20 はじまり

 暗闇からべつの暗闇へと移行する。

 つぎつぎと起動するさまざまな感覚に戸惑いをおぼえつつも、からだは自動的に目のまえのふたを押しのけ、ゆっくりと上体を起こす。まるで新たにインストールされたかのように矢継ぎ早に記憶が押しよせて、ここがどこなのか、自分が誰なのかを、断片的ながら取り戻していく。

 メグ?

 彌野屢ミノルはそうつぶやくと、カプセルのなかから身を乗りだす。

 カプセルの駆動音は消滅して、部屋は完全な暗黒と沈黙にみたされている。

 メグ、どこにいる?

 もうひとつのカプセルはすでに開いていて、なかは空になっている。部屋のなかになにものかの息づかいはない。しんと静まりかえって、圧倒的な静寂が空間を支配している。暗視モードを起動させ、彌野屢は部屋の様子をぐるりと見わたす。足もとにある箱はダイヤルロックが解錠され、すでに中身を取りだされている。それ以外、部屋に乱された様子はない。死んだ計器類、失われた電力、枯れた蛍光灯。堆積したほこり。圧倒的孤独。

 部屋にはなにも見あたらない。

 押しよせる不安にあらがいながら、彌野屢は足をすすめる。外部につながるただひとつのドアを、ゆっくりと開ける。おなじく暗黒と無音に支配された無機質な廊下がはるか前方までつづいている。足をふみだす。自分のたてたかわいた足音が、孤独な空間に必要以上にはっきりと響くのを彌野屢はきく。

 そしてドアのすぐわきに、座りこむ人影があることに彌野屢は気づく。

 メグ?

 壁に背をあずけ、首だけをがっくりとうなだれた姿勢で静止するアンドロイドに、彌野屢はふれる。動かない。反応しない。肩をつかまれ、いくらゆすられてみても、ささいな応答をすることさえもうできない。わたしにもう電力は残っていない。メグ、メグ? 彌野屢の呼びかけが空虚な空間に空虚に反響する。ゆすられた振動で、右手に握りしめていたものがこぼれ落ち、硬い音を響かせる。床に落ちた拳銃を、彌野屢は見つめる。

 メグ。

 彌野屢は泣きだす。動かなくなったわたしの肩を抱きしめ、額を押しつけて荒々しいさけび声をあげる。涙がわたしの肩をつたう。彌野屢の熱がわたしにつたわる。彌野屢はたくさんの言葉をわたしに投げかける。でも、わたしはなにもしゃべれない。わたしはなにも、かえせない。

 なにかを思考することはもうできない。〈if構文〉は固定化され、可塑性を失い、シミュレーションが残るだけ。わたしはすでにここにはいない。

 そして同時に、どこにでもいる。

 わたしの思念は固定された。

 〈ナキムシくん〉。その言葉に彌野屢は反応する。〈すぐに泣く。やっぱり彌野屢は、ナキムシだ〉

 メグ?

 わたしはもういない。

 そしてわたしの〈残留思念〉は、とじこめられたわたしの〈精神波形〉はひそやかに彌野屢に読みとられ、ささやかなりとも影響をあたえ、なにかを残していくだろう。

 〈いつまでここにいるつもり? 知っているでしょ。わたしたちは、旅立たなくちゃならない。そのためにわたしたちは、この世界にやってきたんだから〉

 彌野屢はその言葉をきき、それを疑い、まよい、ためらい、そして信じ、ちいさくうなずく。僕たちは旅立たなくちゃならないと、わたしの〈言葉〉をくり返す。そして拳銃を手にとって、ゆっくりと立ちあがる。暗黒と無音にみちた果てしなくながい廊下を見すえて、彌野屢はつぶやく。そのとおりだ。僕たちはスミレの残した〈時間遡行機〉を、見つけださなくちゃならないんだ。


   ☆   ☆   ☆   ☆


 〈精神波形〉についての考察は、幼少期の経験に強く影響をうけています。


 わたしはちいさいころ、ひとりで森で遊ぶことがおおかったです。

 ほんとうは同年代の子どもたちといっしょに遊びたかったのですが、わたしは、仲間はずれにされていました。

 相手の心を読むのが苦手でした。いや、いまもですね。いつも見当ちがいなことをいったり、相手ののぞむ返事をできなかったり、気のさわることをいってしまったり、まあ、いわゆる〈空気よめない〉キャラとしてわたしは認知されていました。自然と仲間によばれなくなって、よばれても、ひんしゅくを買うようなことをしでかしてしまったり。そうやって、気づけばいつもひとりぼっち。わたしのことを疎まない人は、ひとりもいなかったです。

 頭がわるいから、相手の心がわからないんだと、そう思っていました。

 森のなかで遊ぶとき、わたしは空想の友だちを思いえがきます。〈かれら〉はわたしを疎みません。〈かれら〉の心を読めたわけではありません。あるいはふつうの人間以上に〈かれら〉の心は読めなかったです。でも、そのことをとくに気にするようでもありません。森での遊びかたを〈かれら〉は教えてくれます。森での時間のすごしかたを、〈かれら〉は教えてくれます。

 もちろん〈かれら〉には実体がなくて、そしてそのことがわたしにはとても不思議でした。実体がないものと、どうして心を通わせることができるんだろう、と、いつも疑問でした。

 きっと〈目に見えないなにか〉があるんだろうと、ある日わたしは思います。

 たぶん〈目に見えないなにか〉がこの空間を飛びかっていて、それをキャッチすることでわたしたちは気もちをぶつけあっている。みんなにはそれが見えているんだと、わたしは気づきます。そしてわたしには、それが見えていない。

 だからわたしは相手の心が読めないんだと、そんなふうに思ったんです。

 わたしには、みんなに見えているものが見えていない。

 なぜなら頭がわるいから。

 そのことがこわくなって、必死になって勉強をはじめましたが、はじめてみるとぜんぜん思うようにすすまないんです。どんな本を読んでみても、その内容が、まるで、理解できないんです。

 頭のなかに白いもやがかかって、意味にすこしもとどかない。

 ショックでした。

 ちっとも頭は良くなりません。

 どうしたらいいのか、わかりません。

 そんな、絶望に打ちひしがれるわたしを見かねて、〈かれら〉はわたしにある日奇妙な薬を手わたします。それを飲むとわたしは三日三晩高熱にうなされて、ながい奇妙な夢を見つづけて、うわ言をいって、そして目ざめたとき、わたしは変わっていました。わたしは手もとの本を開きます。その内容が、以前から知っていたものごとのように、ごくあたりまえのこととしてわたしには理解できました。おどろきとともに、ほかの本にも手を伸ばします。読めます。理解できます。わたしはどんな本でも簡単に、読みこなせるようになっていました。

 白いもやは消えていました。

 その日からわたしは、〈天才少女〉と呼ばれるようになりました。

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