第2話 異世界『里球』
「ともかく町に行ってみよう。煙が出てるって事は、家で火を使う程度の文明はあるって事だろうし」
「れ、冷静すぎません!?」
「慌てふためいて事態が好転した事、一度もないしね」
「…………」
正論。というよりも、説得力がものすごい。
経験から来るそれに、異論などどうして唱えられようか。
鞄の紐を握り締め、とにかく栄治の後ろをついていく。
『向いてないから、辞めたら?』
実にストレートな言葉が胸をえぐる。
向いていないのだろうか、やはり。
いや、今はそれよりもこの状況をなんとかしなければ。
せっかく苦労して入学したのに、学院に足を踏み入れる事なく初日が終わるなんて酷すぎる。
ようやく見つけた新しい目標をこんな形でダメにしたくない。
ある意味、アイドルを目指すよりも余程とんでもない経験をしているのだが、まだ詩乃の頭は混乱していた。
「そういえばさ、まだ名前聞いてないよね、君の」
「え! あ、
「ふぅん。相賀さんね。じゃあ改めて。俺は
「え、あ、は、はい! すみません!」
「まあ、最近はモデル以外も色々やってるけどね。あーあ、せめて電話が通じてくれれば事情を社長に報告出来るのに……。本当最悪なんだけど。こういうのは一晴だけでいいじゃん。俺を巻き込まないで欲しいよね」
「…………は……はあ……?」
一晴、というのは彼の学生時代からの友人の
詩乃のややアップデート不足な知識から引っ張り出した経歴は、この神野栄治と鶴城一晴が同級生であり、同じアイドルグループであり、仲の良い親友であり、現在も同じ事務所に所属する同僚である、という情報。
すごい仲良しさんなんだろうな、と思いながら後ろをついて行く。
町に近づくと、少しずつ家が増えていく。
「外壁とかはないのか……敵勢国家とか魔物とかそういう危ないものはいないんだな」
「!」
街の様子だけでそこまで推測するのはすごい。
純粋に尊敬の眼差しで見上げる。
しかし栄治は前しか向いていない。
「ん?」
「あれ? お前……」
そして郊外の街並みが、だいぶ整ってきたあたりで大きな岩がある公園のような場所に出た。
その岩の上に、お菓子を食べながらゲームをする黒髪黒目の美青年。
栄治と顔を合わせると、変な顔をする。
「えーと、名前なんだっけ」
「栄治だよ。神野栄治。ちょうど良かった、ねえ、これどういう事?」
「え? なにが?」
「ちょっと降りてきてくれない?」
((うわぁ……))
笑顔が、ヤバい。
とんでもなく眩しい。眩しいけれどこれはヤバい。
圧倒的な美しさ。
しかしだからこそ有無を云わせぬ威圧感。
口答えは許さない。来い。
それがありあり、笑顔に乗せられている。
大人しく岩の上から降りてきた青年は、こちらもまたとんでもないイケメンだ。
顔面が整いすぎて同じ人類なのかが疑わしいレベル。
「
「そうー、橘の兄〜。……忌々しいけどなァ! ……楠って名字はそっちの世界で必要だから名乗ってただけなんだよなァ。だから普通に梓でいいよ」
「あっそ。じゃあとりあえず元の世界に戻りたいんだけどどうしたらいい?」
「ぇへえ?」
素っ頓狂な声を出す、梓という青年。
顔にも「なに言ってるの」とありあり書てある。
しかし、よく考えれば栄治の知り合いがここにいる事はおかしいのだ。
異世界とされるここにいる彼は、もしや詩乃たちと同じくこの世界に誤って迷い込んだ仲間なのでは……。
「変なバスに乗ったらここに着いたんだけど、帰り方が『対向車線のバスに乗ればいい』って言われたんだよね。でも対向車線もなにもないじゃない? どうしたらいいのこれ。お前ならなんか知ってるんじゃない?」
「ああ、そういう事かァ……。そう言われると変だもんねェ、基本『閉じた世界』の人間が他の『閉じた世界』にいるの……って待って、今バスって言った?」
「言った。普通のバスだと思って乗ったら乗客が半透明なのっぺらぼうで……」
「ハァー……よく無事だったねェ。それツガェイエヴァスっていう空間渡りの幻獣だよ」
「ツガ……なんて?」
「?」
詩乃も首を傾げる。
ツガェイエヴァス……どう発音したのかもよく聞き取れなかった。
梓曰く、それは『空間を渡る幻獣』人を死ぬまで乗せ、栄養にして喰らう。
つまり、本来はどこにも立ち寄らない。
『バス』という存在がある世界に立ち寄り、擬態して人を乗せてそのまま空間の狭間で移動しながら消化するのだ。
それを聞いて栄治と詩乃は顔から血の気が引く。
もし、あのまま……降車ボタンを押さなかったら……?
あのバスに乗っていた人たちは……それじゃあ……。
「え、じゃあ……どうやって帰るの?」
「ツガェイエヴァスにはもう乗らない方がいいよ」
「二度と乗りたいとか思わんわ。……まさかそれ以外帰る方法ない、とかいないよね?」
「基本的に『閉じた世界』は行き来が出来ないものだからねェ。俺も空間転移系は苦手で、師匠に放り込まれて百年間修行して、迎えにきてもらって……って感じだもん」
「百年……」
愕然とした詩乃と栄治。
つまり彼の、その師匠とやらが来てくれるまで、まさか、この世界で過ごさなければならないと?
そんな事——。
「無理なんだけど。俺、このあと仕事あるんだけど」
「そんな事言われてもね……ッ!?」
「っ」
空気が変わった。
ビリビリと場の空気が凍えるように冷えていく。
これは、怒りだ。
詩乃が見上げたのは栄治の横顔。
それはゾッとするほど美しい。
「あのね、俺は天才じゃないの。今の場所に立つまで、それこそ過労死しかけるほど努力してきた。起きてる時間、全部使ってたと言ってもいいくらい」
「ッ……」
「それをなに? 幻獣? 異世界? 意味が分からないよね。
「い、いや、あの……お、俺にそんな事言われてもさァ……」
「なんとかして」
「ええ……」
とんでもない無茶振り始めたぞ。
「俺のスマホ、使えるように出来ない? 社長に連絡すればなんとかしてもらえそう」
「えぇ……苦手って言ってるのにィ……?」
「苦手って事は出来なくもないって事でしょ? 根性でなんとかしてよ、人外でしょ? なんのための人外なの? 人外なら人外らしく人外らしい仕事して欲しいよね? こんな時に現れてついでになにも出来ないとか、人外的価値なしじゃん。なんで生きてるの? そんな役立たずが呼吸してていいと思ってんの? ねぇ?」
「!! ……に……にーにーずより厳しい……」
「事情を話すだけ。空間転移系苦手な奴に頼むならそのくらいにしておけって、社長に言われてるし。ねぇ、それも出来ないの?」
「……や、やらせて頂きますゥ……」
「…………」
まったく事態が飲み込めない。
しかし栄治の差し出したスマートフォンを受け取った梓は、少し泣きそうな顔になりつつもそれに手をかざす。
「————……五分くらいなら、通じるようになったと思う」
「分かった。ありがとね」
そうして、戻ってきたスマートフォンで栄治は電話をかけた。
『社長』と話しているらしい。
幻獣が化けたバスに乗り、異世界に来てしまった事を説明している。
改めて、なんて冷静な人だろうと感心した。
普通こんな状況であんなに冷静に行動出来るものなのだろうか?
(わたしがおかしいのかな?)
安心して欲しい。おかしいのは栄治なので。
「ところで君も巻き込まれたの?」
「あ、は、はい。あ! 相賀詩乃と申します! はじめまして!」
「そーなんだー。俺は梓だよォ。君もよく生きてたねェ。栄治に感謝しなきゃねェ」
「は、はい。……えっと、お二人はお友達かなにかなんですか?」
「ううんー。栄治の学生時代に会った事はあるけどねェ……でも……多分……なんだろう……」
「?」
はっきりとしない。
首を傾げて見上げていると、彼の額に奇妙な模様が見えた。
刺青だろうか? おでこに?
しかしそれが気にならないほど美しく整っている。
そういえば『人外』と連呼されていたが……。
「あのぅ、やっぱりここは異世界なんですか?」
「そうだよォ? 異世界『
「閉じた世界?」
「他の異世界に行き来が出来ない世界。基本的にね」
「…………」
基本的に、と最後につけ加えられたのは、詩乃たちがここにいるからだろう。
話を聞いた限り、ここは本来詩乃たちがいた世界と同じく異世界に行ったり来たりは出来ないらししい。
あのバスに化けた幻獣のせいで……。
「だから、誤って来てしまったら基本的に帰れないんだ。他の世界に行き来が出来る力のある生き物は、その限りではないけどねェ」
「……その、他の世界に行き来出来る力がある生き物っていうのが……」
「そう、幻獣種とか、神獣種、王獣種……あとは神とか魔王族とかだねェ。人間のような弱い生き物は基本的には『閉じた世界』で生まれてその世界の輪廻で転生を繰り返すもの。聖戦以降は世界の均衡が崩れて、生き残りを賭けた愚かな神々が他の世界から人を攫ったりするけれど……」
「?」
「まあ、それは普通の人間には関わりないから気にしなくていいよォ。っていうわけで俺はもう少し修行すれば自力で空間移動も出来なくもないんだけどォ……苦手なんだよねェ……」
栄治が執拗に「人外」と連呼していた梓。
どこからどう見ても人間にしか見えないが、確かに人間とは思えない美貌だ。
首を傾げる。
「梓さんは、人間じゃないんですか」
「うん。俺は幻獣ケルベロス族っていう種類の生き物なんだァ。上から48番目の兄弟だよォ。物理で殴る方が得意だから、魔法とかてんでダメダメなんだよねェ〜」
「……げ、幻、獣……」
「そう、幻獣。ああ、けどツガェイエヴァスと一緒にはしないでねェ。あれは幻獣種の一種だけど、知性がないから。俺は幻獣の中でも『王獣種』に括られてる『神を殺す力』を
「は、はあ……」
ふふ、と笑われる。
その笑顔は存外幼く見えた。
同い年くらいの、優しそうな男の子に……。
「連絡出来た。ありがとね」
「どういたしましてェ。まあそんくらいしか出来ないけどねェ」
「そうみたいだね。使えないね」
(い、言い方ぁぁぁっ!)
仮にも協力してもらって……正確には脅しに近い形で協力させておきながら、なんという言い草。
あまりの言い方に詩乃は震えた。恐怖で。
「ぐっふぉぁ……栄治と一緒にいたら精神鍛えられそうだなァ……。しばらく一緒にいてもらってイイ? 俺の課題、精神面の強化なんだよねェ!」
「ドMなの? まあいいけど。こっちとしても手駒があるのは助かるし」
(手駒……)
言い方ってもんがあるんではなかろうか。
「あの、それで、どうなったんですか?」
「なにが?」
「いえ、あの、電話……」
「異世界に来たら帰れないって言われたからなんとかしてって電話したけど、社長には『じゃあ迎えに行けそうな人を探しておく』としか言われなかったんだよね。いつ迎えに来てくれるかは分からないよ。……まあ、仕事は支障が出ないように調整したりしてくれるらしいけど……入ってた仕事は全部キャンセルだってさ。最悪だよね。……あのバスもどきに弁償させたい……」
「「…………」」
目が、やばい。
あれはツガェイエヴァスが爆破されても不思議ではない。
爆破どころか壁や窓を一枚一枚剥がし、そこに塩を塗り、高圧洗浄機で洗浄したあとまた塩を塗り地獄の苦しみを与えてやる……くらいな笑顔だ。
梓までカタカタと恐怖に震えている。
だめだ、これは。本能が告げている——……この人を怒らせてはいけない!
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