6 ワルプルギスの夜
山小屋のなかにはおびただしい数の本が堆積していた。
書き物机のうえにも、棚のうえにも、ベッドのうえにも、床のうえにも、雑多に積みあげられた本の山が出来あがり、空間を必要以上にせまく感じさせている。
ふるびた本の匂いがうっすらとただよっている。
よほどの読書家がすんでいたんだね。いつの間にかあらわれて、メグがものめずらしそうにそうつぶやく。それか、その読書家が書庫にでもつかっていたか。
僕は手近にあった一冊に手をのばす。ぱらぱらとめくってみるが、いったいなにが書いてあるのか、僕にはさっぱり理解できなかった。
〈なんの。なんども読めばわかるようになる。読書百遍意自ら通ず〉
ほんとうに?
〈ああ。そういうものさ〉
僕はちいさく首をふってから本をもどし、窓のむこうに目をむけた。せわしげな降灰はまだ、つづいていた。
部屋にあったロッキングチェアにゆられながらメグがいった。祠はどうだった?
どうだったって?
なにかあった?
ああ、僕はつぶやく。すこし考えて、口を開く。なにもなかったよ。なにも、いなかった。
カミさまも? とメグはたずねる。
カミさまも、と僕はいいきった。
そうか。メグはすこし残念そうにいう。むかしはちゃんといたのかな。
たぶんねと僕は答えた。答えたあとでそれについて考えてみたけれど、それ以上の言葉はうかばなかった。
灰はまだやまなかった。
昼食を取ったあとで部屋をすこし片づけた。といっても、本の整理くらいしかやることはなかったけれど。
ベッドのうえの本を手にとったとき、ページのすき間からこぼれ落ちたものがあった。
拾ってみるとそれは一葉の写真だった。まだおさない女の子がにこりともせずにこちらをむいてうつっている。
かわいい子だね。いっしょにのぞきこんだメグにむかってそう声をかける。ちょっとメグに似てる?
そうでもないとメグはいう。わたしのほうが美人だ。
はいはい。
僕は写真をもとの本にはさみなおした。そしてロッキングチェアのうえにその本を置いた。なんとなく、その場所がいいように思えたから。
そとでは風が音を立てて吹きはじめていた。その強さはだんだんと強くなっているようだった。
嵐がきそうな気配だった。
雨はふらなかったが空はにわかにくらくなった。
うなり声のような風がときおり山小屋に吹きつけ、うすい壁をがたがたとゆらした。だいじょうぶかな、とメグがつぶやいた。まあ、だいじょうぶでしょう、と僕は答えた。
〈だいじょうぶさ〉
ロッキングチェアにすわって本を手にとってみたけれど、くらくてもう読めなかった。本を置き、ゆっくりと椅子をゆらす。きぃ、きぃという音が部屋に響く。
けっきょくあんまりすすめなかったね。ふいにメグがつぶやく。
まあそんな日もあるよ、と僕は答える。
はたしてわたしたちはたどり着けるのかな? すこしおどけたふうにメグはいう。
たどり着いてみせるよ、と僕はいう。
きぃ、きぃという音が沈黙をうめる。
ねえ、
想像したことはないよ。
じゃあ、想像してみて。メグはささやく。もう世界はこのままで、過去を取りかえすことはできなくて、〈この世界〉に、わたしたちふたりだけがいつづけるという未来を。
きぃ、きぃという音が響く。
彌野屢はどう思う? とメグはたずねる。彌野屢は〈その世界〉を、どう思う?
きゅうに世界が静かになる。
世界が聞き耳を立てる気配がする。
答えをきき漏らすまいとする。
僕は口を開く。
僕はその問いに対する自分の答えをつぶやく。
僕は〈なにか〉をいった。
僕はなにをいったのだろう?
僕の意識はそこでぷつりと途だえる。そして完璧な暗闇が精神のいちばんおくにまで押しよせる。空白としての闇が僕をつつみこんで、僕は闇とひとつになって、やがて世界はひとつになる。
分子も、エネルギーも、ひとつになる。
いつでも、なんどでも。なにがあっても。
でも、ほんとうにそうなのだろうか。
もしかしたら、違うのかもしれない。
〈こんかい〉は、違うのかもしれない。
目をさますとあたりはまだ漆黒のただなかだった。
ふるい紙の匂いがした。僕はまだ、山小屋のなかにいた。
ゆっくりとからだを起こす。きぃ、とロッキングチェアのきしむ音がした。
風の音はもうやんでいた。
そのかわりに、そとからなにかひそやかなべつの音がきこえた。
僕にはそれが、ひとの話し声のようにきこえた。
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