6 「セシリアの提案」
「出ろ!」
衛兵がそう言い、いきなりエスターの手足の枷を外したのは、それから数日経った夜半のことだった。やけに早いな、釈放か? いいや、処刑かも知れぬ……エスターの心の中には様々な思いが去来する。
だが、思うのだ。……こんな、最期だとしたら父さんに申し訳が立たないな。エスターの心が最後に行き着くのはやはりそこだった。なんのために戦ってきたのか、殺してきたのか。そこまで思って、先日エスターを怒鳴りつけた黒髪の大男のことを思い出した。……たしかヴォーグといったか。
……気が付けば、そうこうするうちに、エスターは王宮の一室の前に引きずられるように連れてこられていた。扉が開く。室内にいたのは、果たしてそのヴォーグ、そしてセヲォン、そしてそのふたりの間にすっと立っている位の高そうな女性だった。衛兵が一礼して去り、扉が閉まる。
「姉上、連れて参りました」
「お前がエスターですか、わたしはテセの女王、セシリアです」
その会話から、目の前にいる女性はこの国の統治者、そしてセヲォンはその弟とエスターは知る。では、ヴォーグは腹心の部下と言ったところだろうか……。そう思いながらヴォーグに目を向けると、途端にエスターに向かってヴォーグは声を押し殺し告げる。
「おい、何を突っ立ってるんだ……!」
エスターは背中の痛みに耐えながら、セシリアの前に跪いた。その上に降ってきたセシリアの声は厳しいものだった。
「お前を無辜の民を殺害した罪で、死罪に処す」
「……! セシリアさま、裁判にもかけずにですか! それは……」
ヴォーグが慌ててセシリアの顔を見る。するとセヲォンがヴォーグに向き直って言った。
「ヴォーグ、姉上の話を最後まで聞け」
ヴォーグは表情を固くしたまま引き下がった。それを見やりながら、セシリアの話は続く。セシリアはエスターの瞳をまっすぐに見つめるとこう告げた。
「ただ、お前もこのままここで死ぬのも心残りでしょう。助けてもよい。ただ、条件がある」
「……条件?」
エスターは意外な話の展開に戸惑いながら上を向いた。ふたりの視線がかち合う。
「エスター、お前はズームグの民というのは本当ですか」
「……はい……」
そこでセヲォンが姉の語を継ぐ。
「頼みがある。我々をズームグに導く道案内をしてほしい」
「……?」
エスターは降って湧いた話に驚いた。ヴォーグは固唾をのんで事の成り行きを見つめている。その視線の先で、セシリアが再び口を開いた。
「薬師と探索の者から、先日最終的な報告がありました。この世に満ちる疫病を治癒する薬草は、疫病発症の地、ズームグにあるのではと」
たまらずヴォーグは不躾と承知と思いつつ、口を挟んだ。
「ズームグの王都? ですが、あの国はとっくに滅び、都は廃墟になったと聞きますが」
セシリアは頷き、ヴォーグの無礼をとがめること無く話を続ける。
「その廃墟の中に薬草があるのではないかと、もう我々は考えるしかないのです。未だ探索の手が伸びてないのは、この世のそこしかないのです。ですが彼の地は疫病発症の地。土地に沈んだ死人の毒も濃く、それ故恐れられ、疫病発生以来ズームグに向かった者は皆無。よって我々には土地勘が全くありません。ですが、災いの地にこそ、真の希望が隠されているかもしれない。これは、確証もなく、賭けです。ですが我々はその希望に賭けざるを得ない所まで来ています。そこでエスター、お前の力が要るのです。長い旅の果て、この西の大地の縁の小国までたどり着いたお前です。その道を逆に辿ることも、エスター、お前ならできるのではないですか」
一気にセシリアは話しきると、きっ、とエスターを見つめた。さあどうする? と促す視線だった。しばしの沈黙ののち、エスターはちいさな声で尋ねた。
「断ったら?」
「その時はお前を裁判にかけ処刑するか、ガザリアに引き渡すか。それだけです」
物腰は柔らかいが、話の内容に容赦は無い。エスターは確かめるようにもう一回セシリアに尋ねた。
「……もし、私が申し出を受け、故郷で無事薬草を手に入れて帰還してきたら、罪は問わないということですか」
「統治者の威にかけてそれは保障します。薬が完成した暁には、それを一番に与えることも」
そこまで聞いて、エスターは漸く答えを口にした。我ながらもったいぶっているな、と思いながら。
「……断る理由がございません……」
エスターは薄く口に笑いを浮かべて答え、一礼した。
「よろしい。ただ、薬草を持って逃げられては敵わぬ。よってヴォーグを監視役としてお前につけます。ヴォーグ、よいですね」
「……はっ!」
ヴォーグは自分に任が廻ってきたことに多少驚きながらも、瞬時に返事を返した。ヴォーグにとって目の前の姉弟の命令は絶対だった。黒い髪をばさりと揺らし、頭を垂れる。
「話はこれで終わりです。ではふたりとも、旅の支度をしなさい。下男に申しつけてありますので、庭へまわるように」
「……よろしかったのですか? 姉上」
暗闇の中、庭で支度をするエスターとヴォーグを窓から見下ろしながら、セヲォンはセシリアに尋ねた。
「何がです」
「ヴォーグを任に当てて良かったのかと」
セシリアは振り向かぬまま弟の問いに答える。
「ヴォーグは地理に長けています。剣の腕も立つうえ、国への忠誠心も厚い。適任ではありませんか。違って?」
「そういうことでなく、心配では無いのですか」
セシリアは身動きひとつしない。
「任を必ずや全うして還ってくることでしょう。あれほどの腕なら、どんな危険に遭っても」
「危険なのはあの女ですよ」
ぴく、と姉の瞼が動くのをセヲォンは見た。いや、そう見えただけかもしれぬが。
「ヴォーグはあの女に妙に感情的になっている。あのときの話をしましたよね」
「……もう、お前も寝なさい」
セヲォンは微笑みを崩さぬまま肩をすくめて、一礼すると、姉の部屋を辞した。
セシリアは窓の外を見ようともしなかったな、と思いながら。
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