7 ワルプルギスの夜の夢
椅子から立ちあがり、足音をしのばせ、窓のむこうをのぞきこむ。
夜あけにはまだとおい、月の光も星の光もとおさない圧倒的な闇がひろがっている。
そして光が点在している。
どこまでもひろがる完全な闇を背景にして、どことなくにじんだような、ぼうっとしたちいさな〈青い光〉がところどころに点在している。
それは動いている。山肌を縫うようにして、おなじ方向にむかって、それは山をのぼるように動いている。
そしてそれらは笑っている。光たちはたがいによりあってグループをつくり、談笑しながら動いている。そんな声が遠くかすかに響いている。あちこちから笑い声のような音がべつべつのかたまりとなってここまでとどく。
すくなくとも、そんなふうにきこえる。
メグ、と押し殺した声で僕は呼びかける。反応はない。いつものように。闇のなかで僕は拳銃を抜きだし、スライドさせ、安全装置を解除する。身がまえつつ窓のむこうに目をはしらせる。青い光はいたるところに点在している。その点在の仕方によって暗黒の風景に山の輪郭をおぼろげにえがきだすようでもある。青い光はどこにもいる。ふもとのほうにも、山頂ちかくにも、急峻な崖のなかほどでさえも。
メグ。もういちど声をかけるがむだだった。僕はひとり深呼吸をして窓辺をはなれる。音をたてないよう慎重に、息を殺して移動をし、玄関口にちかづき、そしてゆっくりとドアを開ける。矩形の視界のさきに青い光はいない。そとに出る。笑い声のようなざわめきがよりクリアにきこえるようになり、その存在の現実感を高める。
拳銃をかまえる。視界の開ける地点を目ざしてゆっくりと歩をすすめる。ちかづくにつれ、だんだんと耳にはいるざわめきがおおきくなる。楽しげな談笑がきこえてくる。遠くで喝采のような声がする。陽気な歌声まできこえはじめる。
まるで祭りばやしだと、僕は思った。
〈祭りばやしはいい得て妙だ〉
ふり返って銃をはなつ。
その、寸前で指をとめる。
少年が立っていた。
美しい少年がそこにいて、透明な表情でじっと、僕のことを見あげていた。
〈撃つ必要はないよ〉少年は
きみは誰? 銃口をむけたままで僕はいった。
〈名のるほどのものじゃない〉少年は自嘲気味な表情をうかべた。〈ほんとうに〉
きみはあの青い光の仲間なのか? 僕はこわばった声のままたずねた。銃口は、そらさないまま。
〈仲間ともいえるし、仲間じゃないともいえる〉ほそめた目で少年はじっと僕を見る。〈《残留思念》という意味では、かれらも僕もおなじ存在さ〉
残留思念?
〈濃い《残留思念》はかたちをやどす〉少年は指摘するように指を立てた。〈知っているはず。あの子もおなじでしょう?〉
少年はじっと僕を見る。僕はなにも答えなかった。
〈《残留思念》に可塑性はない〉少年は音もなくさきへすすみ、ふもとを見おろせる地点までいく。〈いわゆる魂とは違う。記録映画のフィルムといったほうがまだ当を得ている。《残留思念》はきめられたプログラムを実行しているにすぎない。それが多少高度になったところで、その本質は、かわらない〉
残留思念に危険はない。
〈if構文〉に、危険はない。
僕は静かに銃をおろした。そして、少年のあとにつづいた。断崖のちかくまでたどりつき、そこからひろくふもとまでの光景を共有する。無数の青い光がちらばり、ゆらめきながらも一律に、おなじ方向を目ざしていた。山をこえ、そのむこう側を目ざしているようだった。
〈あの山のむこうで、11701日まえの夜ふけに最初の業火があがった〉少年は遠い地点を指をさした。〈迎撃システムは成功しなかった。大地をひっくり返すほどの轟音と地ひびきと熱風と
僕は少年の表情をうかがったけれど、あいかわらず透明で感情をひめていなかった。
〈まもなく業火があがる〉指をおろし、少年はその場にすわりこんだ。〈もちろんそれも《残留思念》にすぎない。それは業火の記憶にすぎない。《時間遡行》が発生するまえ、それは起こる。そしてその光景をもとめて青い光は夜をうごめく。この世界の最後のステージを、見とどけるために。もうなんどもくり返されたように。もうなんども、思いだされたように〉
ふいにそれまであったざわめきが消える。
談笑も、笑い声も、歌声も、ふいに消える。
おなじ方向を目ざしていた青い光の動きが、いっせいにとまる。
空気がはりつめる。
〈でも《こんかい》は、世界はひとつじゃない〉美しい少年ははじめてその表情に笑みをうかべた。どこかさびしげで、つめたさのある笑み。〈きみがかえた。僕はきみの選択を尊重する。きみのいのりを尊重する。僕はちゃんときいていたよ。きみのいのりは、すくなくとも僕には、とどいた〉
きみはいったい誰なの。
〈もう時間がないからひとつだけいわせて〉少年は僕の手をつかんだ。〈山をこえるにはべつのルートがある。石段をのぼりきった場所の左手に、見わけづらいけどちいさな道がのびている。それをたどっていくと、トンネルがある。崩落した県道のトンネルが開通するまえにつかわれていた、明治期のふるいトンネル。木の板で閉鎖されているけれど、こわすのはわけないよ。それをとおれば、山をこえられる〉
きみはいったい誰なの。僕はもういちどだけたずねる。
少年は笑った。〈名のるほどのものじゃない。あの音が僕にはとてもうれしかったんだ。《残留思念》であっても僕は、そのことをつたえたかった。ありがとう。きみの旅の成功をいのるよ〉
そしてどよめきがわきおこった。
無数の視線が上空のある一点へとむけられた。
流星のようなほそい光が山のむこう側に落下して、いっしゅんの間のあと、あたりはまひるのように明るくなった。
大地をひっくり返すほどの轟音と、地ひびきと、熱風と、灰燼がやってきた。
刺しつらぬくようなおびただしい数の光子の矢がはなたれた。
〈ナイス・フィナーレ!〉と誰かが叫んだ。
世界が崩れる感覚があった。
そして僕はまた、空白としての闇にそのからだをすっぽりと、つつまれた。
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