13 恋はリアリズムのように

 銃にはまったくふれられないのだと、美野留ミノルはしずんだようにそういった。

 わたしが差しだした小ぶりの拳銃は、受けとられずにまだわたしの手のなかにある。

 つまりそれは、〈射撃コンポーネント〉がアンインストールされているとか、そういうこと?

 わたしは困惑してそうたずねる。

 美野留はくらい表情のまま、静かに首をふる。


 手がどうしようもなくふるえてしまうのだと、美野留は説明をはじめた。

 銃器に手をふれると、砂嵐のような烈しい動揺がやってきて感情が制御できなくなる。濁流のようなパニックにおちいってしまう。怖いんだと美野留はいった。銃にふれるということが、僕はひどく、怖いんだ。

 でもあんたは〈機械兵士〉だったんでしょうが。わたしは意図せずやや中傷的な声音でそういってしまう。銃にふれる機会なんて、うんざりするほどあったでしょうが?

 兵士だったころのことは、だんだんはっきり思いだせなくなっているんだけど。美野留はふたたびふるえだした右手の指先を左手でおおい、ひしがれたようにいう。銃を撃つ機会はなかった。新兵として戦場にでて、すぐに殺されて、そしてスミレに助けられた。そのあとで陸軍に拘束されてもういちど戦場に戻されたけれど、そのときわたされたライフルの感触を、僕は受けいれられなかった。だから僕は脱走した。耐えきれなかった。僕は兵士にむいていない。誰かにむけて銃を撃つということを、僕はまったく考えられないんだ。

 美野留の言葉をききおえても、理解はすこしも追いつかない。納得できない。わたしは拒絶された拳銃をふたたび美野留の手に押しつけてみた。銃把が美野留の指にふれた瞬間、反射動作のように烈しく払いのけられ、拳銃は、放物線をえがいたのちに音を立てて地面におちる。

 あ。

 自分の動作に遅れて気づき、美野留はうめくような声をもらす。打ちすてられた拳銃へと目をはしらす。

 わたしはなにもいわず数歩の距離を歩き、樹の根かたに落ちた小ぶりの拳銃をそっとひろう。木もれ日にかざし、異常がないか点検する。ほんとうにどこか壊れてしまっていることを危惧しているわけではなく、一種の、示威行動として。

 ごめん、と美野留はうちのめされたようにあやまる。ごめんなさい。そしてちいさくふるえている。

 わたしは弾倉を取りだして向きを確認し、ふたたび銃把じゅうはにおさめる。

 スライドを引く。かちりと音がする。

 安全装置をはずす。

 もういちど、銃身をじっと見つめる。

 その様子を不安げに見まもる美野留へむけて、わたしは正確に照準をあわせる。

 どうする? とわたしはたずねる。


 この世界にはたくさんの〈敵〉が存在する、とわたしはいう。

 たくさんの敵はおのれの欲望をみたすため日々侵略的な行動をとる。相手を出しぬき、裏をかき、おどし、策謀し、第三者を利用し、そしてある日〈戦争〉をしかける。

 相手の心は誰にも読めない、とわたしはいう。相手がなにをするか、予測は出来ても最終的なことはわからない。その行動に保証はない。ひとつだけ、ただひとつだけ確かなことは、そいつは自分の欲望を追いもとめるということ。自己保存と自己拡張。それがこの世界のゆらぎのない命題。

 どうしたの、メグ? ふるえる声で美野留はたずねる。

 戦いから逃れることはできない。わたしはおびえの色を隠さない美野留の瞳をじっと見つめる。戦わないものに、なにかを享受するゆとりは〈この世界〉にはない。戦わなければただ奪われるいっぽうだ。スミレがもし、どこかの〈クソやろう〉に奪われそうだとなったとき、美野留は戦わなければならない。スミレがほしいなら。〈クソやろう〉にスミレを奪われたくないのなら、美野留は戦いを、避けることはできない。

 それが、〈スミレにふさわしい〉ということ? ふるえは残りつつも、すこしだけ低くなった声で、美野留はさぐるようにそうたずねる。

 わたしはうなずくことはしない。

 しずかに引き金に指をあてる。わたしはいう。たとえばわたしがもし、気が狂って、美野留をぶち殺して自分だけのものにしてやろうなんてわるいことを考えたとする。美野留は逃げなければならない。スミレをえらぶために。でもわたしは逃さない。これは決意表明なんかじゃなくて、技術的に、スペック的に、美野留はわたしから逃げきることなんてできないということ。逃げきりたければ美野留はわたしを、殺さなければならない。停止させなければならない。もう二度と、追ってはこられないように。

 息を吸いこんで、ゆっくりと吐き、わたしはたずねる。

 どうする?

 息の詰まるながい沈黙。おびただしい数の〈if構文〉、〈if構文〉。無限にも思えたときのあと、こわばっていた表情をふいにゆるめて、美野留はささやくようにいう。

 それは嫌かな。でも、ほかの誰でもない、メグに殺されるというのなら、それはそれで、わるくないのかもしれない。

 そして美野留は困ったような笑みをうかべる。

 はじめて会った、あの日のように。

 〈ほんとうに撃ちぬいてやろうか〉。わたしは赤い激情にかられる。引き金にふれる人さし指の動きを、とめられないことをわたしは悟る。もういい、とわたしは思う。なにもかも、もう、いい。

 スローモーションになった時間のなか、人さし指が自律的に動くなかで、ふいにわたしは、草をかき分ける音をきく。なにものかの興奮した息づかいをきく。わたしはその方向へ目をむける。低木のくらい影のなかに、ちいさな二点の黒い光を見る。こちらを目がけて飛びだしてくるもののすがたを見る。

 野生のイノシシだと、わたしは悟る。

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