第21話 開戦

 未調査地区は斥候の情報通り、騎士団が守りを固めていた。騎士団だけではない、生命工学術を施された信徒の姿も多く見える。双眼鏡をのぞき込むとアジトを強襲した教会の手先と同じ、攻撃的な施術をした信徒が多くいる。すり潰されそうなほど大きな蹄の掌と巨大な角が額から生えた信徒は、鼻息を荒げて開戦を待っている。まるでもとの気性すら施術で消えてしまったかのよう。手の指の内側がカマキリの刃のように鋭利な男は、肉を切り裂く瞬間が待ちきれないのか、指をゆらめかせていた。刃は光に反射して波打つ水面の情緒を思わせた。

 対して機械派の兵は、鉄の砲を背中に背負ったり、腕に仕込み刃を忍ばせたりと、装備は多種多様だ。MMC制御のためか、彼らの顔には手術痕の直線がある。砲塔は兵の意志に隷属するかのように精密な挙動を繰り返し、刃は俊敏に飛び出した。


 教会の騎士団の壁の中から髪に白いメッシュのある男が現れる。教区長日立アキラが、鎧の群れの中からゆらりと姿を見せた。富士が目尻と口角を同時に吊り上げる。


「ついてきたまえ」





 教会と機械派の兵が向かい合う平原のど真ん中、がらんどうとした中央で日立アキラと富士芳明が対峙する。お互いに笑みを浮かべ合い、そのどちらもが大胆不敵だ。俺は富士の少し下がった位置でその様子を見ていた。


「やはりこうなるのか」


 富士の言葉に日立は何を今さらと両手のひらを表にする。


「人類はずっとそうしてきたんだ。それはこれからも変わらない。戦場が陸か海か空か——政治か利権かネットかの違いだけだ」


 俺は少し前に踏み出して圧のある声をしぼった。


「血が流れない後者はまだマシだ。神のもとへを目指す者同士ならなぜ争う」


 と、日立の笑みが消えた。ぞっとする冷ややかな怒りの闇が表情から漏れ、俺の背筋を冷たく這った。


「血が流れていなければ傷ついていないとでも。血が流れずとも人は傷つく。だが人は奪い合い、傷つくことから逃げられない。それが生命の歴史であり、根源だ」


 日立は自身の指をナイフで切った。創傷から血が滲み、指を伝う。日立はその手を空にかざして見上げた。瞳を閉じて瞬くと、瞳は赤く変貌し、白目は墨を落としたかのように黒く浸透する。髪は瞳に色素を吸い上げられたかのように漂白され、背からは白と黒の翼が勢いよく開かれた。神を追い求めてその身を歪めた偶像は、何かを確かめるかのようにぴたぴたと自身の体に手を添えている。


「僕たちの体を構成する細胞は細胞核と細胞壁から成る。壁は栄養素といった資源リソースを囲い込むため。核は壁内を制御するため。他の無数の細胞も同じ。そして資源を囲い込むことに失敗し、制御が困難になった細胞は死ぬ。これと同じようなことが僕たちの社会でも起きている。何か分かるかい」


「王と国」


 答えたのは富士だった。日立が富士とアイコンタクトをする。きっと、教会で共に神のもとを目指して日夜研究していたときから、何度も繰り返してきた議論なのだろう。二人の息は阿吽の呼吸だった。


「王は核。民衆は栄養素。そして壁は国境だ。国も同じ、資源の獲得に失敗すると滅び去る。我々生命は誕生したときから奪い合い、囲い合っていた。たった一つの細胞のときからそうだったんだ。社会が我々の体の細胞と同じ核と壁の仮想を、現実に王と国境として作り上げたとしても何も不思議じゃない。過去には国境なき世界を夢見た歌があった。ネットが社会に破壊的な突破をもたらしたこともあった。しかし国境なき世界は実現しなかったし、今も形を変えて存在している。それどころかネットの破壊的変動は更なる衝突を生み出した。これの示すところは、世界と我々はあまりに複雑で統御することなどできないということだ。だから世界は、もっと単純に見られなければならない。そのために組織のリーダーは部下の責任を負って結果に伴う処理を受ける。失敗を部下に納得させるためには誰かが血を流すか、それと同等の処分を受けるしかない。個々に処理できる事象はあまりに限られている。賞罰や法律といった、社会システムにそれらの計算をある程度委任し、単純化しなければ世界はより混迷する」


「戦争ではなく競争という形もあったはずだ」


「資本主義かい。確かに資本主義の本質は壁をうち破り、資源を一箇所に定着させない、資源利用の効率性の向上を目指したものだった。しかし、実現してみれば資本主義は、組織という壁が資源を囲い込み、企業の内側でのみ利用可能という巨大カルテルの誕生を助長したに過ぎないことも歴史が証明している。そして社会全体での有益な利用が阻害される。富士もそれを知っている。結局、私たちは生命の仕組みにならって争い合うしかないのさ」


 富士も同意見のようで、日立の言葉に頷いている。教会と機械派のどちらが神にたどり着くにしろ、理想の世界を叶えてやれる人間の数には限りがある。だからせめて組織のトップ、その互いの意志だけでも尊重するために、こうして開戦前に顔合わせをしているのだろう。


「教区長はなぜ機械派を認めないのです」


 富士の教会に対する嫌悪感は己の人間的な形を損なうことにあった。なら日立アキラは。


「機械派は、僕たちが心を持つ人間である前に、核と壁によって成る生命体であることを無視している。かつて生命の本質を無視した歴史があった。国のため、世界のためにその身を捧げて戦い、命を散らすことを美徳にした歴史が。馬鹿な話さ。腹が減っては戦はできぬという言葉の通り、存続とは心ではなく、まず体があって始まる。なのに勝利を無視し、個人を無視し、戦場で儚く散ることを美としていた歴史があったんだ。争いを過剰に美しくするなどあってはならない。体を無視し、心を優先して自ら散ることを良しとした軍は、軍隊の自滅という本末転倒な結果を残した。機械派の目指す世界は体を無視した心の優先だ。葦原瑞穂、機械化した彼女はまさに身体が自己消滅しているといえないかい。たとえ心の底から自身の人間性を信じていても、身体の大部分が機械であることは紛れもない事実。いつか自身の身体の全てを消し去り、残ったものが金属片だけの世界なんて僕はゴメンだ。生きる者が、自分は体であること、肉体であること、それが生命であることを直視する世界を目指す。それが僕の人間性だ」


 富士が諦めのため息を吐いて俺を見た。


「そういうことだ、岸部航。我々はお互いに目指す理想の世界があるが、実現するための資源には限りがある。神の領域へと至る派閥は一つでいい」


 二大勢力の和解が不可能であることを思い知り、俺は頭の片方で沈黙する英雄の脳に問いかけるように知恵を絞った。考えろ、英雄ならこの状況をどうする。甲賀麟太郎はかつて何を考えて崩れゆく世界を見ていた。戦争が避けることのできない繰り返される歴史であることは事実だが、それが間違いであることもまた歴史が証明している。俺たちは過ちを避けられないのか。それが生命体なのか。だが、この場で明確な答えはついぞ思いつかず、二人は背を向けて自軍の群れへと歩み始めた。俺は富士の後を追いながら、振り返って日立の背中を見た。浅黒い肌が日に当たって光る。彼らが争うことのない手段が何かあるのではと、諦めの悪い思考が続いた。

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