29 本歌取り
諏訪の地で、革命政府に提供をうけた森のなかのちいさな研究所は、たしかに研究資材や書籍に不足はありましたが、それでもわたしの要望を、じゅうぶんにみたすものでした。
長官はあいにく多忙でして。最後までわたしたちをみちびいてくれた案内役の男は、研究室の設備をひととおり説明したあとでそういいました。申し訳ございませんが、後日あらためてうかがうかと思います。
かれらが去ると、研究所にはわたしと
気もちのいい場所だね。はじめて見る森にうかれた様子で美野留はいいます。静かで、スミレの研究もはかどりそうだ。
そう、とても静かな場所です。わたしは冷ややかな森の空気を吸いながらささやきます。でも、もうすこしだけうるさくなると思いますよ。
森の研究所にやってきてわたしが最初に取りくんだ研究は、マーガレットを完成させることでした。
わたしの脳機能をあらためてトーレスし直し、マーガレットのコアチップにかきこみます。基本的には以前の工程とおなじでしたが、あらたにつけ加えられた要素もあります。ボディをくわえるために必要な、身体機能にかかわる各種ソフトウェア・コンポーネント。思考パターンの可塑性に関する最新のモジュール。森の生活で必要な動植物に関するインテリジェンス・パック。そして先日の論文でふれられていた、ビル清掃用の思考プログラム。
おはよう、ひさしぶり。じつに数年ぶりに起動したマーガレットの会話プログラムは、それを感じさせない自然さでまた、話しはじめます。なんだよ、ずいぶん成長したみたいだな。心身ともに、すこやかに。いまのスミレは、なんていうか、いい感じだよ。
すごく待たせちゃって、ごめんなさい。いぜんにはない親しみをこめて、わたしは話しかけます。なんだかずいぶん遠まわりをしたのかもしれないです。でも、多少は人間くさくなれたように思います。友だちもできました。マーガレットとも、友だちに、なりたいんです。
友だちなら、マーガレットなんてよそよそしい呼び方をしないでよ。マーガレットは視線を泳がせて、気恥ずかしそうに笑います。わたしのことは、メグでいいよ。
メグ。
そう。
研究所でのくらしは、これで三人になりました。
ボディの装着もとどこおりなくすすみました。
すっと起きあがったメグは、立ちはだかるようにわたしのまえにならびます。
まるで双子みたいですね。わたしのその言葉に、メグはあっさりとこうこたえます。いいや、わたしのほうが若干美人だ。
わたしは息を呑みます。
じっとメグの顔を見ます。
そのとおりでした。
なぜかはわかりません。メグの外見は、すべてまったくわたしを模倣してつくられているはずです。完全なるトーレスです。ある意味で一卵性の双子よりも厳密に、徹底的に、わたしたちは似ているはずなんです。
でも、完成したメグは、たしかにわたしよりもきれいでした。
わたしの目にそれは明らかでした。
なぜかはわかりません。
やっぱりメグはうそをつかないなあ、と感心する気もちのいっぽうで、たしかにわたしの心には、〈その言葉〉が最初に芽ばえたのだと思います。〈その言葉〉はそれからも順調にそだっていき、わたしを縛り、わたしが最後にえらんだ行動へと、駆りたてることになります。
それはこんな言葉です。
〈ああ、取られちゃうかもしれないな〉
つぎに〈その言葉〉がうかんだのは、ある日研究に取りくんでいる最中のことでした。
研究分野の関連書籍が必要になったときは、いつもメグに手伝ってもらっていました。メグならわたしと(ほぼ)おなじ見た目なので図書館でも本人のふりをできますし、美野留と違って、研究内容の機微にいたるまで把握することもできたからです。メグがえらぶ書籍は的確で、わたしの必要としている情報をしっかりとおさえていますし、ときにはそれを、先まわりしていることさえありました。
もっともメグは、自分からなにか研究しようとは思わないようでしたけど。
だからメグがとつぜん、自分でも発明品をつくりたいので道具をつかわせてほしいといいだしたときは、とてもおどろきました。べつにかまわないけれどとつたえると、さっそくあれこれ工具をつかって、メグは夢中になってなにかをつくりはじめました。
出来あがったのは、不思議な見た目の拳銃です。
メグはそれを〈トキメキ☆ハンドガン〉を呼びました。
メグの説明によればそれは、相手の〈精神波形〉を強制的に変えさせる強烈な精神波動弾を撃ちだせる装置なのだということでした。
〈精神波形〉を、強制的に変えさせる?
でも、どうやってそんなことを? わたしは自分の研究の手をとめて、理解が追いつかずメグにたずねます。いったいどんな理論でそんなことを、可能にさせているの?
理論とかむずしいことはわたしにはわからんよ。メグは出来あがった発明品をもてあそびながら肩をすくめてみせます。わたしはスミレみたいにかしこくはないんだ。計算とか論理とかわたしにはよくわからない。スミレの論文を読んでみて、ただ、なんとなく、こうすれば出来あがるだろうって思いついただけ。でもちゃんと機能するよ、ためしてみる?
そういってメグはわたしに〈トキメキ☆ハンドガン〉の銃口をむけました。でもすぐ、冗談だよ冗談、といってそれをおろします。そのかわりにメグは小屋のそとに出て、そのまま森のおくへとすすんでいき、そしてしばらくしてまたかえってきました。そのとなりには、妙になついた様子の大柄なイノシシが、ぴったりと足並みをそろえてついてきています。
これの効果。そういってメグは手にしたままの〈トキメキ☆ハンドガン〉をそっとかかげてみせます。そして不敵に笑います。すごいだろ。
わたしはぽつんと、取り残されたような気もちにおそわれました。
わたしはけっきょく、〈精神波形〉を提唱してみたものの、それをコントロールするような具体的な装置をつくりあげることはできませんでした。そのための理論も、まったく用意できませんでした。
でもメグは、あっさりとそれをつくってしまう。計算も理論もすっ飛ばして、当たりまえのこととしてそれを、あっけなくつくってしまう。
天才だ、とわたしは思いました。メグはまぎれもない天才だ。〈天才少女〉なんて呼ばれている、わたしをはるかに上まわるていどに。
そしてわたしは思うんです。ああ、取られちゃうかもしれないな、と。
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