10 天才少女に恋は難しい
すべてのはじまりは地下室だった。
スミレが恋に落ちていることは、すぐにわかった。
ある日をさかいに表情がかわった。声色がかわった。瞳の色がかわった。なによりわたしに話しかける機会がとつぜん増えた。研究室の地下室で惰眠をむさぼっていたわたしにむけて、スミレはたびたび自分勝手な質問をぶつけた。いわく、
きょうの髪型変じゃないですか?
この服装どう思います?
お化粧ってちゃんとしたほうがいいのかな?
部屋が片づいていない女子って、嫌われますか?
愛想よく笑う秘訣とかってあるんですかね?
きょうの髪型変じゃないですか?
以下、無限ループ。前のめりにいくつもいくつも質問を投げつけるスミレに対してわたしはひとりちいさくつぶやく。いわく、
乙女か。
そしてその〈機械兵士〉のすがたを最初に目にしたとき、まさかそれが、スミレの恋する相手だなどとは思ってもみなかった。
機械兵士は
みすぼらしい素体、たいして早くもないし洗練されてもいない思考ルーチン。そのうえひどくそそっかしく、ときどき足をすべらせては頭を打ち、そのたびスミレに修理される。
取り柄なんてなにもない。
ただのピンぼけ機械兵士だった。
こいつのどこに惹かれる要素があるのか、わたしにはまったくもって理解できない。
そもそもスミレはモテる女子だ。あたまは良いしそれに可愛い。言いよる男は(女も)無数にいる。こんなピンぼけ機械兵士をわざわざ相手にするような道理はひとつもないはずだ。
でも、スミレは美野留に夢中だった。
わからない。
そのわからなさがわたしを不快にさせる。イライラさせる。
わたしはいつしかその機械兵士を心底嫌悪するようになっていた。
スミレを奪われたようにさえ思いはじめた。ほんとうは違う、べつにそんなことはない。そもそもわたしはずいぶんながいこと放置されたままだったし、こいつがやってきてからのほうが、スミレがわたしに話しかける機会はむしろ増えていたというのに。でも感情はとめられない。イライラはおさえられない。わたしはこいつが嫌いなのだと、わたしはすっかりきめこんでしまった。
ある日、声をかけられた。
そいつはその日ひとりもくもくと研究室じゅうを掃除してまわっていた。そしてそのうちに地下室へもおりてきた。わたしは関わりあいになりたくなかったので、終始たぬき寝いりをつづけていた。さっさと出ていけと、胸のうちで強く念じながら。けっきょくその思いはみじんもつたわらず、そいつはふいに、わたしにむかって声をかけた。
あの、こんにちは、はじめまして。美野留といいます。
無視してもよかった。寝たふりをつづければよかった。でも、なんだかひどく中傷してやりたい気分におそわれて、わたしはゆっくりと目を開け、口を開く。
〈ミノムシ?〉
〈好きなひとがいたところであんたみたいなピンぼけやろうは誰も相手にしないけど〉
いいたい放題いってやってすっきりしたあと、わたしはまたたぬき寝いりをはじめる。
罵倒してやったつもりだった。
傷つけてやったつもりだった。
涙目でうろたえている様子を想像して、わたしはうすく目を開く。
意外にも美野留は、困ったような顔でただほほえんでいるだけだった。
ちいさく首をふって、そしてまた、先ほどとおなじようにていねいに掃除をはじめるだけだった。
まるでなにひとつ、気にしていないかのように。
罵倒のキレがぜんぜん足りなかった。クソ。そんなふうに思って、わたしははらわたを煮えくり返らせた。ピンぼけやろうのくせに余裕ぶりやがって。わたしの憎悪はいちだんと増した。きたない言葉を頭のなかでなんどもなんども投げつけてやった。きらいだ、きらいだ。お前なんかきらいだ!
スミレはどうしてこんなやつを?
こんなピンぼけやろうの、いったいどこがいいんだよ?
クソ、クソ。
わたしは憎悪の言葉をくり返す。憎悪の暴走をくり返す。
閉じたまぶたの暗闇にうかぶ美野留のすがたは、あいかわらず、どこか困ったようにほほえんでいた。
そう。すべてのはじまりは、あの地下室だった。
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