8 無限ループって怖くね?
獰猛なネコ科の咆哮のような雷の音がえんえんとつづいていた。
雨はいつの間にかやんでいた。
窓をとおして、夜あけの青い光がすこしずつ白さを増した。
最後にいちどだけ、トタン板を引きさくような烈しい音の落雷があった。
寝袋のなかに僕はいた。
そしてその場所は、トンネルの手まえにあったあの民家だった。
からだに異常はなかった。
窓のむこうの風景にも変化はなかった。ふもとの、灰におおわれたかわりばえのない県道がつづいていた。
僕はそとへ出て、山の中腹へ目をむけた。
鳥居を見つけた。
鳥居をつらぬくながい石段を見つけた。
荷物を確認する。ポケットのなかにはきのう投げいれたはずの一枚きりの十円銅貨が、まだ残っていた。
僕は確信する。間違いない。
〈時間遡行〉が発生している。
メグは信じなかった。
僕が体験した内容を話してみても、ただの夢だときめつけた。
僕は石段をたどりながら説明した。石段が途中でおわり山みちがつづくこと。そのさきに祠があって、ちいさな鉄製のさいせん箱が併置されていること。そのおくに山小屋があって、おびただしい数の本がちらばっていること。
そのことごとくが一致した。
この本に写真がはさまっているんだ。そういって僕はベッドのうえの本を手にとる。じっさいにそこにはさまれた、おさない少女の写真を取りだしてみせる。メグはその写真をじっくりとながめたあとで、つまらなそうにぽつりとつぶやく。わたしのほうが美人だ。
それはもうきいたんだと僕は答える。そうじゃなくて、〈時間遡行〉を信じる気になった?
〈時間遡行〉ときまったわけじゃない。メグはなおも抵抗する。事前に知っていたとか、偶然の一致とか、なにかの雰囲気を察したとか、可能性はまだほかにもある。
すこしするとまた灰が降りはじめるんだ。僕は窓のそとを指さしてそう予言する。そして昼ごろから風がでてきて、夕方になるころには嵐のような強風になっている。小屋をゆらすほどの強い風が吹くけれど、夜のうちにあっけなく去っている。僕はそれを、たしかに経験したんだ。
なるほどね。メグは気だるそうにいった。でもそれは予言じゃなくて予報では?
それはかならず起きるんだと僕はいった。
そして〈時間遡行〉もまた起きる? ロッキングチェアをゆらしながらメグは挑戦的にたずねた。そしてまたけさにもどって、〈無限ループ〉をくり返すってわけ?
僕は、答えられなかった。
それでも僕の宣言どおり、すぐに灰が降りだして昼すぎまでつづき、次第に風が強くなった。陽が落ちてからも、烈しい風はいっこうにやむ気配をみせなかった。
すごいゆれるね。ロッキングチェアをきしませながらメグはいった。ぜんぜんやみそうにない。
そうだね、と僕はつぶやく。でも真夜中になるころには、ぜんぶとおりすぎているんだ。
そしてそのとおりになる。
夜半に嵐は前ぶれなくおさまり、静寂が山いちめんをぴったりとおおう。無明の漆黒が部屋まではいりこみ、静止し、ときがとまってしまったかのように錯覚させる。暗闇のなかでいつの間にかメグはすがたを消していた。呼びかけて反応がないところも、昨夜とおなじ。経験したとおりの闇があたりを支配する。でも違う。こんかいの夜はきのうと違う。僕は身じろぎせず耳を澄ませて待っていた。ふたたびあのざわめきがやってくるしゅんかんを、待ちうけていた。
でも、こなかった。
無音はいつまでも無音のままだった。
僕はそっと窓辺により、そとの様子に目をむける。
ただの暗黒が見えるだけだった。
濃淡のない闇はどこまでもつづき、なんの変化もなく、ただ闇でありつづけるだけだった。
僕はロッキングチェアに腰をおろし、静かに耳をかたむける。音を待つ。談笑を、話し声を、喝采を、歌声を。でもそれはやってこなかった。青い光も、少年も、なにもあらわれなかった。閃光も轟音も地響きも熱風もこなかった。まどろみのなかで朝をむかえた。夜の底にどんよりと青をふくむ明るさがにじみはじめた。青い闇はしだいに白く染まっていった。〈時間遡行〉は発生せず、ただしく夜はつぎの朝をむかえた。
おはよう、予言者
時間は巻きもどらなかった。その手を握りしめて僕はいった。とりあえず、僕たちは無限ループに絡みとられることはなかったみたいだ。
死よりもおそろしい〈無限ループ〉、とメグはいった。
死よりもおそろしい〈無限ループ〉。僕もそう、くり返した。
出発まえ、僕は祠に立ちよってさいせん箱へ十円銅貨を投げいれた。
指を組みあわせていのっていると、やり方が違うとメグが指摘した。
手を鳴らすんだよ。メグが仕草でしめす。で、お辞儀すんの。
こう?
教えられたようにして、僕はもういちどいのりをささげる。そしてつぶやく。ありがとう、いってくるよ。
〈こちらこそありがとう〉〈すてきな音を、ありがとう〉
教えられたとおり、石段をのぼりきった場所から左にのびるちいさな道があって、それは斜面中腹をたどりながらしばらくつづいていた。そのさきにはたしかに、ふるめかしいレンガで縁どりをされたトンネルあって、朽ちかけた木板がいくつも打ちつけられてその入り口をふさいでいた。
手近にあった石をつかって、僕はそれをうちこわす。
山のむこうに答えがある気がする。腐った木板をひきはがしながら僕はいった。このトンネルをこえたさきに、きっとなにか答えがある。なにかわかることがある。うまくいえないけれど、僕にはそんな気がするんだ。
それはすごく楽しみだなと、メグは気のない声でそうつぶやいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます