19「森の衆」

 光が緑の狭間から満ちてくる。カロが気付けば、新しい朝が訪れていた。となりではメリアがすやすやと寝息を立てている。ふたりが包まれている草のふんわりとしたベッドは森の衆が用意してくれたものだ。


 そしてベッドの周りには、森の衆が木の上から落としてくれた木の実を食べ散らかした跡がある。ほかでもないカロとメリアの昨日の夕食の残骸だった。

 そこまで思い出して、カロは自分が昨日この森にたどり着いたことと、この森を支配する「森の衆」といわれる民から聴いた、自分に関する重大な話を反芻した。


「僕は……」




 …昨夜、突然のその出現に驚くカロとメリアに、森の衆は木の実をドサリとまず与えた。とりあえず、空腹の極みだったふたりは、それらをむさぼるように食べた。

 彼ら森の衆は地上に降りてこない。外の者に、姿を現すのを恐れているのだという。

「病のため膿に覆われた体を見たら、お前たちは驚くだろうからな」


「驚くだろうからな」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……ざわざわ……

 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……ざわざわ……


 誰かが何かを言うと、他の者が木霊のように呼応する。それが森の衆の会話の特徴であった。

それは鳥のさえずりに似ており、または、詩の朗読のようでもあり、詩を書くのが何よりも好きなカロには心地よい響きであった。

 …ああ、そういえば、詩を書き溜めた帳面は、崩れた馬小屋の下だ…もったいないことをしてしまったな…。カロはそこで今ではすっかり遠くなってしまった我が家に気を向ける。父はあれからどうなったであろうか。ガザリア軍は父をどう処遇したのだろう。

 気に掛かるが、今のカロには知る術もない。


「食べ終わったか。どうだ、美味かっただろう。その木の実は客人にしかもたらさない、栄養分豊富な貴重な実なのだぞ」


「美味い、美味い、実なのだぞ」


 カロははっとして上を見た。漸く腹が膨れたからには、聴かねばならぬ。なぜ「お帰り」なのか。自分はこの森にきたことなど、ついぞないというのに。

 きっ、と上を見上げてカロは目に見えぬ、森の衆に語りかけた。メリアはただじっとその様子をうかがっている。


「礼を言う。ありがとう、美味しかったよ。それにしてもなぜ“お帰り”なのかい?僕はこの森に来たことはないぞ」


「来たことないってよ」


「覚えてないってよ」


 森の衆の声が木霊する。歌うように、さえずるように、その声は夜の森に響き渡る。


「お前はこの森の出身だ」


「そうだ、この森の衆の出身だ」


「どういうことか教えてやろう。聴くがいい」


「じっくり聴くがいい、知るがいい」

  

 ……こうして始まったカロとこの森ににまつわる話は、その夜更けまで続く、長く、そしてあまりにも意外なものだった。




「我々の村、フィード。疫病の者どもが住む貧しい村。この村は20年前、一度滅びました。あなた様のお父上の目の前で」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……


「そうだ、そうだ、昔のことだ。だが忘れては無いぞ、われわれは」


「ある日のことだ。ある者が、テセの国境警備隊の兵士を殺して逃げてきました。我々は、その者を受け入れました。なぜなら、その者は、仲間であったから。つまり、病を患う者であったから」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……


「そうだ、そうだ、仲間だったのだ。仲間だったのだ」


「事が起こったのはその夜です。国境警備隊が我々の村を訪ねてきた。もちろん、その者の行方を捜してのことです。将軍自らが村の長を尋問しましたが。われわれは、そのものを引渡すことを断りました」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……


「そうだ、そうだ、仲間を売るわけにはいかぬ。いかぬ」


「ところが、断るやいなや、将軍は長の首を剣で一刀両断にしました。そして将軍は恫喝したのです。こうなりたくならなければ、そのものを差し出せと」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……


「そうだ、そうだ、あの光景はおそろしかった、おそろしかった」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……


 森の衆の声と、木々を通り抜ける風が、うねる。


「だがそんなことはできぬと、我々は震える声で言いました。すると、将軍は外に出ると大きな声で何か叫んだのです。次の瞬間、夜闇に隠れていた兵士たちによって一斉に村に火の矢が放たれました。村は火に包まれました。そして、逃げ惑う村人の背に、今度は兵士の刀が躍ります。村人は次々と絶命していきました」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……

 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……


「そうだ、そうだ、炎の中の忌まわしい夜だった、夜だった」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……

 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……


「国境警備隊は、我々を皆殺しにしたのだ。見せしめのために、見せしめのために」


 風が止んだ。

 そこでいったん、森の衆のざわめきも途切れる。

 その忌まわしい記憶を弔うかのように。


「……だが、助かった者がいました。我々の村には、国境警備隊のあるひとりの兵士と恋仲の娘がいたのです。その兵士は将軍や同僚の目を盗んで、紅蓮の炎の中からその娘カレンとその家族を救い出すと、密かにこの森に隠しました」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……


「そうだ、そうだ、あれは勇敢な行為だった、勇敢だった」


「カレンの恋人は事件のあと、除隊すると都に戻っていきました。だが、それからひと月後、カレンは身ごもっていることに気づきました。ほかでもない兵士との子でした。カレンは、ほどなくして元気な子を産みました」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……


「そうだ、そうだ、あれは元気な産声だった、産声だったぞ」


「それから数年後のことです。我々の森にあの兵士が姿を現しました。彼は血だらけでした。彼は王弟の副官にまで出世していましたが、その身分をなげうって、敵を取ってきたとカレンに告げました。あの夜、我々への殺戮を指示した将軍ヴォーグを殺してきたと」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……


「そうだ、そうだ。彼は、かたき、敵を討ったのだ」


「兵士はもうテセにはいられない、カレンに一緒にガザリアに亡命しようと言いました。が、カレンは言いました。自分は明日をも知れぬ病の身、ガザリアまで逃げるのには足手まといになると。そのかわり、未来あるこの子を連れていってほしい、と。兵士は承諾すると、子を連れてガザリアへと亡命していきました。……カレンは程なく死に、兵士はもどることはありませんでした、が……我々の前に、いま、その忘れ形見は姿を現しました」


 はっ、として、カロは固唾をのんでその声に聞き入った。

 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……


「そうだ、そうだ、今目の前にその子がいる、いる」


 ……ざわ、ざわざ、ざわわ……ざわざわ……


「こんなに大きくなって、大きくなって」


 ……そこでしばし森に沈黙が訪れた。

 カロは息を殺して次の言葉を待った。


「カロ、それがお前です」


 ……カロは目を見張り大きく息を吐いた。

 僕はこの森で生まれたなんて……。

 そして、父上……父上……、あなたという人は……。


 カロはその場に崩れ落ちた。体が小刻みに震える。

 メリアがそっと、その肩に、自らのすり切れたローブをかけた。

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