28 ずっと真夜中でいいのに

 政府の発言とはうらはらに、〈花火〉の残数はいっこうに底を見せないようでした。それどころか戦域は、ますます拡大をつづけているようでした。

 ついにはとおい雷鳴のような迫撃砲の発射音まで耳にするようにもなります。むろん、その着弾する炸裂音も、より強力にわたしたちの耳にとどきます。

 それが美野留ミノルをすっかり滅入らせてしまっていたんです。

 僕はまた戦場にもどされるんだ。すっかりふるえながらそう美野留はつぶやきます。僕はまた銃をもたされる。僕はまた、目のまえの敵を殺せと命じられるんだ。

 そんなことはもうさせないといくらわたしが説得してみても、無駄でした。美野留はもう〈べつの次元〉にいるかのようで、わたしの声は、すこしもとどかないようでした。

 この音がきこえるかぎり美野留は自分を見うしってしまう。

 そのことが、わたしが亡命をきめた理由のまずはひとつめです。


 別の日に、わたしの研究室へ匿名の封筒がとどきました。

 正確には差出人の名はかかれていたのですが、その研究機関名は架空のもので、理解のある人間にはすぐに偽名だとわかるものです。

 ともかくその中身はとある論文の写しでした。

 その内容は、とても興味ぶかいものでした。緩衝地帯を無断越境する人民解放軍所属のいちぶ機械兵士、通称〈バグもち〉の検体を分析した結果をレポートしているんですが、それら検体に共通する特徴を見出したと論文は主張しています。〈情緒判定テストならびに対話による自由連想法を通してえられた対象検体群の思考パターン検出結果から、現在商業利用されている自律型プログラムの思考パターンとの相似性を分析した結果、ある製品群において局所的にではあるが驚くほどの一致を見せることが判明した。それは世界的にも流通している、ビル清掃用の自律型思考プログラムである。対象検体群は共通して、このビル清掃用プログラムとの思考パターンの局所的一致を見せるのである。これはまだ推察の域を出ないのだが、対象検体群が犯した逸脱行為には、このプログラムが命ずる環境保全の概念が影響しているのではないだろうか〉

 論文の執筆者は、シンガポール国立大学設計環境学部の准教授でした。

 この論文の存在を、わたしはまったく知りませんでした。機械兵士の最新の研究において、間違いなく重要論文であるはずなのに。

 情報が統制されていることに、わたしは思いあたります。あるいは国際的なアカデミズムから、すでに天馬坂学園は切り離されているのかもしれないと気づきます。

 そこまで戦況はわるくなっている?

 学部長からは立てつづけになんまいも、〈軍需的な発明品〉を催促する文章がとどけられていました。

 臨時政府は見かけ以上にいま、崩壊の瀬戸際に立たされている?

 その考えは加速をつづけていきます。迫撃砲の炸裂音が、もうすぐそこまで迫っているように感じられます。

 ここを離れるなら、いましかない。もう結論を先のばしにしている余裕はありませんでした。ここにいてはもう、いまのように研究をつづけられないかもしれない。

 亡命をえらんだ、それがもうひとつの理由でした。


 金曜日が土曜日に切りかわってからぴったり二時間後、ききのがすほどにちいさく研究室の戸をノックする音が部屋にひびきます。二回、そして間をおいて、もう三回。

 それが事前にきめられた合図でした。

 ドアのむこうには、見おぼえのあるふたりの男が立っています。

 申し訳ございません、念のため、見えないように覆いをさせていただきます。男のひとりがそういうと、かかえていた硬い生地の布を器用にひろげて、うなだれて椅子にすわる美野留をていねいにくるんでいきます。

 美野留はすでにシャットダウンさせていました。

 かれらは持ちはこんできたときとどうように、ミイラみたいに布でつつまれた美野留をかかえてから、わたしに視線をむけます。

 荷物はよろしいですか?

 わたしはちいさな旅行かばんだけを手にとって、ちいさくうなずきます。男たちは注意ぶかくドアを通りぬけると、音もなく、そのわりにはやい足取りで廊下をすすんでいきます。研究施設のそとには特徴のない紺色のミニバンが停まっていて、かれらはよどみない動作で後部座席へと美野留を寝かせます。どうぞ、といってそのとなりへわたしを誘導します。旅行かばんをあずかろうとしましたが、わたしはそれをことわりました。

 かばんのなかには護身用の拳銃と、たいせつな、マーガレットのコアチップがふくまれていましたから。

 二時間ほどで首都特別区をぬける予定です。ハンドルをにぎったほうの男がそうつたえます。それまではできるだけ身を隠していてください。危険はないはずですが、迂回をして可能なかぎり安全なルートをすすみます。州境をこえれば四時間ほどで、諏訪へたどり着きます。

 わかりました。わたしはそうつぶやきます。こころもち、身を低くしてすわってみます。車窓のむこうの首都の風景はおどろくほど閑散としていました。まるで灯火管制のようにともる明かりの数はすくなく、幹線道路を走る車も、意外なほどにすくなく感じられました。

 とても静かな夜でした。

 わたしはそらに星を探しますが、見つかりません。人工衛星の不吉な明滅がときおり目につくだけです。

 生まれ故郷ではたくさんの星が見えるだろうかと、わたしは思います。もうすぐです。

 やがて重くからみつくような眠気がやってきて、わたしのからだをシートに沈みこませようとくわだてます。睡眠をとっていただいてもけっこうですよ、と助手席の男がいいました。なにかあれば起こします。まあ、なにごともないでしょうけど。

 そうします。そうことわって、わたしはからだをよこにたおします。寝かされたかたちの美野留の胸のうえに、わたしはあたまをあずけます。なんとなく、活動を停止していても美野留はわたしをうけいれてくれるような気がしました。

 あまい眠りがすぐにやってきました。


 まどろみから目ざめたとき、車はまだ走行していましたがそとは夜あけの光がうすくにじみはじめていました。

 特別区はもうぬけでていますと、ハンドルをにぎる男がすこしだけくつろいだ声でいいます。ご安心ください。すでに臨時政府の支配圏からは脱出しています。どこかですこし休憩しましょう。もうすぐ陽ものぼりますよ。

 わたしたちは峠ちかくの無人の駐車場に車を停めました。東のそらが白みはじめています。男たちは車をおりておおきく伸びをしていました。美野留を起動させてもいいかとたずねると、もう大丈夫でしょうと肩をほぐしながら男のひとりがこたえました。わたしは後部座席に美野留をすわらせ、再起動の操作をほどこします。

 ちょうど日差しがわたしたちを照らしました。

 おはよう、スミレ。起動を終え、寝ぼけたような顔の美野留がわたしにそう呼びかけます。僕たちはもうたどり着いたの?

 いいえ、でも、もうすこしですよ。わたしはほほえみながらそうつたえます。わたしたちはもう、安全なところにいます。

 それはよかった。美野留もうれしそうに笑いかけます。そしてわたしの手をとると、起動直後の混濁した意識でつぶやきます。あとはじっくりと、〈時間遡行機〉の研究をすすめるだけだね。

 〈時間遡行機〉? わたしはなんのことかわからず、困ったように笑います。それはいったいなんのことですか?

 大丈夫、なにがあっても僕たちはまた会えるよ。ぼんやりとした目のままで、美野留はなおもつづけます。僕たちはかならずまた会えるよ。いつでも、なんどでも。なにがあっても。

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