28「セヲォンの館」

 火が迫る。

 ミリ、ミリだけでも助けねば……! 俺の大事な妹、ミリ! 俺の命と変えても救い出さねば、その歳でこんな運命を辿るのは残酷すぎる。いくら我々が病の者だからといって、そんな運命がこの世で許されるものか……!

 ミリの寝室まではもうすぐだ。梯子を駆け上がる。焦げ臭い匂いに鼻を押さえながら部屋の扉を開けると……人の形をした火柱が目に入った。


「……ミリ!」


 油汗が額をだらだらと伝う。グルーはかっ、と目を見開いた。見知らぬ部屋の天井が見える。そして目が合った。ミリ……。ミリではない、だが、どこか面影が似ている。そう思うのは、俺がどうかしているからか……。


「……大丈夫? 無理しないで……まだ傷が痛むでしょう。静かにね」


 少女の落ちついた声音が、横たわったグルーの耳には優しく響く。

 少女は布で、グルーの額に流れる汗をそっと拭く。そしてグルーはびくりとひるんだ。少女が、グルーの膿んだ右目にも躊躇なく触れたからだ。その心中を見透かしたように少女は微笑んだ。


感染うつる、言いたいんでしょう?大丈夫、怖くなんか無いわ」


「なに……?」


「とにかく余計な心配しないことよ。ここに、ガザリア軍は来ないわ」


 ……俺の正体をこいつは知っているのか? この少女は何者なのだろう。それを尋ねようとしたとき、部屋の外から声がした。


「メリエラ…!」


「はい、父さん! 今行きます」


 少女はグルーの汗を拭き終わると、布を丁寧に畳みエプロンのポケットにしまうと、くるりと背を向け、扉の外に出て行った。


「父さん、あの人、気が付いたわよ」


「うむ、お館様に報告してくる。メリエラ、このことは他の誰にも言うなよ」


「わかっています」


 扉の向こうから落ち着いた声の、男と少女の会話が聞える。やがて、それが遠ざかると同時に、グルーの意識も再び深い底に落ちていった。


 次にグルーが目覚めたとき、メリエラと呼ばれていた娘の横には、ふたりの男がいた。

 ひとりは30代半ばくらいの理知的な印象の男、そしてもう一人は、一見質素ながら、質の良い織りのローブを身につけた壮年の男性であった。位の高さが伝わってくる出で立ちである。


 まず口を開いたのは若い男であった。


「グルー、私はカロ。この館の管理人であり、ガザリアの書記官だ。だが怖がらなくていい、お前のことはガザリアに報告する義務は私には無い。この館はガザリアからは治外法権なのでな」


「治外法権……なぜ?」


 事態が飲み込めないグルーは、まだ自由に動かせない身を動かして、状況を探るのに必死だ。それをメリエラがそっと手を差し伸べ制する。カロはそれを静かな眼差しで見つめると、再びグルーに向かいあう。すると壮年の男性が口を開いた。


「それは余から言おう。グルー、私はテセの王、セヲォンだ。ただ王と言っても、今やテセの実権を握っているのはガザリアだ。余は権力をガザリアに引き渡し、この館に隠居……いや軟禁の身だ。このカロは余の監視役も同じなのだよ。だがいいこともある。国の実権を渡した引き換えに、この館は余の自由、ガザリアの権力は及ばない。治外法権とは、そういうことだ」


「お前がテセの王だと……?」


「そうだ、地に墜ちた王だがな」


 グルーは2人の男の意外な正体に驚きを隠せない。だがテセの王、と聞いて、問いたださずにはいられないのは薬草のことだ。勢い込んでグルーは体の痛みも忘れ、叫んだ。


「病を癒やす薬草は……テセの何処にある?!」


「薬草はすでに絶えた」


 セヲォンは重大なことを、さらっ、と言う。


「なに……! 嘘をつけ、隠しているのではなかろうな?!」


「隠してなどいない。なぜなら……」


 今度はカロが物腰静かに告げる。しばしの沈黙ののち、カロは呟くように言った。


「薬草を絶やしたのは、他でもない、この私と、亡くなった妻だ」


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