第30話 にーにーず、刹那


 これ以上は本当に、人間がいていい領域ではない。

 玉の姿だった龍神が目のような石の姿から、雲を纏って細長い龍の姿になる。

 これが本来の龍神の姿らしい。

 風が強くなり、波が高くなる。

 乗客が叫びながら揺れる船の上で掴まれるものを探し、惑う。

 栄治も近くの細い手すりに掴まって体を支えた。

 上空では黒い狼のような巨獣と白い光を放つ龍神が、己の鋭い牙を互いの体に食い込ませているところ。


(うっわ、マジに怪獣大戦争じゃん……CG映画みたいなんだけど)


 命の危険を感じる状況。

 阿鼻叫喚の甲板。

 それでも努めて冷静に。

 ——慌てふためいて事態が好転した事など、一度もない。

 だから見定める……使を。


『ギィオオオオォオォ!!』


 龍神の腹の一部が食いちぎられた。

 思わず「うぉぇ」と口を覆ってしまう。

 本当に映画でも観ているようだ。

 非現実的すぎて、現実に目の前で行われている戦いだと思えない。

 龍神が黒い胴体に噛みつくが、黒い獣の口が天を向くと噛みついていた龍神の胴体がびりり、と嫌な音を立てて剥がれる。

 血の雨が海に降り注ぎ、波がまた荒れた。


「…………」


 ごくん、と黒い獣が喉を鳴らす。

 食った。本当に龍神を食い始めた。

 龍神が体をくねらせ、逃れようとするが爪が食い込み、また食らいつかれる。


(創世神……龍神は死なせられない。でも、多少弱らせておかないとこの世界の生き物が住めなくなる。つーか梓、マジに食い気半端ねぇな)


 バリバリとまた別な箇所が食いちぎられた。

 ああ、あれはダメだなと栄治は息を吸い込んだ。

 その瞬間——。


『『!?』』


 ドオオオオォッン! という轟音と共に上から小さなものが落ちてきて、二体の巨獣たちを海に沈めた。

 高波でこの大型フェリーすら飲み込まれると思ったのに、微かに揺れただけですぐに揺れは収まる。

 思わずしゃがみ込み、しかしすぐに顔を上げて状況を確認すると……小さな人間の姿をしたなにかが二体を踏みつけにしていた。

 梓と同じ黒い髪と黒い瞳の人間の姿をしたなにか……。


「…………上位兄か……?」


 梓が時折口にする『にーにーず』。

 上の長兄から20番目までを『上級上位兄』、21番目から40番目を『上位兄』、41番目から60番目を『下位弟』、それより下をまとめて『下級下位弟』……と、人間でいうところの身分がある。

 梓は48番目、下位弟。

 幻獣ケルベロス族は第三の目という額にある半番目の瞳で、兄弟と情報を共有する。

 それにより創世神を殺そうとすれば「にーにーずの誰かが止めにくるかも」と言っていた。

『止めにくる』……この世界にいない『上位兄』ないし『上級上位兄』が来る。


「(なら、今だ!)……梓! お前が食べたいお菓子なんでも全部作ってやるから、その『兄貴』を捕まえろ!」

『っ!』

「!」


 がば、と海上から獣の顔が起き上がる。

 大口を開けて『兄』の体をばくん、と飲み込んだ。


(え? そこまで馬鹿なの?)


 と、栄治が口を開けた瞬間バァン! とこれまた派手な音を立てて梓の口が爆発した。

 当然の事ながら流血沙汰である。

 その衝撃からなのか、龍神も頭を擡げるが、こちらも人の姿をした方がなにかを飛ばしてぶっ飛んだ。

 あの巨体が、宙を舞う。


(うえ……)


 遠近法的なもので数メートル程度に見えるが、龍神の巨体を思うに確実に数キロ単位で飛んだ。間違いなく飛んだ。

 本日二度目のドン引きである。

 その上、獣の姿の梓の首根っこを掴むとこれまたなにかした。

 梓の巨体が消えたのだ。

 嫌な予感を感じていると、かちゃり、と近くの扉が開く。

 甲板に出てくる扉だ。

 そこから甲板に出てきたのは『SWEETS』の四人。

 まあ、これだけ騒げば詩乃たちもそりゃあ目を覚ますだろう。


「な、なにがあったんですかっ」

「えーと、怪獣大戦争?」

「ええ?」


 ざわざわと混乱収まらぬ甲板。

 その上空に、黒い影が突如現れた。

 ステージ上にどさりと落とされたのは梓。

 その梓を踏みつけるように降りてきたのは、彼ら独自の民族衣装を纏った長髪の青年。


「どうも」

「……えーと、上位兄の人?」

「いかにも。上位兄の一人、幻獣ケルベロス族第38子、刹那と申します」

「!」

「あ、梓くん!」


 ステージに転がされた梓は血塗れだ。

 そりゃあ口の中爆発すればああなるだろう。

 というか、栄治としてはあの程度の怪我で済んでいるのに驚く。

 駆け寄ろうとした詩乃を抑えて、見上げた。

 なんとも涼しい笑顔を浮かべている。


「オタクの弟を焚きつけたのは俺だよ」

「知っています。今“見た”ので」

「俺、帰りたいんだよね。元の世界に。この世界に転移してこれるって事は、出来るよね? アンタ、俺たちを元の世界に連れ帰る事」

「出来ますね。……梓は出来なかったのですか?」


 口調も穏やかに足元に転がる梓を見下ろす。

 栄治と詩乃もステージ上で血を流す梓を不安げに見つめた。

 だがその血塗れの梓に容赦なく踵が、よりにもよって鳩尾に、下る。


「ぐうえええっっっ!」

「寝たふりはよくありません。質問されたら答えましょう」

「で、出来ませんでしたァッ!」

((うわぁ……))


 笑顔で踏み抜いた……。


「それに創世神は、審判が下らないうちは食べてはいけません。千歳兄様に習わなかったのですか?」

「な、ならいましたァ……」

「そうですか。その上で食べようとしたのですか。っていうかちょっと食べちゃいましたよね。いけない子です。転移系は苦手な子が多いと聞いていましたが、梓ぐらいでまだ界超えが出来ないのはちょっとどうかと思いますよ?」

「ぅっ……」

「仕方ないですね……千歳兄様は『優しい師匠トップ3』ダントツの二位ですから……分かりますよ、千歳兄様優しいですもんね。でも、それに甘えてるのはよくありません。なので刹那お兄さんから宿題を出しましょう」

「え?」


 がばりと顔を上げる梓。

 顔にはありありと恐怖が滲んでいる。

 口調も物腰も表情も言葉遣いも、なにもかもが優しそうな刹那というケルベロス。

 しかしなんだろう、このゾッとする空気は。

 思わず栄治も一歩後ろに下がりそうになった。


「魔空間廻廊」

「えっ! うそ! 待ってちょっ! ……それだけは!」

「自力で出てきなさい。大丈夫、ご飯とお水は定期的に出てきますから。それじゃあ頑張って出てきてくださいね」

「イヤ……助け……!」


 両手を重ねたと思ったら、そこから四角い半透明な箱を作り出す。

 刹那に足蹴にされていた梓がバタバタ逃れようとするが、落ちてきたその箱に触れた瞬間消えてしまう。


「えっ」

「大丈夫です。我らの一族が修行で使う魔法の一つなので。うちの愚弟がなにやらお騒がせをしたようで——……」

『ぐるおおおおおおおおおおおおっ!』

「!」


 海から龍神が現れる。

 すさまじい咆哮。

 フェリーがまた、襲いくる大波で揺れる……そう思ったがやはり揺れない。

 先程からまるでフェリーが浮いているかのように静かだ。

 だが、怒り狂った血塗れの龍神がどんどん近づいてくる。


「……でもあの龍神も地味に面倒くさいですね。仮にも創世神なら子離れくらい、して欲しいものです。まったく本当に最近の神々は情けがないったらないですね」

『我は……我はこの星の神! 人間どもは我を崇め、信仰しなければならない! なぜ我がお前たち王獣種に裁かれなければならんのだ!』

「理由が分からないなら一度生まれ変わってみては? お手伝いしますよ」

『!?』

「俺は締め切りが押しているので、早く帰りたいんです、よっと!」

((締め切り……?))


 なんの、と口にしそうになるが、口を開く前に刹那が消えた。

 消えて、龍神の眼前に現れる。

 黒い炎を腕に纏って……その拳で龍神を殴り飛ばした。

 もう一度言う。

 あの馬鹿でかい巨体をまたぶん殴ってぶっ飛ばした。


「「………………」」


 いや、聞いてはいた。

 戦闘種族だと聞いてはいたが。


「俺の黒炎能力は『粉砕』。粉微塵になって、再生ついでに赤ちゃんからやり直してください」


 断末魔すらら聞こえない。

 白金の龍神は、鱗粉のようにサラサラと解けて消えていく。

 風に乗り、空を舞い。


「わあ……」

「え、これ大丈夫なの?」

「綺麗だにゃあ……」

「綺麗だけども、大丈夫なの?」

「すごい……」

「すごいけどさ……大丈夫なのこれ、ねえ?」

「なにがなんだか分からないけど、龍神様が粉になっちまったな〜」

「うん、だからこれ大丈夫なの?」


 栄治だけが龍神の行方をちょっとだけ心配した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る