んでくれる。要は使い方次第だ。


「ポラナ夫人への連絡はデーリャ夫人、貴女におまかせします」

「畏まりました。ところでお気付きでして、魔導卿?」

「何が?」

「ずいぶんと、分かりやすくおなりでしてよ」

「というと」

「昔はもっと、回りくどい優しさを示してらっしゃいましたわ」


 何の話か思い当たる節は全くなかったが、トマソンが頷いていた。


「まあそのへんは置いておくとして。あとは、どう釣り出すかだな」


 とにかく、魚が食いついてこなければ釣りあげられないのだし。

 トマソンの力量にも期待である。


「君が捕り物の裏で糸を引いている黒幕だ、という台本ならば、書けるけどね」

「では是非、その線で書いてくれ。君なら敵をあおれるだろう」


 トマソンの筆の力で疑心暗鬼になり、不用意に動いてくれればありがたい。


「一網打尽とまではいかないだろうが、連中の動きが拾える程度に水面近くに来てもらえればいい」

「君が犠牲になるのは嫌なんだが」

「私に自己犠牲精神なんかないぞ。魔術の出し惜しみはしないさ」


 自分の身を守るためなら、魔力を節約する気はないし。


「それに、捜査は他の部局に投げるさ。私も忙しいんでね」


 ヘスディル伯に目を向けながら言うと、苦笑気味にうなずいた。


「女王陛下の密命を受けて久々に立ち回る魔導卿、という筋書きは良いのだけどね。ケンジ、君に害が及ぶのはやはり好きになれないよ」


 あまり乗り気ではない様子のトマソンだった。

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