21 お勉強しといてよ

 もちろんわたしがそれを機に、相手の心を読めるようになった、というわけではなかったです。

 むしろ逆、悪化したといってもいいくらいです。

 〈目に見えないなにか〉はけっきょく見えるようになることもなく、相手の心はいまだにわたしには謎めいていました。理屈にあわないものごとがいくえにも重なった理解不能さが、よりクリアに感じられるようになっただけです。ようやくわたしは理解します。わたしが他人の気もちをうまく汲みとることができないのは、頭がわるいからではないんです。

 原因は、もっとべつの〈なにか〉でした。


 わたしは本を読むようになります。

 とくに理工学系の本を好むようになりました。

 数式や理論には予測不能な要素はみじんもなくて、裏ぎることも、裏をかくことも、うそもいつわりも、欺瞞も詐称も誇張も偽善もありません。いちど理解してしまえばそれは不動で、永続して、いつまでも手もとに残りつづけるんです。

 それがとても楽しかった。

 家にある本はあっという間に読みつくして、わたしは学校の書庫をあさります。いちにちじゅう図書室にこもるようになりました。クラスメイトたちからは奇妙な目で見られたりもしましたけど、もう気になりません。一年もしないうちに、わたしは書庫にある理工系の書籍を、ひと通り読破していました。

 そしてそれと並行して、わたしは自分の得た知識を組み立てていくつかの発明品をつくりあげます。それは、いま思えばなにかの模倣だったり、あるいは成果をおおげさに評価されすぎていたきらいはあったものの、設立間もない臨時政府の興味をひくにはじゅうぶんな作品でした。ブロッコリーの収量を劇的に高めるソーラーシステムとか(ブロッコリーが大すきでした)、効率のいいアメンボ捕獲器だとかです(アメンボはべつに好きではありません。どうしてそんなものをつくろうとしたかは、いまもって思いだせません)。

 そしてわたしは、臨時政府のテクノクラート養成所ともいうべき天馬坂学園へまねかれます。

 旅だつことに、すこしも迷いはなかったです。

 地方のちいさな書庫とは比べものにならないくらい、たくさんの、専門的な、最先端の書籍がある。それだけで、わたしにはなにものにもかえがたい価値があったのです。

 旅だつまえ、わたしはひさしぶりに森へいきます。奇妙な薬を飲んで、三日三晩熱にうなされていらいです。わたしは〈かれら〉にお礼をいおうと思いました。あの薬のおかげでわたしは本を読む楽しさを味わえるようになり、自分の世界をひろげることができました。森で遊ぶことはもうないはずですが、〈かれら〉にしっかりと感謝をつたえようと思いました。

 でも、森にはいったわたしがいくら呼びかけてみても、〈かれら〉の返事はないのです。

 空想の友だちを、わたしは思いえがけなくなっていたんです。

 さよならというわたしの言葉は、誰にとどくこともなく、澄んだ森の空気へととけていってしまいました。


 天馬坂学園では中等部に飛び級をしましたが(初等部がなかったんです)、授業はわたしにはひどく退屈に感じられました。

 それに引きかえ、学園の図書室は天国のような場所です。

 あらゆる研究分野の最先端の書籍がそろい、発表されたばかりの論文にさえアクセスでき、わたしはほとんど眩暈のような感覚におそわれました。

 すぐに授業にでなくなって、わたしはほとんどの時間を図書館ですごすようになります。

 最初のうちは、よく学園側から文句をいわれました。規律を重んじる天馬坂学園として、イレギュラーはみとめられないというのがかれらのスタンスでした。

 そのいっぽうで、わたしのつくる発明品は日に日に注目をあつめていきます。着想はどんどんわきでてきました。ここでは研究用の資材の調達には不自由しないです。わたしは自分のアイディアを思うさまぶつけていき、かたちあるものをつぎつぎに生みだしていきます。

 〈石化ジェル〉の発明が、ひとつの契機でした。

 軍需的な有用性の高いその発明品はすみやかに臨時政府陸軍省の目にとまり、最大限の称賛をあつめることになります。もう学園側も口だしできないです。わたしだけの研究室があたえられ、図書館まで設立され、もはやわたしは授業にでるどころの話ではなくなりました。とにかく有用な発明品をひとつでもおおくつくりだすこと。それが、それだけがわたしに期待されることとなります。

 期待の主体は臨時政府です。

 そしてとうぜんそれは、軍需的な発明に対する期待、ということでもあります。

 わたしの研究室へは、たびたび陸軍省のわかい官僚がたずねてくるようになります。

 最近取りくんでいる発明品についてききだしたり、気になっている研究分野について話題をふったり、研究機関の教授陣にまつわるゴシップをもちこんだり。わたしは相変わらず相手の心を読みとることができず、変な受けこたえをすることもありましたが、おたがいべつに心の交流を求めているわけでもないことははっきりしていたので、気負うこともなかったです。それよりもわたしの知らない専門的な知識にふれられることが、わたしには純粋に、楽しかった。

 これ、よかったら読んでみてください。

 そういってそのわかい官僚は、独自にまとめたレポートを用意してくれます。

 それはいつもよくまとまっていて、参考文献への誘導の仕方もうまく工夫されていて、わたしはひそかにそのレポートを楽しみにしていました。もちろんそれは、おおむね軍事分野に関連した話題にならざるをえないのですが、そこにはある種の血なまぐささのようなものはほとんど感じられなかったです。あるいはそれは、かれのまとめかたの巧みさのひとつなのかもしれないです。

 とりわけわたしの気をひいたのが、〈機械兵士〉に関するレポートでした。

 機械兵士に関する思索がわたしを、ふたたび〈精神波形〉についての考察へとむかわせることになります。

 ところで、そのわかい官僚は、いつの間にかすがたを見せなくなっていました。

 かれの名前を、いまでもわたしは、思いだすことができないのです。

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