3 異世界転生

 水道水がにごっていたので仕方なくきれいな川の水をくみにでかけたとき、休息中の歩兵にでくわしてしまった。

 そして、歩兵のひとりが僕のことを知っていた(彼のことを僕はどうしても思いだせなかったのに)。お前は迫撃砲で死んだはずじゃ?

 僕はなんどもひと違いですと抗弁したけれど、ききいれられなかった。ひと違いかどうかは上官がきめる。いいか、どんな理由があれ脱走兵は厳重に処罰しなければならないんだ。お前はここで処刑されても文句はいえないんだぞ?

 僕は駐屯地へ連行された。

 ひとことスミレに連絡だけでもしたかったけれど、かなわなかった。上官は僕を脱走兵に認定し、ただ戦闘時の恐慌により軽微な記憶障害がみとめられるということで刑罰は免じられた。

 僕は歩兵として最前線へおくられた。あの迫撃砲弾の落下音がここでは日常だった。塹壕や銃声や硝煙のにおいが見わたすかぎりに充満していた。僕はもう戦えなかった。僕が手にするのはトキメキ☆ハンドガンではなく鉄と油のライフルで、うばうのは心ではなく命だった。ここには天使さまもいなく、乾パンはまるでちがう味がした。コーヒーはぜいたく品だし、敵兵は鋼化イノシシよりもこわかった。

 僕はすぐに脱走を決意した。すこしも戦いたくはなかった。兵士たちが寝しずまった深夜、こっそり兵舎を抜けだして、山のなかへと逃げこんだ。明けがたごろ、僕はふたたびつかまった(注意が足らなかった)。こんどは酌量の余地なく銃殺がきまった。僕は両手足を拘束され(石化ジェルが使われた)、川辺にひざまずかされ、こめかみに拳銃をあてがわれた。もちろん、恋愛感情を消去するためじゃない。爆音と、風圧と、火薬の芳ばしさと、生臭さと、弾けとぶ眼前の景色が同時にあらわれた。こんどは世界は白くポップした。なにかを考えるいとまもなかった。


 クールな天使さまのひざのうえで僕は目ざめた。天使さまは泣いていた。僕はひたすら申し訳ない気分につつまれた。

 あのときちゃんと引き金を引いておけば良かったって、本気で思ったんです。スミレは動揺を隠さない声でいった。美野留ミノルがわたしのことをいやになって、それでいなくなったんだって思ったんです。

 ごめんね、でもそうじゃないんだ。僕がそう答えると、わかっていますとスミレは首をふった。違うってわかっています、でも、本気でそう思ったんですから。

 もうはなれたくないと、僕は率直にいった。もう二度と、こんな目に会いたくない。

 そのためには、もうここにはいられないですね、とスミレはいった。

 すべてを捨てて亡命する道を僕たちはえらんだ。〈諏訪〉にあらたな〈革命政府〉があらわれたといううわさには信憑性があった。僕たちはそこを目ざすことにした。身をまもるための発明品(トキメキ☆ハンドガンもふくまれていた)と食料(乾パンとコーヒーもふくまれた)を携行し、僕たちは深夜に研究室を去った。明けがたになっても、こんどは誰にも発見されなかった。日差しがまぶしかった。とてつもない開放感におそわれた。スミレは上機嫌で、未来の展望について語った。革命政府へ亡命できたら、新しい発明品をつくろうと思います。それは〈時間遡行機〉で、このくだらない戦争を、根本から変えてみせるんです。

 そうしたら、僕と出会った事実も消える? うすい恐怖が胸にきざして僕はたずねた。

 世界が変わっても、わたしと美野留はまためぐりあいます。スミレは僕の胸にちいさな頭をあずけ、確信をこめて予言した。わたしたちはかならずまた会えます。いつでも、なんどでも。なにがあっても。




   ☆   ☆   ☆   ☆


 シャッターの隙間からかわいた光が細くしのびこんでいる。

 朝だ。

 寝袋から抜けだす。眠るまえの完全な暗闇とくらべれば、店内の様子はぼんやりと把握できる程度には明るい。商品は強奪された形跡もなく、多くが棚のなかに整然と残っている。

 飲みものの棚からミネラルウォーターのボトルを取りだしておく。バックヤードのドアを開けるがメグの姿はない。狭い通路をすすむ。裏口のドアをすこしだけ開けて、外の様子をさぐる。ぼんやりとした明るさがひろがっていた。ドアを開ける。

 灰色があらわれる。

 なにもかもが灰色におおわれた、無音の世界が目のまえに開かれる。

 荒涼、沈黙、カミなき世界。

 見るものすべてが骨に似ていた。目のまえは山だった。山はことごとく灰色だった。空を見あげた。空はことごとく灰色だった。朝日の位置をさぐるが、東にそびえる山が邪魔をして見さだめられない。仮に見つけられたとして、ぶあつい灰色のなかに一点、かすかに明るいポイントを見出せるだけのことなのだけれど。

 植物はひとつ残らず枯れていた。

 生命はなにひとつ見あたらなかった。

 すべてが灰におおわれた、ここは〈荒廃世界〉だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る