16 死ね

 世界平和のために死んでほしいのだと、顔色ひとつ変えず、ガロアはわたしにそういった。

 はあ?

 わたしは可能なかぎりの最大限の敵意をみなぎらせた声で、そうこたえた。


 その日、となり町の軍需工場から液体窒素を買いもとめてもどってくると、わたしたちの研究所からガロアが出てくるところに遭遇した。

 足をとめたがガロアはわたしのすがたに気づき、手をあげ笑いかけてきた。無視してもよかったけれど、軍需工場に話をつけておいてくれたのがガロアだったこともあり、簡単に会釈だけしておいた。でもガロアはわたしを呼びとめた。ねえ、ちょっと話したいことがあるんだけど。

 わたしはべつにない、とわたしはそっけなくいった。そしてそのとなりを通りすぎようとしたとき、ガロアはささやくような声でいった。

 きみはスミレを誰よりも信頼している。それなのに、ごめんね。僕のせいで、スミレはきみに隠しごとをするようになってしまった。

 隠しごと? わたしは憎悪のこもった目でガロアを見た。

 時間、あるかな?

 ガロアはくったくのない笑みを浮かべて、わたしにいった。僕はきみに、話しておかなければならないことがあるんだよ。


 すこし歩くとちいさな沼がある。そこまでいこうとわたしは持ちかけた。

 すてきだね、とガロアはいった。

 沼は波紋ひとつなく、鏡のような静けさをたもっていた。

 美しい場所だとガロアはいう。しばしながめたあとで足もとの石を拾いあげ、沼に目がけて放りなげる。着水したぽちょんという音が、静かな森にささやかに響く。波紋はきれいな真円をえがき、波動をつたえ、やがてわたしたちの足もとまでたどりつく。

 この森のなかに研究室をつくったというのは、わかる気がするな。ガロアは知ったふうな口で手前勝手な自説をしゃべりはじめる。スミレはきっと、まもりたいもののことを強く意識できる場所としてここをえらんだんだろう。緑ゆたかなこの場所で、いままさに、なにがうしなわれようとしているのかを感じつづけていたかったんだ。わかるよ。この緑がひとつ残らずうしなわれるなんて、僕だって想像もしたくない。でもそれは、まもなく実現しかけている。スミレの計算によればおそくともあと八ヶ月以内に〈MAD相互確証破壊〉が発動する。そうすれば、地球上の生きとし生けるものは、根こそぎうばわれてしまう。勝者のいないからっぽの地球が、このさびしい宇宙空間にぽつんととり残されることになる。

 それで。わたしは自分の右手のつめをながめながら、気のない声でつぶやく。なにがいいたいの。

 それを回避できるのはスミレしかいないということさ。ガロアは自信にみちた目でわたしを見つめる。そしてつづける。スミレはまさに救世主だ。この暗黒のような事態を取りなせる、〈カミ〉にえらばれた存在だ。スミレはいままさに〈戦争をおわらせる発明〉を生みだそうとしている。前代未聞のとんでもない装置だ。それが完成すれば、相互不信に凝りかたまった主要国に〈協調主義〉の精神を思いださせることも可能なんだ。僕の政治生命はまさに、そのためにささげられることになる。

 わたしは目を閉じる。〈時間遡行機〉というスミレの言葉を思いだす。

 からっぽの世界に、美野留ミノルとメグ、ふたりだけというのはどうだろう、という、スミレの言葉を思いだす。

 スミレはきみに〈戦争をおわらせる発明〉のことを隠している、とガロアは告げる。その発明の内容をきみに知られることを、スミレは恐れている。だからスミレは隠している。

 なにそれ。わたしはかわいた気もちでガロアを見つめる。なにそれ。

 スミレは世界中のアンドロイドの精神を崩壊させ、活動停止にいたらせる装置をつくろうとしている。ガロアは正面からわたしの目を見すえ、そのおくまで見とおし、さとすような口調でそうつぶやく。アンドロイドの〈精神波形〉に干渉し、破壊し、一網打尽に修復不可能な〈バグ〉を書きこむ最終兵器。そのアンドロイドには、とうぜんきみもふくまれてしまう。だからスミレは、その装置のことを、きみに知られないようにつとめているんだ。


 だからきみには、世界平和のために死んでほしいのだと、ガロアはいった。

 はあ? わたしは敵意を剥きだしにしてそうこたえた。

 気を悪くするのももっともだ、とガロアはこだわらずいう。誰だってとつぜん死ねといわれていい気分がするはずもない。よくわかる。情緒はそういうふうにできている。でもね、情緒は理性で克服することもできるんだ。きみにはどうか、みずからの手で理性的な判断をくだしてほしい。

 なにをいっている? わたしは嫌悪にみちた目でガロアをにらみつけ、いった。おまえのいっていることが、ひとつも理解できない。

 つまり、こういうことさ。ガロアはこの場に不つりあいな笑みを浮かべて口を開いた。世界をすくう秘密兵器が、スミレの手によってあとすこしで完成できそうなところまできている。でもそれは、大事な友人であるきみの命までもうばうことになってしまう。だからスミレは悩みぬいている。ほんとうにこの発明を完成させてもいいのだろうか? もちろん理屈では理解している。ごく限られた友人のアンドロイド数機と、この地上の生きとし生けるものすべてを交換するわけにはいかない。なにがただしいかはわかっている。でも、生きているきみのすがたを目にしていると、どうしても決意がにぶる。開発の速度がおちてしまう。スミレはその板挟みに苦しむことになる。

 だからきみは死ぬべきなんだと、ガロアはいった。世界をすくうために。

 感情をひめないそのからっぽの瞳を見て、わたしはひどくぞっとした。

 この男のことを理解することはできないと、わたしは悟った。

 わたしはちいさく息をすう。

 このあとの展開なんてだいたい予測できる。おきまりのパターンだ。でもまあ、せいいっぱいあがいてやろうかなと、わたしはゆるく決意する。

 わたしは笑みを浮かべる。そして口を開く。あんたほどじゃないけれど、実はスミレのこともわたしはよく理解できないんだ。考えていることはだいたいわかるのに、いつもどこかに謎をひめている。わたしにはよく解せない行動を取ったりもする。だからスミレが最後になにを決断するか、わたしにはわからない。

 ガロアはわたしをじっと見つめている。

 わたしはスミレにゆだねるよ。挑発するような目つきで見返しながら、わたしはいう。スミレがえらんだ世界をわたしはえらぶ。だからわたしはえらばない。自分が死ぬべきかどうかを自分できめることなんて、わたしは絶対にしない。

 そうか。ガロアの言葉も行動もどれもがB級映画の既視感にまみれていて、わたしは笑いをこらえるのに必死だった。それは残念だ。そういってガロアは拳銃を取りだしその銃身をわたしにむけた。

 死の恐怖はなかったが、これでもう美野留に会えなくなってしまうということが、ひどく残念だった。

 バイバイ、とわたしは胸のうちにつぶやいた。じゃあね、美野留。

 かるい炸裂音がして、血しぶきとともに横ざまに倒れはじめたのは、ガロアのほうだった。

 わたしは目をむける。

 すこし離れた場所、呆然とした表情で立ちつくしている美野留のすがたがあって、怯懦きょうだにふるえながらもかまえた拳銃からは、白い硝煙がほそく立ちのぼっていた。

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