22「万華鏡」

「……穢れた血は、穢れた血でしか治せないのだ」


「……穢れた血……?」


「この薬草園に育つ薬草は、特別な栄養分を欲して初めて花開く。その栄養分とは………皮肉なことだが、あの疫病患者の血液だ。それに薬師たちが気づいた時分、テセにはその薬草から作られた薬が出回りはじめ、急速に疫病患者は減少していた。……だが、薬はテセの強力な輸出品として国力を支えつつあった。テセはもう薬草を手放せない。だが、その薬草を育てるのには、患者の血がいる。この矛盾に、テセの上層部は頭を抱えた。……そのとき、ある神官が申し出た。御国のためなら我らの神殿が役に立ちましょうぞ、と」


「……あ……っ」


 メリアの体が小刻みに震えた。


「そのときから、神殿の女官の禊ぎの水には、密かに疫病患者から摂取した膿が混ぜられた。そして発症した女官を生贄と称して、殺し、その血を薬草園の薬草に投与した。この循環で、テセの王宮の薬草園にて薬草は枯れることなく育ち続け、国力をも支えている……」


「……良くできた。満点だな」


 セヲォンは満足げに笑った。カロはいよいよ顔を青くして、父親が露わにした恐ろしいテセの秘密に足を震わせた。松明の火がカロたちを赤く照らす。


 メリアが叫んだ。


「そんな! そんなことで私たちを生贄に……!」


 その言葉に、セヲォンが鋭く言い放つ。


「そんなこと? そんなことではないぞ……! そのおかげでどれだけの患者が助かり、またどれだけの富をテセに与えているのか、お前どもには想像もつかないことだろうよ」


 ちらちら、きらきら、松明の火が4人を照らす。

 おのおのの顔をあぶり出し、跳ね返り、反射しては躍る光たち。


「悪魔だ……僕にはあなたが悪魔にしか見えない……」


カロは震えた口でようやくそう言った。だが、セヲォンは揺るがない。揺るぐどころか、より語気を強くしてカロに迫った。


「……悪魔か。悪魔の仕組み、そう言われても仕方は無いな。だが、この世には、光があり影があるように、人がいれば悪魔も棲んでいるのだよ、必ずな」


 そして、やや自嘲気味の口調でこう続けた。


「カロよ、お前は人だったかも知れぬ、だが余は悪魔であった。それだけだ。だが、それがいつ反転するとも知れないのも、人の世なのだよ」


 ……カロはセヲォンの言葉に感情を揺さぶられた。一体何が正しいんだ、僕には分からない! ……そう叫びたい衝動を堪え切られなくなった、その時。


「私がこの循環を支えていたというなら……!」


 メリアが大声で叫んでカンテラを一番近くにいた衛兵に投げつけた。衛兵は避けきれずたまらずよろけて、松明が薬草園の床に転がった。メリアはためらわず、松明を素手で掴むと薬草園の薬草の茂みに投げつけた。


「……それを断つのもこの私よ……!」


 とたんに茂みに火の手が上がった。


「…薬草が…!」


 衛兵たちが動揺して叫んだ。薬草園が赤く照らされた。赤い炎に、禍々しい赤い花の影か重なり、それがゆらゆらと陽炎のように揺れている。鞘がパーン!と炎の中で弾ける音が響く。種がパラパラと落ちて、灰になっていく。皆が呆然としていくうちに、薬草園は炎に包まれた。禍々しい赤い花がどんどん激しく、だが、美しく炎の中で燃え上がっていく。


「早く、早く、水を!」


 衛兵は散り散りになり水を求めて、薬草園の外に駆け出した。


 炎の中の薬草園には、カロの父とセヲォン、カロとメリアが残された。赤い炎に映し出された顔は、皆、煤だらけである。


「……いやもう遅い……この薬草は人の血が混入してる分、油分が多い……。そうでは無いですか、陛下?」


「……そうなのか……本当に良く貴様は調べている……お前たち、好きにするがよい」


 顔と服を煤で汚しつつも、セヲォンは慌てず騒がず、一国の王らしく威風堂々とカロの父を見やった。そしてくるりと背を向けると、火の手が廻りつつある王宮へと肩をすくめながら、歩き去って行った。


 ……セヲォンの去り際の潔さに驚きつつ、カロは父に駆け寄り縄をほどいた。自由になった父はセヲォンの去った方向を見つめてしばらく黙っていたが、やがて、ぼそっと呟いた。


「テセは終わりだ。薬草の無いテセなど、ただの小国に元通りだ。王はよくそのことを分かっている……」


 そして燃える薬草を見つめながら、メリアが独り言のようにささやいた。


「これで私も助からなくなったわ……」


「メリア……」


「カロ……」


 意外なことに、メリアは微笑んでいた。そして一気に感情を押し流すかのように呟いた。


「私はいいの、ただ、私のおかげで、自分を含めたたくさんの人が、助からなくなったわ。後世の人は私を悪魔と呼ぶのでしょうね……薬草を絶やした悪魔と」


 カロはメリアの心中を思うと、嗚咽が漏れそうだった。それを堪えながらカロは叫んだ。


「いや! メリア! 僕は君と生きたい……悪魔と呼ばれてもいいから……後世の人たちが僕らをなんと呼ぼうか知ったことか! これでいい、これでいいんだ……」

 

 メリアは微笑みを満開の笑みに変えた。ぱっと見た目は華やかな、だが、なぜか哀しそうに見える不思議な笑みだった。


「……カロ。ありがとう。短い時間になるけど、それじゃあ、よろしくね……」


「……短く咲く花こそ、綺麗なんだよ……」


「あら、カロ、あなた、詩人ね」


 カロは赤くなった。そして心に哀しみが満ちてきた。メリアの笑みに、散っていく花の美しさを見たのだ。……そういえばここ数日、てっきり詩を読んでないな。よし、僕は、この子の命ある限り、この子のために詩を詠もう……!


 そう思ったとき……父がカロの心を、見透かしたように言った。


「…城を脱出するぞ。詩はそれからだ。ここは俺の古巣だ、ついてこい……!」


 ……カロとメリアは慌てて、父のあとについて歩き出す。そして、カロは気が付いたのだ、あれ、父さんが詩のことで僕を怒らないのは、はじめてだな、と。


 やがて、3人がたどり着いた城の堀は、今度は王宮からの炎を乱反射し、その奥底からきらきらときらめいていたまるで水の底に引きずり込まれてしまうかのように。


先ほどと同じ水面なのに、それは、また違う妖しい美しさであった。


 とこしえの人の世を映す、万華鏡カレイドスコープの如く。


               【第2章 完】

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