12 大国ロマンスの悲劇

 わたしの思考パターンは、スミレのそれをトーレスしている。

 だからスミレが思うことは、〈だいたい〉わたしも思っている。スミレが考えつくことは、〈だいたい〉わたしも考えついている。

 似たようなものを好きになるし、似たようなものをきらいになる。

 もちろんそこには断絶もある。スミレの言葉にしたがえば、わたしは設計時に〈積極性〉のパラメータをおおきく振りわけられているそうだ。だからわたしはスミレとくらべて行動原理にちがいがある(らしい)。いいたいことははっきりという。遠慮しない。そんな性格なのだそうだ。

 正直わたしにはよくわからない。べつにあまり変わらないのでは、と思うこともある。

 それよりはるかに重要なのは、というよりそもそもの問題は、スミレは人間でありわたしはアンドロイドであるということだ。

 この違いはとうぜん無視できるものではない。わたしの思考のすべてはアルゴリズムで出来ていて、離散的で、いうなれば〈if構文〉のおびただしい集積によって形づくられている。それに対してスミレの思考はおそらく稠密的で、無限の解像度があって、もしかしたら〈連続濃度〉でさえあるかもしれない。これぞ人間精神の深遠さといえるだろう。くらべるべくもない。わたしはいわば、スミレの粗悪な模造品レプリカントにすぎない。

 だからわたしの考えが、スミレのそれとすべて一致するわけではない。そんなこと、できるはずもない。原理的に。原則的に。

 スミレとおなじものを好きになることもあるけれど、かならず、おなじものを好きになる、というわけでもないのだ。

 以上!


 〈その男〉は事前の約束どおり森のなかの研究所にひとりきりでやってきた。すくなくとも、表面上は。

 予告した時刻ぴったりに、約束された仕方でドアをノックする音がした。二度。それからすこし間をおいて、もう三度。

 どうもこんにちはとあいさつをし、ひとなつっこさを感じさせる笑みをうかべてその男は握手をもとめた。スミレはぎこちなく、差しだされた右手をそっとつかんで、さぐるように目のまえの男の相貌を見あげた。

 本人ですよ、と男はいって、おかしそうに笑う。ご無沙汰しています。研究所は気にいっていただけましたか?

 ありがたく使わせていただいています、とスミレはちいさく答えた。

 せいぜい二十代なかば程度にしか見えなかった。場ちがいなせいもあって明るいグレーのスーツはどことなく滑稽にさえ見えたし、男の容貌は、どことなく甘さを感じさせるようでもあった。表情もリラックスしているというよりは、ただ弛緩しているだけのようにも見えた。それでも、その瞳だけは、年齢に似あわない政治家らしい硬質さを印象ぶかくやどしていた。

 革命政府の〈科学技術省長官〉だと男はあらためて名のったが、実質的にそれが、この革命政府の指導的立場を意味することを、わたしたちはすでに聞きおよんでいた。


 僕のことはガロアと呼んでください、と男はいった。そしてひとりでにくすくすと笑い、いや、もちろん偽名ですよ、と注釈した。すみません、地下組織時代につかっていた通り名なんです。あのころは身元をかくす必要がありましたからね。でもそれが定着してしまって、いまはもう、政府内の誰もが僕のことをガロアと呼ぶんです。だからまあ、僕のことはガロアと呼んでください。

 〈エヴァリスト・ガロア〉? とスミレはさぐるようにそうたずねる。

 そのとおり。かれは満足げにほほえんでその問いにこたえた。そう、エヴァリスト・ガロア。数学者にして革命家、僕の思慕してやまない最高のヒーローです。かれの名を、拝借しています。

 ところでガロアは二十歳で死んだけどね。わたしは敵意を隠さない声で、すばやくそう牽制する。男は硬質な視線をわたしにむける。その瞳を真正面から見かえして、わたしはつづける。革命とも数学ともなんの関係もない、ただの私的な決闘でガロアは命をおとした。革命家の最期には、あまりふさわしいとはいえそうにない。

 いいんですよ。男はほほえみ、余裕をもってそれにこたえる。たしかにかれは、革命とは無関係に若死にしました。が、かれは後世に残る偉大な業績を築きあげた。こんにち〈ガロア理論〉と呼ばれるそれです。事象の背景にひそむ構造に、かれは意義ぶかい光をなげかけた。誰もなし得なかった視線をなげかけた。それはじゅうぶん革命的なモニュメントなんです。どう死んだかなんて、ささいなこと。かれは誰よりも数学的で、革命的な人物なんです。

 なにを残すかが重要ということ。スミレはちいさく、ひとりごとのようにつぶやいた。

 そのとおりですと、男はまた満足そうに笑いかけた。


 革命はまだ進行中なのですとガロアはいった。それどころかそれは、ある意味ではまだ、はじまってさえいない。

 僕が目ざしているのは世界平和です。熱をもったしゃべりかたでガロアはつづけた。あるいは〈国際協調〉といいかえてもいいかもしれない。各国が地域覇権を目指してしのぎを削りあういまの〈攻撃的現実主義〉の理論にかたよりすぎた国際政治のありかたを、かえたい。ただしたい。そのためにはまず臨時政府を打倒してこの国を掌握しなければならない。でもそれは、ただの通過点であってゴールじゃない。その先に目ざすものこそが、重要なんです。

 わたしはあからさまにしらけた表情をつくって、そのゴタイソウな空論を拝聴していた。さすがにヤジをかえすようなことまでは、しなかったけれど。スミレは、わたしの位置からはその表情をうかがうことはできなかった。微動だにせず、相づちをうつこともせず、ガロアの顔をじっと見つめているようだった。

 あなたのちからが必要なんです。そういうとガロアは、ふいうちのようにつくえのうえのスミレの手をにぎった。スミレの肩がびくりとふるえた。僕は知っている。あなたはいま、〈戦争をおわらせる発明〉に取りくんでいる。前代未聞の装置をつくりだそうとしている。それはきっと、いまの相互不信の状況に風穴をあけるインパクトを秘めている。僕は、いや、われわれ革命政府は、その発明を全力でバックアップしたい。必要なものはすべてお知らせください。僕の名のもとでかならず手配してみせます。ぜったいに。きょうはそれをおつたえしにきました。

 ガロアは立ちあがるとスミレにほほえみかけた。スミレのうしろすがたはまた、微動だにしなかった。また来ますねとガロアはいい、わたしにもちいさく目礼をしてから小屋を出ていった。

 でもその表情にはどこか、勝ちほこるようなふくみがあったのを、わたしは見のがさなかった。

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