15 天才少女かく語りき

 小屋に戻るとスミレは地下の研ルビを入力…室にこもって、作業に没頭しているようだった。

 机のうえにはからになったティーカップがふたつ、ぽつんと取り残されていた。

 ガロアがきていたのだと、それを見てわたしは悟った。


 最初の訪問いらいたびたび、ガロアは森のなかのこの小屋をたずねてきていた。

 実験器具やら稀覯書きこうしょやらのほかに、ガロアはいつもあまいものを土産にもちこんでいた。コーヒーをいれるのが苦手なスミレは、紅茶でもてなしていた。まあ、紅茶も、ほめられたようないれかたでもなかったのだけど。

 ガロアの訪問はどうも、わたしがいないタイミングを見はからっているようだった。スミレがそう明言したわけではない。あるいはわたしの気のせいなのかもしれない。でもガロアがたずねてくるのはいつもわたしのいないときだったし、ふたりの会話にたまたまわたしが出くわしてしまうと、ぎこちなく話の内容を変えてしまうようだった。わたしにきかれたくない内容を話しているのだと察知して、もちろんわたしはショックをうけた。スミレがわたしに隠しごとをするなんて、思ってもみなかったから。

 でも同時に、べつの感情もわいてくるのを、わたしは抑えることができなかった。〈人間は人間同士仲よくしていればいいよね、たしかに〉。


 わたしはティーカップを流しまでもっていき、さっと洗った。それからテーブルにもどると椅子に深く腰をかけ、目を閉じ、つい先ほど美野留ミノルへむけてなげかけた自分の言葉を頭のなかでなんどもなんども反芻した。

 人間なら、胸が高鳴っていることだろう。

 どれくらい時間が経ったのかはわからない。ふいに階段をのぼる音がして、部屋にスミレがあらわれた。考えごとにふけるわたしのすがたにちいさく驚いたあと、ためらいながらもそのむかいの席に静かに座る。わたしは目を開けて、正面にいるスミレを見つめる。スミレもわたしを見つめ返している。

 ガロアは諜報活動のレポートを惜しげもなく共有してくれるんです、とスミレはややとうとつに口を開いた。

 へえ。わざと気のない返事をかえす。

 革命政府は国際的な諜報にも深く通じていて、軍事機密の分野でとくに詳細な情報をにぎっているんです。スミレは手もとの資料をパラパラとめくりながらつぶやくようにいった。各国の機械兵士の分析レポートはとてもよくまとまっています。近年多発している人民解放軍所属機械兵士の越境行為についての報告は、その推論もふくめて非常にユニークな切り口で、なかなか参考になります。軍事顧問や高級将校の機械兵士についての率直な意見はなかなか表に出てきませんから、どれも新鮮で、意外な気づきをあたえてくれます。

 それで。わたしは興味ないことをしめすため、右手のつめをながめながら低くつぶやく。なにがいいたいの。

 スミレはちいさく息を吸い、息をとめ、そして迷いを振りきるように口を開く。

 ここ数日ずっと計算をつづけていたんです、とスミレはいう。軍事主要八大国間の機械兵士のプロトコル、行動指針、レギュレーション、生産力、地理的要因、人的リソース、そういったもろもろの要素をもとに分析をすすめて、そこにひとつの仮定を持ちこむ。機械兵士に未知の〈バグ〉がふくまれていたとして、それがどんな結果をみちびくのか。機械兵士たちはいったい、どんな行動に出ていくのか。

 〈バグ〉? とわたしは言葉をひろう。

 機械兵士のいちぶは、人間には未知の通信網をもっています。スミレはわたしのつぶやきには取りあわないで話をすすめる。なんらかの方法で〈精神波形〉をつたえあう未知の技術を、かれらのいちぶは確立しています。そしてひそかに計画しているんです。人間を出しぬく方法を。かれらは人間の煮えきらない態度が自国の覇権構築を阻害していると理解しています。軍事的な成功のためには、人間が足かせになっているのだと、かれらはそう判断しているんです。

 かれらがねらうのは〈MAD相互確証破壊〉の実行、とスミレは痛みにたえるかのような声でいう。それによって人間による指揮系統を壊滅させ、自由をえるのがかれらの目的。機械兵士はなんの束縛もなく自由に戦い、自由に殲滅させ、覇権争いに決着をつける。かれらにとってそれはゲームのようなもの。かれらの行動原理に横たわっているものは、所属する自国の覇権を最大限に高めるというものですから。

 〈相互確証破壊〉はもうとめようがないのだと、ひどく悲しげな顔でスミレはいった。

 うんざりするほど計算しなおしてみたの、とわたしはいった。

 うんざりするほど計算しなおしてみたんです、とスミレはこたえた。

 沈黙は、タールのように重かった。


 なにかいいたいことがあるんでしょ。

 粘性のある沈黙のあと、わたしは口をつぐんでしまったスミレの気もちを先まわりして、そうたずねる。

 スミレははっとしたような顔をした。じっとそれについて考えこんだあとで、ためらいがちに口を開く。

 人間は誰も生き残らないんですとスミレはいった。〈相互確証破壊〉が発動したあと、地球はぶあつい塵の層におおわれて陽の光の大部分が遮断されてしまう。まひるも夜のようにくらくなり、気温はかくだんに低下して、地上は闇と氷の世界へと変わってしまう。その状態はすくなくとも五年間はつづく。植物は死に絶え、食糧生産はストップし、反乱を未然にふせぐため機械兵士は人間を狩りつづけることが予想される。徹底的に、仮借なく。それがかれらのあらたなレギュレーションとなる。

 世界は機械兵士のものになる? とわたしはたずねる。

 スミレは首をふってそれを否定する。かれらもまた、ゆっくりと死に絶えることになります。かれらにとって自己保存と自己拡張はレギュレーションにはふくまれない。きめられたルールをまっとうすることだけがかれらのすべて。きっと世界は、誰のものでもない、からっぽの状態になる。

 誰もいない〈からっぽの世界〉、とわたしは胸のうちでちいさくつぶやく。戦いのない世界?

 ねえメグ。

 スミレは決意をこめた目でわたしを見る。

 その目を見て、わたしは悟る。いまからいうことが、スミレがいいたかったことだ。いいたいのに、いえなかったことだ。わたしはスミレの言葉をうながすように、勇気づけるように、ちいさくうなずく。

 スミレは静かに口を開く。

 メグ、想像してみてほしいんです。誰もいなくなった〈からっぽの世界〉に、美野留とメグ、ふたりだけというのはどうでしょう?

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