第15話 機械派ユニオン

 悪夢は潮が引くように海へと還り、眼は目蓋の暗い裏を見つめた。過呼吸の苦しさに耐えかねて眼をさますと、額の汗が目に入って痛んだ。目覚めと同時に記憶から消えていた悪夢が、忘れずに鮮明に焼き付いている。女はどこかで見たことがあるし、麟太郎という名前には聞き覚えがあった。流れる走馬灯の景色は幼少時代の思い出だ。問題は、そのどれもが俺とは全く関係のないものばかりだということだった。女の顔も、麟太郎という名前も、何もかもが俺の過去にはない。まるで他人のアルバムを脳で直接覗いたかのような気持ちの悪さ。

 記憶の反芻を拒絶して視覚へと感覚を寄せると、天井に吊るされた透明な液体の入った袋が目に入る。袋は下部から管が伸びていて、それを追うと自分の右前腕の血管へと続いていた。腕の先にはベッドの木製の脚が見えた。俺はベッドで点滴をうたれていた。袋の一滴がポツリと落ちて波紋を広げる。

 と、波紋の先で男の顔が霞んで見えた。男は近づくと点滴の袋の延長線上から徐々に横にズレて、そうして見えたのは端正な顔立ちの青年。ブロンドの髪はしかし、浮ついた雰囲気などなく、整えられた襟の先には高く鋭い鼻先と、ワインのように深い瞳がある。


「はじめまして。僕は富士芳明ふじ よしあき


 富士と名乗った青年は針が刺さり、力なく横たわる俺の手を否応なく握った。握手のつもりか、俺はそれを握り返さずに見つめる。富士は不適な笑みを浮かべると手を離し、部屋の中を歩きながら滔々と語り始めた。


「翠から聞いたよ、未調査地区に行ったって。あんなところに行って無事だなんて運がいい。いくら君のMMCが起動していたからといっても限界がある。枢軸教会アクシズは遂に235に耐性のある人間を生み出すという悲願を達成したようだけど、まさか教会自身がそれに気づいていないなんてマヌケだと思わないかい」


「何の話をしている」


 富士は俺に起きたことを説明しているようだが、話の内容はさっぱりだ。これは失礼と先走る非礼を詫びる富士という男は再度、俺が寝るベッドの周りを歩きながら顎先に人差し指を添える。


「僕たちは機械派ユニオン。枢軸教会と同じ、神へと至る道の探究者。元は君と同じ枢軸教会の信徒だったけど、まぁ事情があって分裂した。僕は教会でMMC——つまりはマイクロ・マシン・サイバネティクスの研究をしていた。MMCとは超小型の機械細胞。人体に投与することで体組織の機能を拡張する。神の元へと至るに耐えうる人体を構築することを目的に開発した」


 富士は針が刺さる俺の腕を握ると"君の血中にも流れている"と耳元で呟いた。


「君だけじゃない。教会の街の住人も、我々にも。MMCが存在している。人体のDNAに刻み込み、そうして産まれた新生児たちは、生まれながらにしてMMCを備えることにさえ成功した。分かるかい、機械の存在を有機体が受け入れたんだよ」


 富士はくるりと一回転してみせると、天を仰いで両腕を広げた。


「僕の最も偉大な功績はね、人類の進化の方向を我々自身で決めることを可能にしたことだ。MMCの改良を続ければ、論理的には我々は何者にでもなれるのさ」


 広げた腕を閉じると、今度はタンッと床を靴で叩くように踏み出してベッドの柵に乗り出した。そして俺の眉間へと人差し指を突き出す。


「それにしても、初めてのが君だったとはね」


「俺のことを知っているのか」


「詳しくは知らない。まぁ詳細は後で翠に聞くといい。君はきっと、まだ君自身を知らない」


「まて。翠さんはどこにいる。彼女も機械派ユニオンなのか」


「彼女は取り込み中だ。機械派ユニオンではないが、我々とは協力関係にある」


 富士は俺の言葉を遮るように手のひらを向けた。そして再び部屋をぐるぐると歩き始める。


「知っての通り枢軸教会も神へと至ろうとしている。そして神へと続く道の鍵は未調査地区の先にある。だがあそこは放射性物質という目に見えない原子で汚染されていてね。ここで問題。枢軸教会が生命工学術に固執している理由は?」


 そのとき、生命工学術が俺たちの経済を支え、人間の限界を越えるための技術という妄想がガラリと崩れる音がした。富士という男が、ここで生命工学術の話をするということの意味はそれしかなかった。


「未調査地区の汚染に耐えうる人間を生命工学術で生み出そうとしていると」


「その通り。かつて未調査地区には巨大なエネルギーを生み出す原発施設があった。危険な施設だ。当然、大戦禍グレート・ウォー時には攻撃の標的になった。攻撃を受けて炉心は融解、有害な235ウランという物質が炉から表出。235ウランから飛び出す原子はまるで弾丸で、原子は光速に近い速度で飛び回り人体を貫き破壊する。調査中、突然に嘔吐した者がいたんじゃないのかい」


 俺はあの若い声の騎士を思い出す。傷などどこにもなかったし、ましてや鎧を身につけていたというのに、体組織は破壊されていたというのか。


「連城翠は我々の協力のもと教会の下町に身を潜め、生命工学術とMMCを応用して放射能に耐性のある人間を完成させた。つまりは君だ。君は運がいい。頭部に怪我を負った君は連城翠にとっても都合が良かったのだろう。気に病む必要はない。下町に溢れる施術者たち、人間をやめた奴らの薄気味悪さったらないだろう。あの教会の失敗作たち——化け物じみた街のアレらに比べたら君はとても人間らしいじゃないか」


「だったら何だ。教会は神に近づくために、民衆を使って生命工学術の実験をしていたと。俺や瑞穂も、その実験体だと。なんなら教会を含むあの街の全てが人体実験場だと。俺は連城翠の手によって既に生命工学術を施術されていて、MMCなんていう機械が体中に巣食っていると」


 富士は躊躇いなく首を縦に振った。


「そう。君はMMCが体内で日夜繰り広げる人体改良によって生まれた初の耐放射能体だというわけさ。だからこうして無事でいる」


 こみ上げる吐気を喉の奥へと押し込める。教会の街が、生命工学術で放射能に耐性のある人間を生むための実験場だなんて、出来の悪いブラックジョークにも程がある。


「アーキトレイヴは放射能に汚染された被験体を焼却処分するための道具。それを持つ者を聖騎士だのと御大層な役職で飾っちゃいるが、あんたものただの処刑人だ。聖騎士に必要な素質が何か知りたいか。同胞に引き金を躊躇いなく引ける個体のことなんだぜ」


 俺がイエスかノーを選ぶ間もなく、富士は事実を突き付けた。瞬間、犬童の姿が浮かぶ。あの出来事は、俺が既に汚染されていること、不名誉の象徴へと犬童が堕ちたことを物語っていた。察して富士は"君は除染済みだ。安心したまえ"と胸に手を当てて笑う。


「動物は自分と同じ姿形をした者を殺傷することを酷く嫌がる。人間だって同じさ。だが、分母が増えればその限りではない。教会は武術で互いを競わせ、人を斧で割ることを、槍で刺すことを、刃で斬ることを躊躇わない者を見極め、聖騎士の素質がある者を見出す。見出された聖騎士は汚染された者を焼き払う。教会にとって都合がいい素晴らしい社会構図だよ、まったく」


「黙れ。だったらあんたは教会と何が違うっていうんだ」


 俺の体を好き勝手に弄くり回し、成功だの失敗だのとほざく富士は、結局のところ教会と変わらない。対して富士は"君は何もわかっちゃいない"と眉尻と肩を大袈裟に落としてみせた。


「教会は神へと至るためなら、人間本来の姿を捨てることも厭わない。アリを巣からほじり出すために木の枝を使えばいいものを、奴らはアリクイの爪を自分の身に付けようなんていう野蛮な考えをした奴らだ。機械派ユニオンは人の姿を捨てない。あくまで機械力で神へと至る。それとも君は人の姿を捨ててカエルにでもなりたいのかな。葦原瑞穂、綺麗な娘じゃないか。彼女が蛾や蜘蛛の紛い物になっても君は受け容れられるのかい」


 俺は寝たきりの上半身を起こすと、点滴の管を乱暴に掴んで腕から引き抜いた。ベッドを挟んで富士と対峙する形になる。炎に焼かれた瑞穂の姿が脳裏の奥で再生された。


「瑞穂は生きているのか」


 富士は頷くと値踏みするかのように目を細めた。瞳に吊るされて揺れる管の影が映る。


「まさかタダで助けてくれたわけじゃないだろう。目的はなんだ」


 富士は口角を上げた。俺が断れないことを知っている、予め設定された笑みだ。


「君は放射能に耐性のある初の人間だ。生命工学術とMMCがそれを可能にした。君には再度、未調査地区の更に奥地へと向かい、神の元へとたどり着くための手段を探ってほしい。機械派ユニオンはそのために協力を惜しまない」

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