第5話 教会高等部
裂けそうなほどの勢いで目を開くと、汗がまつ毛を濡らしていた。止まった呼吸が解放され、心臓が素早く鼓動していた。眼前には木目が、空から見下ろしたかのように無数の渓谷を刻んでいる。講義用の、木製脚に小さなテーブルを置いた机から頬を引き剥がし、悪夢に別れを告げて腕枕の赤い痕をさすった。
講義の弁舌はよどみなく、教師がチョークで黒板を叩く音が軽快に響く。静かに受講するクラスメイト。歴史の講義だ。かの戦争を語っている。
人々が互いを最先端の武器で串刺しにして焼き払った
経済が、需要と供給が滞った世界では暴力が横行し、理不尽で、略奪され、隣人が敵となる。弱肉強食の世紀末。過去の人々はそんな世界を想像して物語を生み出して、それらはポストアポカリプスと呼ばれた。今の時代を例えるなら、まさにアポカリプスと言っていいのかもしれないが、現実は弱肉強食の世紀末にはならなかった。この世界が大戦禍によって大きく退廃したことは歴史的事実だが、根付いた文化というのはそう簡単に拭えないらしい。娼婦とスピード、闇市場、自らを売春へと身を落とす同級生と、色とりどりの快楽が街を覆ってはいるが、裏を返せば食糧の供給は行き届いているし、僅かな水を奪い合うなんてこともないからそんな余裕があると言える。現代の人々は過去の文明の名残りを利用して細々と生活を続けていた。その程度のインフラ整備が教会と各自治体の努力によって実行された。だから下町がどれだけ薄汚れていても、それもまた一つの秩序の形となって人々を支えている。結局のところ人類は、どれだけ窮地に追い込まれたとしても、ある一定水準の秩序を維持して、組織、集団を形成し始める。肝心な俺自身が荒れてはいるが、それも一定の秩序が保たれた社会の
講義の終了を告げる鐘が鳴り、みな各々の仲間のもとへと散っていく。気の置けない仲間同士、雑破な世間話に花を咲かせる。どこの誰かが騎士団入りを果たしたとか、高等部修了後には生命工学手術を受けて実家の農家を継ぐだとか、他愛のない、だがもう俺の手には届かない平穏だ。周りの信徒に反して俺の尻はのりで貼り付けられた紙切れのように椅子の上から動かなかった。
「岸部、またスピードか。懲りないな」
細面の痩せ型と、小太りで温和な顔つきをした男子信徒が机の合間を縫って近づいてきた。
犬童は仲介屋をしている。下町の汚れ仕事の処理が可能な適任者を雇用主に紹介し、その仲介料をピンハネして生活していた。雇用主にバレれば内臓を根こそぎ抜かれてから、死体となって溝川に捨てられるだろう。抜かれた内臓が闇市か闇クリニックに流れていくのを想像しながら。犬童が同じクラスの信徒を見て眉をひそめた。クラスメイトの表情は朗らかで、その瞳にはこの世の闇の一切が見えない。家庭に恵まれた信徒だ。犬童は世間話に花を咲かせる信徒に愚痴をこぼした。犬童は平凡なろくでなしだから、自身の倫理観のみで世相を斬るような独り言をよく呟く。体は不摂生で痩せ細り、目元はドラッグを使用した人間特有のクマができていた。
小山は先日消えたばかりの同級生の女の子のポルノ写真を見ていた。独自の入手ルートがあるらしく、売春に手を染めた同級生のポルノをどこからともなく手に入れてくる。
小山は17歳前後の少女が好きだ。まだあどけなさが残る顔に、自己主張の強い体のラインが美しいと思う。恋に恋する前後不覚な心と、小さなことで一喜一憂する姿。その全てが尊く儚い。そんな熱い想い聞かされたことがある。ただでさえ気味が悪いのに、更にはそんな少女たちの淫行にふける姿に饒舌し難い興奮を覚えるらしい。同年代の少女に恋をする健全な欲望とはいえ、その動機は最低だった。犬童も小山も、下町から噴出する快楽に囚われていた。俺も含め、彼らはよくいるその辺の17歳の少年だ。
「午後から大聖堂に集合だぜ、岸部。ふて寝きめこんで聞いてなかったろ」
犬童が肩を叩いて促した。こんな俺たちでも真面目に高等部に通っているのは、高等部の修了証がなければ正式に生命工学手術を受けられないからだった。生命工学術が
「なんで大聖堂なんだ」
「任命式だよ」
小山がポルノから目を離さずに答えた。
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