4 「賊を捕らえる」

「どうも落ち着かぬ」


 それからひと月ほどの後、ヴォーグとセヲォンはガザリアに近い小さな村の宿屋にいた。


「落ち着かないのは奴の気配のせいか? それとも怖じ気づいたか?」


 セヲォンは、ガザリア風の衣装に身を包みながらヴォーグに問いかけた。

 ヴォーグも大きな体をもぞもぞとさせながら、衣装を纏い、窓の外に目を向けている。


「何を言うか。俺が落ち着かないのはこの衣装のせいだ。どうも他国の服は着慣れぬ……」


「俺だってそうだ。仕方なかろう。奴をおびき寄せるにはガザリア人に扮せねば」


「そりゃそうだが……」


 空の色は漆黒、夜ふけの空気は冷たくふたりを包む。窓の外には、昼のうちに、宿屋の屋根にくくりつけたガザリアの旗が翻っている。もちろんふたりの手によるものだった。


「奴は来るよ」


 暖を取ろうと薪を手にしたヴォーグにセヲォンは言う。


「一昨日、ここの隣村がガザリア人に狙われた。あとはいつものとおりだ。どこからともなく奴が現れ、ガザリア人どもをにして追い出した」

 

 ヴォーグは薪を握りつつ、視線を床に向けたまま黙っている。


「そうだ、いつものとおりだった。奴は賊を追い出すと、村の長に薬草のことを問いただした。そして長が知らぬと答えるやいなや、首をはねた」

 

 ヴォーグの茶色い瞳が微かに色をなした。


「……そこまで徹底している奴だ。なにがそいつをそこまでさせているのが分からぬが、恐ろしい執念だ。だから、このガザリアの旗を見逃すはずは無い」


 セヲォンはそこまで一気に話すと、腰の短剣に手を当てながら口をつぐんだ。ヴォーグは沈黙を守りつつ、部屋を見回していたが、ふと気がついて、セヲォンに尋ねた。


「……あの部屋の隅にある瓶は、なんだ?」


「先ほど村の娘が、置いていった。この村で作った上等の酒だから、景気付けにでもとな。そんな気分でも無いから、放ってあるがな。飲みたいか?」


 ヴォーグの目の色が今度ははっきりと変った。さっと瓶の栓を開け、中をのぞき込み、鼻を近づけるやいなや、声を押し殺してセヲォンに告げた。


「こいつは……毒酒だ」


「なんだと?!」


「間違いない。国境警備の際、ガザリアより遠くの大陸から来たという商人から押収したことがある。あのときの酒と同じ匂いだ」


 とたんにふたりの間の空気が冷えた。身構えるまもなく、次の瞬間、天井を突き破ってきた槍がセヲォンの頬をかすった。同時に、どおーんと轟音がして天井が割れた。そこから次に見えたのは鋭い剣のきらめきだった。

 

 その光を目に捉えヴォーグはとっさに手にしたままだった薪を投げ返すと、カーンと鈍い音がして、瞬時に薪がはじき返される。すかさずヴォーグも剣を抜き、天井から降ってきた刺客に立ち向かうべく体勢を整えた。

 

 果たして、もうもうと上がる埃と木片の中に立っていたのは、緑色のマントに身を包み、亜麻色の髪を振り乱し、剣を構えながら、ヴォーグとセヲォンのふたりをにらみつける……背の低い青年……いや……違う……。


「女?!」


 驚きの声がセヲォンとヴォーグの口から上がった。女はそれに応えず黙ったまま、今度はヴォーグの胸元めがけて剣を振り下ろしてくる。女の鋭い眼光がヴォーグの目に映ると同時に、交わった剣が火花を上げた。


「ヴォーグ!」


 セヲォンは驚きのあまり思わず声を上げた。ヴォーグの剣の強さは王国で一二を争う。瞬間で相手とけりをつけるのを何回も目にしてきた。そのヴォーグと対等に戦っている。相手が女であるということよりも、セヲォンは何よりそれに驚愕し叫んだ。


「ヴォーグ、気をつけろ、強いぞ、そいつ!」


「わかって……いる!」


 修羅場と化した宿屋の一室に緊張感が走る。当のヴォーグも驚きを禁じえなかった。……こいつ、俺の剣を防ぎやがった!


 ……それにもしてもなんて目をしてやがる、まるで獣か、いや、憎悪がそうさせているのか……? お前は何を憎んでいる? 俺では無い、その向こうの何を、睨み付けているのだ……? ヴォーグの意識はついつい女の眼光に引きつけられる。

 

 ……いかん! とヴォーグは剣先に意識を戻し、力を一気に込めた。宙にカァーン、とはじきとんだのは女の剣だった。しかし女は引かない。今度は胸の短剣をかざしヴォーグを襲う。が、そのとき、セヲォンが動いた。素早く女の背後に向かったセヲォンの剣が唸り、女の背中を突いた。

 たまらず、女は声を上げ、床に転がった。そして、動かなくなった。


「……死んだか?」


「……いや、貫いてはいない……」


 ふたりはしばしの静寂ののち、倒れた女に駆け寄った。亜麻色の髪の下の目は固く閉じられていたが、たしかに、微かだが、息はしている。傷の深さを確かめようとヴォーグが女のマントを脱がすと、ほそい体が現れ胸と背があらわになった。


「ほんとうに女か……」


「……いや、ヴォーグ……それより背中の傷を見ろ、膿んでいる…この女は病に罹っている」


 ヴォーグは思わず飛び退いた。それを見てセヲォンが静かに言った。


「とにかく、俺たちの作戦は終わりだ。こいつを王宮に連れ帰ろう、丁重にな。何かを知っているかもしれぬ」


 ヴォーグはやや顔を青ざめながら、無言で頷いた。

 宿屋の穴の開いた天井から夜風がすうーっと吹き込み3人を包んだ。

 

 静かに女の亜麻色の髪が床を撫でた。

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