9 「廃墟の薬草園」
エスターは城壁の中に滑り込んだ。急がねば……焦るエスターの目をまたも奪ったのは、おびただしい数の人骨である。至る所に転がる、骨・骨・骨。みなこの王都に暮らしていた者どもだろうか。これが父の勤めていた城のなれの果てか。ここで自分は産まれ、母と死に別れたのか。そして母と同じ疫病で死んでいった者どもが、今自分が踏みしめている人骨なのか……。
こうして、皆、滅びていったのか……。エスターは放心しかけたが、並ぶ人骨が皆同じ方向を向いて倒れているのに気が付いた。皆どこかに向かう途中で息絶えたのだ。エスターはその人骨の群れが向かったであろうと思われる場所を目指すことにした。迷路のような城内をエスターは足早に進む。息が切れる。恐ろしいほどの静寂が広がる。自分の息と人骨を踏みしめる足音しかもう聞こえない。
やがて、足に広がる骨がまばらになってきた頃、エスターがたどり着いたのは、もとはガラスで覆われていた、らしい、円形の温室のあとだった。ちいさな文字で温室の入り口には文字が刻まれていた。「王立薬草園」と微かに読むことができる。エスターは廃墟となったかつての薬草園に足をそっと踏み入れた。
足下には古びた紙片が散らばっている。薬草についての覚え書きだった。エスターはしばし目を走らせた。そして目を上げれば、薬草園のその中央には、エスターの背丈を超える茎の上に、大きな、大きな真っ赤の花弁を持つ花が、まるで今を盛りとばかりに咲き誇っていた。
それは、紙片に描かれていた薬草と同じ姿形をしていた。
「これが……」
エスターは声にならない声で呟きながら、魅入られたように一歩一歩花へと歩み寄って、花弁に触れた。とたんに茎にぶら下がっていたこれまた大きな鞘が割れ、バラバラとなにかが落ちてくる。
種だった。
エスターは慌ててそれらを拾い集め、空になっていた皮の水筒の中にしまった。そして身を翻すと、荒れ果てた薬草園を後にし、再び人骨を目印に、今来た道を逆に辿っていった。
ヴォーグは混濁する意識の中、自分の体が奇妙な姿勢で宙に浮いているのを感じていた。どうやらマントがたまたま平原に落ちていた、かつては城壁を成していた巨大な石に引っかかっているらしい。
それで俺の体は完全に土に取り込まれずにすんでいるのか……だがその幸運も長く、続きそうにないな……。マントはヴォーグの土にまみれた体の重みで次第に破れつつある。
これが死ぬということか……斬られて、焼かれて、死ぬのとは……何か違いがあるのだろうか……? いずれにしても苦しいことには変らんな……。
急に、ヴォーグの体がふっと軽くなった。ヴォーグは、マントが切れたな、と思い観念したが、違った。自分の土に埋もれていた手を誰かがつかみ、引き上げようとしていた。意識を振り絞り動かした視線の先には、泥だらけのエスターの顔があった。エスターは渾身の力を腕に込めて、ヴォーグの腕をつかみ、引っ張った。少しずつ、少しずつ、ヴォーグの体は地中から、地表に浮かび上がった。息が完全にできるようになったヴォーグは、最後は自力で土の中から起き上がった。泥にまみれたふたりは、赤い花の咲く平原にただふたり、座り込んでお互いの顔を見た。
「……見つかったのか……?」
「……たぶん……」
エスターは息を切らしながら応えた。大きく息を吐き、ヴォーグはエスターに問いかけた。
「……それで、なぜ逃げなかった。なぜ、俺を助けた、それを持って去らなかった……?」
エスターは何も言わなかった。言えなかったのだ。なぜだか分からぬが、涙が後から後から出てきて、何も言葉にすることができなかった。泥が縞状にエスターの顔を汚したが、やはり、エスターはただ泣くことしかできなかった。
その涙を、あのときのように、ヴォーグの手が拭った。が、エスター以上に泥まみれのヴォーグであったから、さらにエスターの顔は泥にまみれた。だが、エスターはその手を払おうとはしなかった。
ヴォーグもまた、しまったな、と思いながらも、後から思い出せば、永遠かと思われる刻の間、その手を動かせずにいた。
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