15「隠された素性」

 ようやくメリアは状況を理解した。自分がテセの神殿から逃げ出したこと。そして見知らぬ土地に迷い込み、ここでどうと疲れて倒れてしまったことも。

 

 それにしてもここはどこなんだろう。


「……あの……ここは……、どこの村、いや、国……なんでしょう?」


「……ガザリアだよ」


 カンテラの光のなか、目の前の少年が告げる。そういえばこの少年の装束もガザリア風だ。


「……まあ、なんと遠くまで来てしまったんでしょう……でも、生きている、私、生きているからそんなの全然問題ないわ!」


 なにやら興奮してぽんぽんと喜びを述べる少女にカロは呆れ果てて、もう言葉が出ない。

 だが、聞かねばならぬ。朝が来てしまう前にこの少女の正体を。


「えっと……いい加減、名乗れよ。で、なんでここに転がってたのか、いい加減、教えろ」


「あ、ごめんなさい、私は、メリア。逃げてきたの。テセから」


「テセの神殿から?」


「あら、あなた頭いい。なんでわかるの? それよりあなたは? あなたこそ誰なの?」


「その格好をみりゃ神官だって一目瞭然だろ。俺はカロ。お前がぶっ倒れてた畑の持ち主!」


「……じゃあ、私、あなたに助けて貰ったのね! なんて素敵なの! ありがとうカロ!」


 カロは赤面した。やっとそれに気づいたか、と思った途端、メリアはカロに抱きついて礼を述べてきたのである。


 いきなり、やわらかな少女の体に包まれ、カロのほうが今度はぶっ倒れそうだった。



 とりあえずメリアを古ぼけた馬小屋に隠すと、どう父にこのことを伝えるべきか悩みながら館に戻ったのは、明け方のことだった。

 明日の朝食時にでも相談しよう……ああ、それにしても腹減ったな…そう思いながらカロはそっと玄関を開けた。カロの夕食はすべてメリアに与えてしまったのだ。自分の人の良さに可笑しくなりながら目を上げれば、階段の先に立っていたのは父だった。


 重苦しい顔と、怒りの炎が目にちらちらしているのがカンテラ越しにも分かりカロの背筋は凍った。


「こんな夜明けに畑に女を連れ込んで……一体になにをしている? カロ!」


「……違います、父上!」


「言い逃れするつもりか?抱き合っていたのが窓から見えたぞ」


 誤解を解くためにカロは必死にこれまでのことを説明せざるを得なかった。明け方の階段にて父子は向かい合った。


 ……カロが話し終わった頃にはきらきらと、朝日が窓から姿を見せていた。


「……わかった。その話を信じよう」


 カロはほっと胸をなで下ろした。


 こんなことを色恋沙汰と勘違いされては敵わない。

 だが父の次の言葉にカロの胸はえぐられた。


「そのメリアとやらは、今日、王宮に連れて行く。テセに引き渡すためにな」


「……えっ」


「何を驚く。逃亡者、しかもテセの神官だぞ。かくまって我がガザリアに益は無い。いや、それどころが害になることすらあるだろう。お前は分かっていないのか? テセと我が国の国力の差を。そして俺たちがテセ人だと言うことを忘れたのか? あの家はテセ人だから、かくまった、そう言われたらどうなるか、想像もつかないのか?」


 ……カロの心と体が硬く固まった。



 テセ。ガザリアの隣国である。小国ながら、いま近隣諸国でいちばん国力を充実させている国だ。かつてはガザリアに従属する立場であったが、それを逆転させたのは十数年前のことである。


 ここ数百年、この世界に蔓延している疫病。その特効薬の開発にテセが成功したのだ。その製法はテセの国家機密であり、よって、薬の生産と流通をテセが完全に掌握した。


 喉から手が出るほど各国がほしがる薬である。テセの言い値で輸出される薬に諸国は飛びつき、当然、テセの経済は潤った。それと比例するようにガザリアの国力は凋落の一途である。テセは外交にその薬の存在をちらつかせ、いつしかガザリアとの立場を逆転させていった。


 それがいまのテセとガザリアの関係であった。


 そして。

 カロは父とテセから亡命してきた身であった。カロにはテセの記憶は無い。物心がついたときにはガザリアに生きていた。

 そのとき母はすでに亡く、そして父はなぜ自分たちがテセからガザリアに亡命する羽目になったのか、そのことは決して口を割ろうとしなかった。


 しかし人の噂は聞こえてくるものである。


「あの男はテセの軍人だったんだってさ、それも結構な地位の」


「テセで謀反を起こし、それに失敗して流れてきたとやら」


「いまではガザリアの王宮で、対テセの諜報部員だとさ。故郷を売って暮らしてるのさ、いい気なもんだね」


 ……カロは父に関する噂を直接的に、あるいは間接的に耳にして育った。それはときに幼いカロへの中傷でもあった。


 「恥知らずの子」。

 何度そう言われたか。自然とカロは身を隠すようにして学校生活を送るようになった。当然、友もできない。それでも父は亡命の理由をけっしてカロには明かさず、ただ噂を肯定も否定もせず、今は粛々とガザリアに尽くして生きている。

 

 それが生まれてことさら、隠されもしない、隠すこともできない、覆すことも叶わないカロの素性だった。



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